カタクリの浮気?

 カタクリの浮気?


カラン、と高い場所から落とされた金属音が鳴った。


惹かれるように目をやれば廊下の先、扉の外にシドが立ち大きな金色の目を見開き尖った牙のある口を僅かに開けこちらをまっすぐ見ていた。

足元には手に持っていただろうお玉が転がっている。料理中だったが火を止め、おれに用があり呼びにきたのだろう。


唖然と立つ腰巻きだけの身体にエプロンを重ねているその姿に背筋がゾワリとする。

受話器の向こうではまだ何かごちゃごちゃ言っていたが関係なく切り、シドの元へと足を進める。


「シドおれに何か……ん? どうした?」

「……あ、慌てて切ったように見えた、のだが……大丈夫だったのか?」


おれの後ろにある電伝虫を指差す。その赤色と黄色の爪先が僅かに揺れている。


「ん? まァ慌てたとかそんな事は無いが、大丈夫だろうアイツなら」


切った事などどうでもいい。シドと話すより大事な事などあるだろうか。

おれのその返答に納得が言っていないような複雑な顔を浮かべた後、うつむく。おれ達の身長差ではうつむかれてしまえば顔の表情は見えなくなってしまう。


「い……今通話相手に……言った、のは、じ、事実……か?」


だから微妙に震えるその声を奇妙に思えども、何も深追い出来なかった。


「……ああ、まァ、そうだな」

「!!!」


シド相手に未来を見て先に答える事はしない。以前そうして先読みをして、未来のシドとだけ会話してしまい拗ねられてしまったのだから。

あの時の「未来のオレではなく今のオレと会話して欲しいゾ!」と膨れたシドも大変に愛らしかったが……怒らせるのは本位ではない。



だから。



「カ……カタクリの浮気者ーー!!!」



まさかそんな事を泣きそうな顔で叫ばれるとは予測など全く出来なかった。



「……は?」

「カタクリの浮気者! ひどいゾ! あんまりだゾ! キミがそんな事をするならオレだってしてやるんだゾ!」

「は?」

「オレだって浮気してやるー!!!」


うわあああん!と、叫びながら走り出したシドの背を見送っていた。しかし気付いた瞬間から追いかけ手を反射的に能力を使って腕を伸ばし掴む。


が。


ニュルリと、それを予測していたのか水気たっぷりに潤された腕を餅の腕では掴めず逃げられ、そのまま遥か高い場所まで飛び上がり、海に飛び込まれて泳いで逃げられてしまう。

後を追っていたが海に行かれてはそれ以上は追えない、頭を抱えため息を吐く。なぜこうなった?



……おれの言った言葉を思い返す。そしてそれに対するシドの言葉。そして……ああ、今こうして考えてわかる。

面倒な誤解ですれ違っているのを感じる。



見聞色の覇気で探知をすればそこそこに離れた距離に泳ぐシドの姿を見付けた。精度には自信はあれど流石に端から端へ移動するに数日間かかる国全土全てを覆えるものではない。もう少しで追えなくなるだろう。

シドの遊泳スピードなら船で一日かかる距離ですら数十分で着く。そしてまだ止まらずに泳いでどこかへ向かっている。


だが向かう先の選択肢は少ない。おれらの夫婦喧嘩……この場合両方男だから夫夫(ふふ)喧嘩になるのだろうか。とにかくこの痴話喧嘩の説明を出来、妙に勘繰られても平気な相手に限られる。


シドの故郷であるゾーラの里がある島ではない、方角が違うし巻き込むような事はしないだろう。ママや弟妹の元へと向かうなどは論外だ。

そしてシドにとって義理の兄姉であるペロス兄やコンポ姉の元でもない、二人の統治する島がある方角と微妙に違うのもあるが義兄義姉であり長子として忙しい政務者二人には言えないと遠慮をしている事も知っている。



ならば。この方向にいるヤツ、この方向にある島、数少ないおれもシドも甘えたり日常の僅かな出来事すら共有出来る気安い相手。


ヤキガシ島の、シャーロット家四男。

おれの三つ子の弟、オーブン。





*




私用でも船を出した事がバレれば事が大きくなる。国のNo.2であるおれがオーブンの元に予定にない訪問をしたのかバレれば……ああ、面倒な事にしかならないだろう。

電伝虫で連絡をとり、島同士の架け橋となってくれたブリュレに礼を言い、何度も訪れた事のあるヤツの屋敷を進む。

場所なら覇気で把握している。二人は共にいる。



シドはウチを飛び出す前に浮気をすると言っていた。

だが本気ではないだろうし、相手がオーブンならば大丈夫だろうと思える。何せ産まれた時から共にいる自身の分身のようなヤツだ、アイツの事ならばよーくわかっている。

律儀で堅物で真面目で、突然やってきた義兄に対し不躾でも乱暴な対応をしないだろう事は。おれは弟を信じている。



……それと同時に、胸に一つに暗い影を落とす。


三つ子でほぼおれの分身のような存在であるアイツが、万一にも迫ってきたシドを拒めるのかと。あの勇ましくも愛らしく尊敬出来るのに愛でたくなるシドという存在を。

ボタンが一つ二つ掛け違えていれば政略結婚していたのは……アイツかもしれなかったというのに。


……無い。あり得ない。少なくとも今現在好感度は高くとも欲を含んでいる訳ではないとわかっている。おれの伴侶、配偶者、結婚相手としてわかってくれている。そんな相手に何かするわけがない。


だが……本当、に?



潤んだ瞳を向けられ白い柔らかな鱗を僅かに赤く染め傷付いた表情のまま「慰めて、欲しいのだゾ…」と囁かれ凭れ掛かられれば……本当に、何も、しないか?



……いやいやいや、大丈夫だ。そんな事をするワケがないし、応える訳もない。これはおれのただの杞憂。あり得ない。



屋敷内を歩き、角を曲がれば目的の二人の姿が見えた。


弟のオーブンと、その先にいた腰巻きもエプロンも脱ぎ、どこのどいつかの野郎の大きな服のみを羽織る……妹が言っていた所謂彼シャツをしているシドの姿が。



何だあの姿は?事後?おれの元で着ていた服を脱がせマーキングでもしようってのか?

そして、シドが楽しそうにヤツに微笑ん………




あっ駄目だ、殺そう。




弟だが三つ子だ、一回や二回殺したところで許してくれるだろう。

左腕から土竜を取り出しながら足を進めた。




*




「いやもうホントてめぇらよォ!痴話喧嘩すんのは勝手だがおれを巻き込むんじゃねェ!!」

「ゾー……本当に面目ないゾ……」

「………悪かった」


いきなり海を泳いでやってきた義兄ことシドに海水を落とすようシャワーを浴びさせ、着替え代わりのおれの服を一枚羽織らせてる姿を実兄に見られ殺害されそうになったのが数分前。

兄夫婦が顔を合わせシドの謝罪とカタクリの返答でギリギリなんとかおれの命は助かったらしい。


だからこうして向かいの席に座る二人に思うがままに怒りをぶつける。仲が良いのは結構、喧嘩するのも結構。だがそれにおれを巻き込むなという事だけを。

全く痴話喧嘩で殺されかけるなんて冗談じゃねェ!


シドからもらったポカポカハーブティーをシド本人に淹れてもらい、それを飲みながら話す。貰ったはいいが上手く淹れれなくこれみたいに美味く淹れれなかったからな。

温かみと共に舌先に広がる甘味と旨味。それを飲めば反比例するかのように怒りに煮えたぎってた頭が少しだけ冷えていき……ずっと気になっていた事を訊ねる。



「本当によ、まず何で浮気だなんだってなったんだよ?」


カタクリが浮気をした?……どう考えてもあり得ねェ。シドと少し離れただけで、シドが人に笑い掛ける姿を見たくらいで信じられないくらいピリピリするこいつが?

実の弟を信じず殺しにこようとするこいつが浮気?……有り得なさすぎて笑うことも出来ない。



「ゾ……カタクリ、が電話越しに女性に愛を囁いてたんだゾ」

「は?」


女を口説いてた?……カタクリが?口説く?……??いや、まァ全く信じてはねェがそれが本当ならば。


「そりゃお前が悪ィだろ」

「だからそれは勘違いだ。おれはしていない」


完全否定するカタクリ……意味がわからん。いや別に理解しなくても良いんだが……ここまで巻き込まれたからには全てを知る権利があるだろうが。


「……まず、女に電話してたのか?」

「違う。ダイフクだ」

「は?」


女?が……ダイフク?アイツは勿論女じゃない、三つ子の兄だ。男だ。……それが、なんでまた浮気だなんだと?

カタクリの顔を見れば大きく息を吐かれ、ハーブティーを一口飲んだ後話を続ける。


「ダイフクとウチの島……というか餅で合同商品を作ろうと電伝虫で話していた。そこで聞かれただけだ、餅に合わすにはきな粉かアンコか、お前はどっちだ、と。だからおれは言っただけだ」

「きな粉?アンコ?」

「……おれはこう言った。……おれは、餡が好きだ、と」

「きな粉……餡?アンコ? ……おれは、アンが好きだ…?」


………。………ああ。アン。確かに女の名前にも聞こえるし、好きだというそれは愛の告白をしてるようにも聞こえなくも……




「くっっっっだらねぇーーーー!!!」


テーブルに突っ伏し、大声を上げて叫ぶ。心の底から本当にどうでもいい馬鹿みてぇなやつだった。



「ううう、その通りだゾ……勝手に思い込んで行動する、せっかちなそれは直したいのだが…」

「おれは別にそれもまた愛らしくて良いと思うのだがな…」

「いやいやおれは殺されたくねェから直せ」


両手で顔を覆いながら顔を伏せるシドの頭を撫でるカタクリ。

ああ、そういえばおれが着せた服は剥かれ代わりにヤツの上着を着させ、おれの服は適当にそこら辺に捨てられた。止めろ。



「……だが、そうだな。今回の場合シドのせっかちが問題というよりおれの心が伝わりきってなかったのが問題だ」



ピリッと、悪魔の実の能力か熱を持つのが当然なおれの背中に何とも言えない強烈な悪寒が走った。



「浮気など微塵もする気がないとちゃんと、隅々まで、伝えておく。そうすりゃお前に迷惑なんざかけねェだろ」

「………」


目に写ったのは、産まれてからずっと共に生きてきた兄の見たことのない顔。笑顔。それを見て思う。

……さっきまで怒りの矛先を向けていた義兄に今度は哀れみの視線を向けるしかないと。これからされるだろう、対話でない対話は……



………まァ、兄夫婦のあれそれに口を突っ込む気はない。仲良いしな。おれを巻き込んでこなきゃあな。



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