カフェが無意識に尻尾巻き付けちゃったりするやつ

カフェが無意識に尻尾巻き付けちゃったりするやつ


トレーナーさんの書類仕事の音――キーを叩く音が静かに響いている。

 日課となった尻尾の手入れをしてもらった私は今、彼と隣り合いながら安らいでいる。本当はあなたにも安らいでもらって、他愛もないお喋りを続けたかったけれど。そんな事を考えながら眺めた彼の横顔は真剣そのもので、私のことを考えてくれているのが嬉しくも思えた。

 「異性に尻尾の手入れをさせる」という行為の意味は彼も知った所であるが、その意味を知らぬままであった頃の彼から尻尾の手入れを提案されたときは狼狽えたものだった。

 当時からそうだったけれど、今日も変わらず壊れ物を扱う――あるいは、それこそ最愛の人に触れるような――優しく丁寧な手付きを思い出して、心臓が高鳴り始めるのを感じる。敏感な尻尾に丹念に櫛を通され、油を引かれる感覚も想起され、なおのこと顔が赤くなってしまった。

 自分の内にあった恋心に気づいたきっかけも初めて尻尾を手入れしてもらったときで、当時は心地よさのあまりに尻尾の手入れだけではなく、その先までをねだるような言動をしてしまった。そして彼は、「卒業してから」と、確かにそう言い、二人揃って真っ赤になって………

 ぱさ、ぱさ、と、尻尾の揺れる音で我に帰る。とてつもなく恥ずかしいけれど幸せだった記憶にまで思考が及んでしまい、顔が熱くてたまらない。幸いにもトレーナーさんは仕事の方に集中しており、こちらには特に注意を向けはしなかった。さっきまでは私を見てほしい、お喋りを続けたいとも思っていたが、今はそのことに感謝する。

 気づかれないように深呼吸をして心臓と心を落ち着けて、ふと尻尾に手を触れてみる。さらさらとした滑らかな指通りを感じる。根元の方から毛先まで余すことなくトレーナー室の電灯の光を浴びて艶めいていた。このまま、この先も、彼にこうしてもらいたい。尻尾を背中側に戻しながらそんな幸せな日常を想像し、思い出す。大人しくしてくれている尻尾の代わりに、耳がぱたぱたと動いてしまっているのがわかった。

暫くすると、 一段落が付いたらしいトレーナーさんが息を吐いた。心なしか彼の顔も、さっきまでの私程ではないけれど赤くなっているように見える。

「……お疲れ様です、トレーナーさん。そろそろあなたも休憩にしませんか?……尻尾の手入れをしていただいて、そのまま書類仕事をしていらっしゃるのですから、そろそろ疲れたでしょう?」

「……うん……お願い、するね。」

 妙に途切れ途切れの肯定の返事が返ってきた。

「わかりました。では、少し待っていてください……」

 そう告げて、椅子から立ち上がろうとした所で。トレーナーさんが恥ずかしげに呟く。

「その……カフェ。尻尾が………」

言われて初めて気づいてしまった。私はトレーナーさんを抱き寄せるように、その腰元に尻尾を巻き付けてしまっていのだ。

「あっ、~~ッ!?」

声にならない悲鳴を上げ、巻き付けていた尻尾を引き戻す。無意識でにこんなことをしてしまうほど彼のことが好きだったとは!触り心地はどうだったろうか。これではまるで「あなたが大好きです」と声を大にして伝えているようなものではないか!卒業してからと言われたのに!彼も意識してしまっていたから顔が赤かったのだろうか?

 そんな滅茶苦茶な思考のまま、真っ赤になって硬直していることに気づく。

「ど、どう……でしたか?触り心地は……」

焼け焦げそうな思考の中で何故かその質問を絞り出してしまった。言ってからまた恥ずかしさで固まってしまう。

「さらさらで………凄く良かったよ、うん………ずっと触ってたいぐらい……」

「待って、忘れて!」

彼も真っ赤になってしまった。

 それから数分ほど、お互いに真っ赤になったまま熱い沈黙が続いて。視界の端にニヤつくお友達が見えたころになってやっと我に帰った私は、コーヒーを淹れてくる旨を伝えて、一旦トレーナーさんの側を離れた。彼は真っ赤なまま小さく「お願い」ともう一度返した。

 深呼吸して、またも心を落ち着け、電気ポットのお湯でコーヒーを淹れる。手入れをしてくれている最中にも、「ずっと触っていたいくらい」と。そう、思っていてくれたんだろうか。そうであってくれたら、嬉しい。

 二人分のコーヒーを持って戻り、改めて隣に座る。さっきまでよりも近く、ようやく冷め始めた彼の体温が伝わる。礼を言う声にもようやく落ち着きが戻ってきたらしい。今度は穏やかに、カップを置く音の混ざった沈黙が流れる。

 二人とも飲み終え、カップを置いた所で、またもトレーナーさんの腰に尻尾を巻き付け、先端で手の甲を撫でながら……思い切って提案してみることにした。

「……先程、私の尻尾を『ずっと触っていたいぐらい』と言ってくださいましたが……トレーナーさんさえ良ければ、……たまになら。触っていただいても構いませんよ?」

「いつでも」と言い切るには恥ずかしい。我ながらいじらしい提案だと思いながらも、あなたに手入れしていただいているのですから、ご自身でその感触を確かめてください。と付け加えてみる。

 再び真っ赤になってしまった彼は、小さな声で私の名前を呼びながら固まっていた。……やがて、「じゃあ、ちょっとだけ。」と、そう呟き、尻尾の毛先が撫でられる。身体が跳ねそうにそうになったが抑え、尻尾を委ねていると、今度は指先が毛を梳き始めた。丹念な手入れのおかげで、引っ掛かりなど起こるはずもなく、慈しみ、愛おしむように丁寧に。トレーナーさんに少し寄りかかるようにして耐えていたが、刺激に慣れてくると心地が良く、幸せが溢れるような感覚だった。

 ふと、空いている方の彼の手をとって、優しく撫で始める。トレーナーさんはまたも驚いた様子で私の方を見たが、静止することはしなかった。私の手とは違う、骨張った男性の手。私の為に数々の――私の預かり知らぬ所でも、きっと沢山――仕事をこなしてくれる人の手。労るように撫で擦りながら、もう少しだけ体重を預けけ、そのまま手を握ると、彼も恐る恐る、といった様子ながらも握り返してくれた。

 お互いを静かに撫でながら、数分程度の時間が過ぎて、ふと口をついて、「私、幸せです」と言葉が出た。一瞬だけ、トレーナーさんの体が強張って、深く呼吸をする音の後に、俺もだよ、と。二人だけに聞こえる――きっとお友達にも聞きとれないだろう――くらいの小さな声で、そう言ってくれた。


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