オルタナティヴ・ララバイ

オルタナティヴ・ララバイ


 男は冷ややかな目で音楽を手に取って、ひとつ、ひとつ、と耳の中で分解していく。

「私が消え去っても歌は響き続ける」

暴論じゃねェか。

 今、正に証明している。梱包された書類の山を処理していくように、おれの耳に届く音の波達、全て、脳を駆け巡り、駆け巡りながら、新鮮味を失って、そうして脳に居着く。

『歌姫はこの音楽の中で生きている』

誰が言ったのやら、浅はかな言葉だ。否……違うな、浅はかだからこそ、この言葉はよく出来ているのか。揺れ動く感情を隠れ蓑に、破綻を誇らしげに伝え広める。そもそも民衆が浅はかだからだ。こんな言葉でも真に受け熱に浮かされる。民衆とは、浅はかなものだ。

 署名し判子を押すまでもう長くない。響きは一度目が肝心だ。繰り返し聴けば次第に生命力は衰え、いずれ死に、記憶になる。動く立体映像、それさえ劣化する。少しずつ色褪せ、引き伸ばされ、元あった価値が戻ることはない。

 どれも良い歌だ。一度きりのライブに行けなかったのが、大変に嘆かわしい……後悔は無い。確かに、同類の匂いはあった。

 匂いだけだ。音楽の神に愛されている、などと持て囃されていたが、この夜逃げを見るに相思相愛ではなかった。流石に、その若さじゃ言い訳も苦しいだろうよ。

 さて、男を責めることを誰が許そうか? 二者間に取り入る力を持つ人間は、おそらく一握りさえいないかもしれないというのに。

 男は、ヘッドホンに手をかけた。体の形が変わり、人の身からは出るはずもない音が、流れる音楽を押し潰すような勢いで重なった。元いた音は時に打ち消され、男がその身をもって書き換える。権利が、個性が、その曲の全てが、互換性を敢えて外された状態での攻撃的な干渉を受ける。

 活動しないってなら音楽家としてのテメーは死んだに等しい。これはあくまで生き返った時のための用意だ。死人に口無しって言うもんなァ……悔しかったらこっちに来いよ?

「Trust me 超楽しい That's all」

男は笑う。自信に煌めくその声は、一人の少女の想いを嘲り続けた。形を主張し続ける泡沫が泡沫と呼ぶに相応しくないと、男は知っている。

 知っているからこそ。

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