杉谷さんの弟子になる話
男主✕生前杉谷さん①
天文十八(一五四九)年より、紀州雑賀庄で岡衆と湊衆で小競り合いが続いていた。発端は高野山より送られる材木の利権争いであった。紀ノ川河口に住まう湊衆の男たちは毎日のように岡のもとへ攻め入り、しつこく矢軍を仕掛けてきた。浄光寺の道場主、岡了順は倅の吉正を含む係累らと共に城に籠り、連日迫る湊衆を退けている。曲輪付近の門に武装した男たちが並び、燦燦とした蒼天が野太い歓声に覆われる。
岡衆と湊衆は鉄炮使いと有名な雑賀衆の一派で、雑賀五組の内土橋氏を頭とする雑賀庄に属している。しかしその中は極めて険悪で此度のような出入りは珍しくない。
中之島に住む当時十二歳の少年は見物がてら岡のところへ通っていた。親族が岡に多くいたためでもある。小手と脛当てを身に着け、背に弓を担ぎ、腰の空穂には十筋の矢を差して。少年は弓と鉄炮が得意だった。先日も湊の有力者である観阿弥を射抜き、負人の五郎左衛門を救って父からも大いに褒められた。にわかに自信を得た少年は更なる武功のため山を下り、木々の隙間から四、五本矢を放った。しかしいずれも的から外れ、危うく追われるところであった。
「なんか最近調子ようないなあ。気ぃ逸って手元が狂うちまう。何があかんのや?相手を人と思てるのが良うないんか。歩く大根に見えたらええんか」
少年は嘆いた。しばらく岡から距離を置き、夜遅くまで土橋の家で巻藁に矢を射る稽古に励んだかどうも手が震える。繰り返しとなえる観音経もところどころ断線し、均衡を失って矢が外れる。
「あかん。近ごろは脚も震えてくる。いっそまいっぺん岡に行った方がええかもしれん」
荒療治じゃ、と思ってのことであったが結論から言うと効果は無かった。
いつになく多くの人数で攻め入ってきた湊衆の群れで浜は陰で真っ黒に染まっていた。ざっと二千人はいる彼らに対し、岡の城には百人程度しか兵がいない。土橋の後援も待つこともできない。了順は顔色を変えて撤退を呼び掛けている。
「おまんも逃げるんや。最近弓の調子が良うないて言うてたが、おまんは確かに見事な射手であるはずや。そんなやつをここでくたばらすわけにはいかん。速う逃げよらえ」
吉正が肩を掴んで促す。なおも躊躇していると、横から兄源太夫の手が伸び少年を抱えて走り出した。城を出ると湊の男たちがイノシシの群れのように襲い掛かり、矢の雨が飛んできた。うち一矢が源大夫の肩に刺さる。
「兄やんっ!」
「脚とちがうさけ心配すんな」
そう言ったが、兄の額には僅かに脂汗が滲んでいた。少年は遠くなる城の方で見知った顔が湊衆に薙ぎ倒され、三本の槍で貫かれるのを見た。雑賀川まで逃れた源太夫は肩に刺さった矢を抜き、荒い息を吐きながら紐で傷の周りを縛った。湊の矢には毒や糞が塗られている可能性があったからだ。
「弓や空穂をほかせ。ただの童のふりをして渡し場へ行くど」
少年はひたすら兄に従った。初めて見る修羅の光景に肝を潰し、日に焼けた膝を震わせながら荒内を経由し故郷の中之島へ船を漕ぐのであった。
②
湊との出入りから一年後、元服した少年は源左衛門という通称と佐竹義昌という諱を得、更に二年後には雑賀庄の頭領土橋胤継の勧めにより今の岩出市に位置する根来寺への入山が決定した。
根来寺といえば当時に於いて最高の学問の場であるとともに、最大規模の行人(僧兵)集団根来寺衆を抱えていたことで有名であろう。室町時代より多数の荒法師が属し時に武力を以て紀北や泉南へ光当るところを拡げ、その力は多数の土豪を惹きつけた。
土橋氏は数千ある寺院を代表する四旗頭の一つ、千識坊の院主でもある。少年はその門下たる福光院に属することとなった。
寄親より|慶誓《きょうせい》という法名を賜ってから間もなくのこと。福光院がある蓮華谷の空き地で弓の稽古をしている最中、善住と名乗る男に会った。伊勢国の出で三宝院門下の行人という。三宝院といえば西谷にある|杉坊《すぎのぼう》門住の子院である。
イトトンボの尾のような目尻に栗色の瞳。薄のように柔らかな髪。顔は整っている方であるが、声は朝露のように穏やかで根来法師らしい荒々しさは見当たらない。冬が去る頃、普段歩いている山道でやけに生命力に満ちた一輪の花を見つけたときのような好奇心に似ているといったところか──慶誓はなぜか目を釘付けにされた。
実のところ彼は最近まで思い通りの矢が放てずにいた。他方周りの大人たちは上達を認めており、それゆえ土橋も根来寺へ入山させたのだが彼だけは長いこと闇を彷徨っていた。それでも懸命に俯きながら弓の稽古に励む彼に、善住は前触れもなく声を掛けた。
「おまん、どこそで会うたか?」
「いや、深く悩んでいる様子だったから声を掛けた。折角良い弓の腕をしているのに勿体ない」
属している子院も過ごす谷も違うのに何用かとはじめは訝ったものである。
「おせっかいなら結構や」
「栴檀は二葉より薫しと言うだろう。佳い草花は育てたくなる性分なんだ。それにお前さんはこれから特に輝くと見た」
「それお決まりの口説き文句やったりしやんよな」
「神仏に誓って言うが、ここまで熱心になったのはお前さんが初めてだぞ。さもなくば無視している」
慶誓はゆっくり向き直り、じっと善住の顔を伺う。頭領の土橋や門徒年寄衆の了順の横顔を見てきたため、大人の世界にある色には敏くなった。そして眼の前にある夏の暁のような朗らかな笑みには、ほとんど影が見えない。
(孫一と同じくらいの年にめえるが、雰囲気は真逆やな。いかにも人懐っこそうで、愛嬌がある)
「ほな、一日くらい頼んどか」
長年の不調で鬱屈していたこともあり、つい彼の誘いに乗ってしまった。内心で弱っているなと自嘲する一方、この前向きな姿勢に期待を抱く。
「では今から日向ぼっこに行ってもらう」
「日向ぼっこぉ?」
「ああ、そうさ。まずお前さんのその悪い癖から直さなきゃならん」
理由を問う間もなく彼は手招き、蓮華谷川に沿って歩き出す。腰まで伸ばされた茶色の髪が弾み、慶誓の足は風に誘われるネコのように軽く浮く。桃坂峠の方向へ登り、峠道の藪を越えてしばらく歩くと円く開けた空間に出た。そこは高い木々が緑の天井を作り、足元に緑の網を敷いている。木の根元では小さな花が群生し、湿った風に乗って芳しい香りが漂っている。善住はやにわその場に寝転がり、慶誓にも倣うよう促した。
「どんな道も安定した心がないと顕れてくれない。焦りを残したまま打っても、矢はその迷いで墜落する。だから、一旦自分を消してみるんだ。力を抜いて、目を閉じて、土や風に身を任せて」
半信半疑で隣に寝転がると、柔らかな土の感触が背中を包み、肌に透ける木漏れ日がまぶしい。広がる空には鳶が輪を描き、空は青々と高く澄んでいる。思わずあくびが漏れた。目を瞑るとたちまち意識がとろけていく。
なぜずっと思い通りの矢が放てなかったか。功を挙げようと逸っていたらから? 人の死を前にどこかで怯んでいたのか? 正しい答えは見出だせないが、微睡む意識と鮮やかになる感覚の中であるものが瞼の裏に湧き出した。それは冷たく、雲一つない空のように爽やかな光芒。二つの眼と両指の先、両足の裏まで糸が繋がる感覚に目が冴える。右手を廂にして空を仰ぐと、善住が覗き込んできた。円い目は陰ってなお穏やかな光を宿している。
「うん、少し良い眼になった」
彼はいつの間にか足元に落ちていた枝で的を作っていた。そして携えていた弓矢を慶誓に渡すと、「今から投げるから撃ってみろ」と言って距離を取った。麻の手甲で覆われた手が浅い弧を描き、木の的が宙へ抛り出される。
慶誓は無言で矢を番えた。丹田を意識し、刹那映った的との縁を固定する。耳は一切の音を捉えず、放たれた矢は一直線に的へ向かって突き進んだ。直後、乾いた音が鳴った。あの程度の的を当てるなど目を閉じていてもできることなのに、なぜか安堵を覚えている。今の感覚を忘れないうちに二射目、三射目を放つが、段々と例の感覚が薄れていく。思わず舌打ちをするとやにわ、善住が頭を撫でてきた。
「焦るな、焦るな。一日で治る薬なんてないさ。ところでうちの角場で鉄炮撃っていかないか。感覚としちゃ弓矢と通じるところがあるし、役に立つだろうよ」
善住は慶誓の手を握りながら今度は峠道を下っていった。杉坊は山の麓、蓮華谷川のそばに位置している。ちなみに五之室堂を挟んで手前に立っているのが千識坊である。善住曰く杉坊には数百人もの僧侶が在籍しているが、高価な鉄炮の練習が許されているのは、院主妙算や彼の兄にして鉄炮伝来の立役者たる算長から直接指導を受けたごく少数の行人に限られている。善住は入山こそ最近であるにもかかわらず、弓の腕でその権利を得たという。
「荒法師がようさんいる杉坊でそれとは、おまん、ええ射手なんやなあ」
「昔から剣や槍がからっきしなんでな、せめて弓くらい上手くならんと今の世の中やっていけねえ。それにそういうお前こそあれほどの雑念の中で確実に矢を当てられる時点で天才の域だ。そしてそれゆえ、周りの人間はお前の中にある焦りに気付かなかった」
指摘の通り慶誓は長いこと闇の中で迷っていたが、誰も自分の周りにある影に気付かなかった。もしかしたらだが、気付いた上で見過ごした人もいたやもしれない。しかし善住は違う。
「ほんでおまんはなんで気付いてん?」
「傑物ってのは光って見えるものなんだ。そして俺はたまたま蓮華谷で点滅した星を見つけた。遮二無二に弓の稽古に励むお前さんをな」
「わいは星か」
「今はまだ小さな星だが、いつかは明星のように輝くだろうよ」
杉坊の角場に着くと、善住は二丁の六匁火縄銃を持ってきた。紀州に鉄炮を持ち込んだ寺院だけあって、ここは多くの鉄炮や火薬などを所持している。聞けば最近安く薬を仕入れるための海路を確保したところという。土橋の家ほどの遠慮は不要だろう。手際よく薬を込めると、善住が「慣れてんな」と呟いた。
「雑賀じゃあわいほど鉄炮がうまい奴はほとんどおらなんださけな。見とけ」
十七間離れた藁束を狙い、引き金を引く。激しい銃声が二つ、晴れた境内に木霊した。傍にいたスズメが飛ぶのとほぼ同時に、藁束の中心から煙が噴く。煙は風に煽られてたちまち消え、山の向こうへと消えていく。隣の藁束にも穴が開いているのを見た慶誓が振り返ると、更に離れた位置で善住が鉄炮を下ろして笑っていた。まぐれでないことは顔を見ればよく分かる。
「他の奴らもやるんか、その無駄に長距離からの射撃」
「こんなことすんのは俺くらいなのは確かだけど……、狙撃ってのは一発勝負ってのがいいんだよ。誦経しながら狙い定めているとすうって心の中が澄み渡ってくあの感覚が好きなんだ」
「そりゃあ、目と指先と狙いの縁を感じてるちゅうことか。わいがさっき感じてた」
「そうかもな。……なあ、慶誓」
歩み寄ってきた善住は低い位置にある慶誓の肩に腕を回し、顔を寄せて言った。土と草と、香の匂いが染みた風が男の頬をくすぐる。
「お前さんも狙撃、やってみないか? これは俺の勘だがお前さんはもっと化ける」
「は、わいは天才やのに、ますます強い奴になっちまうか」
「そうだな。お前は現代の那須与一にもなれる。お前の内にある星は俺が見てきた誰のものより光り得る」
「そうけ。そがに褒められたらやる他ないなあ」
慶誓は鉄炮も弓も好んでいる。加えて靄が少し晴れた開放感もあった。この世話焼な男のことを早くも好ましく思っている。
(ま、これもなんかの縁ちゅうやっか。阿弥陀さまの御計らいなら大切にせなあかんな)
斯様なことを考えつつ彼は善住の申し出を承諾した。斯くして二十歳で還俗するまで慶誓は武者修行の傍ら狙撃という技術を習得することになる。
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これが最も役に立ったのは天正四(一五七六)年、大海の砦が中川瀬兵衛に攻め入られた時のことであった。
名を源左衛門に戻した彼は中川勢一四〇〇、五〇〇人に味方を総崩れにされた後、残った二四、五名と共に城を守った。源左衛門は五丁の鉄炮を抱えて櫓に登り、玉込めは従者に任せ、自身は狙撃に徹することで中川勢を退けた。敵方の死傷者のうち八割は自分の鉄炮によるものと彼は自著にて豪語している。
③
「蓮華谷と菩提谷の調停は決裂した。じきに山分けの出入りが始まるぞ」
水月の半ば、三宝院の者どもが揃って朝餉を取った後のことであった。善住は同じ子院に属する長尊という行人から昨日の寄合の結果を聞いた。横ではとろと呼ばれる俗人が興奮のあまり立ちあがり、太夫がその尻を引っ叩く。とろは情けなく尻餅をついた。
ここ数年杉坊には非運が続いていた。
まずは院主津田妙算の急死。これは兄算長が倅を次の門主として立てたため跡式の出入りなどには至らなかった。
第二に出入りでの鉄砲使用の禁止。御山の出入りには「根来寺之法度」という不要な犠牲を出さぬための決まりごとが幾つかあるのだが、前回の三方集会で先のことが付け加えられた。かねてより鉄炮の導入以降人死にが増えていたことに加え、多数の鉄炮を持つ杉坊の伸長を恐れた他三院によって法度にこぎ付けられたという。
そして最後、野分による土砂崩れに伴い菩提谷と蓮華谷の山稜が一部崩壊。根来寺境内は大きく四つの谷──蓮華谷、菩提谷、西谷、小谷に分かれ、領地ごとに水利や伐採権を持っている。善住らも薪や水は西谷領にある山や川から採っているのだ。しかし野分や豪雨のような天災に見舞われると度々谷間の境界が崩れ、此度のような出入りの原因となる。加えて今回の場合は蓮華谷側にあった千識坊の子院福光院が急遽増築を行ったのだ。所領を巡る話し合いの前に斯様な暴挙にでるなどと、双方ではそれは醜い口喧嘩が行われたとか。
また数日後、いよいよ蓮華谷と菩提谷の出入りが始まった。出入りの見物は御山の人々にとって数少ない娯楽の一つであり、日が昇るほど塀や子院の屋根に登ってくる奴らがぞろぞろ出る。善住は混み合わぬうちに早速軒を連ねる子院の屋根を上を飛び移ったりして蓮花谷と菩提谷の境へと走っていった。境内の中心を南北に流れる大谷川へ至ると足止めの為だろうか、菩提谷の者たち十人ほどで橋板を外し、背後に同数控えている。
(左京院にしてはかなり人数が少ない。他所に出張っているのを呼び戻すまでの時間稼ぎのつもりか)
彼らはこの先にある七番空き地にて本陣を構えていると聞いていた。ならば蓮花谷の者たちとはここで最初の一戦を交えることになるだろうと、善住はそばにあった松の木に飛び移り太い枝に腰を掛けて待つことにした。眼下で鈴なりに並ぶ見物客らの向こうに、やがて一人二人と蓮花谷の法師がやってきた。胸まで髭を伸ばした痩躯の男、延命院のひげ良泉は肩に鑓を抱え川の向こうの敵に何か叫んでいる。生憎善住のところまでは聞こえないが、大方挑発を兼ねた口喧嘩でもしているのだろう。後に続いた荒法師たちは剥がされた行桁の代わりに付近の板塀を外して並列する桁に乗せていく。良泉は橋が直りきらぬ内から仲間の脇を抜けて向こう岸へ跳び移り、待機していた敵と対峙した。
(下流に走っていった坊主が淡輪二位。それに)
善住は呟く。左手の小径から黒漆の甲と銅丸、籠手を身に着けた慶誓が駆けてきた。まだ十八という若さだが壮年の荒法師らの中に居ても見劣りしない老成した目と筋骨は遠くからでもよく分かる。此度は鑓一本で戦うつもりか弓も空穂も背負っていない。彼も良泉に倣って直りかけの橋の上を駆けて向こう岸へ跳び、勢いを殺さぬまま手前の行人に向かい鑓を振るった。敵方からは弓兵も罷り出たが間もなく蓮花谷法師の勢いに気圧され千手堂の方へと後退していく姿が見える。善住は木から降りて後を追った。向かう先は菩提谷勢の本陣、七番空き地である。其処では菩提谷勢の大将であり左京院の門主往来左京と中巻の名手と名高い弁才天の長板泉徳院が待ち構えていた。ここでも慶誓は勇ましく突き合いを始めたが、後ろにいた吉礼二位という弓使いの一矢が彼の踵を貫いた。善住は思わず屋根から降りそうになったが、矢をかなぐり捨てる姿を前にし足を止めた。甲で顔がよく見えないが焼けた肌に脂汗が照っている。しかし慶誓は屈さず、今し方福光院親方を退けた左京と渡り合った。左京は菩提谷随一の勇者と謳われるだけあって獅子奮迅の勢いで鑓を振る。慶誓は防戦を強いられ、汗を飛ばしながらやがて袖が空くのを見た。即座にそちらに向けて槍を突き出し倒さんとしたが、左から降ってきた一撃が慶誓の頭に叩き込まれた。中巻の名手、長板泉徳院だ。彼は慶誓を倒すと彼の上を跨ぎ、傍にいた大福院大弐に猛攻を仕掛けた。彼の全身が七、八度も切られる様を見送りつつ慶誓はよろよろ立ち上がって撤退し、善住は今度こそ屋根から降りた。
「派手にやられたな、慶誓」
慶誓は甲を腕に抱え左足を引き摺りながら五坊小路の方へ歩いていた。
「おう。噂に違わぬ武者者やな。親方も太刀打ちできやんわけや。ああ、頭ぐらぐらするぅ……」
腕に抱えられた甲を見る。黒漆のそれは十二枚ある板の内四枚が割られていた。矢を受けた足を見ると、鏃が肉に刺さっている。かなぐり捨てた際に先が外れてしまったのだ。福光院は山を登ったところに位置しており、この足で帰るのは楽ではない。善住は慶誓の脇に腕を通し背中に担ぎ上げた。
「おい、やめんか」
「不具になられたら堪ったもんじゃないから、無理にでもおんぶさせてもらうぞ。後で良い金創医も呼ばないとな」
「鉄炮買うための銭貯めとるて言うてたやろ」
「気にすんな。今すぐ欲しいもんでもないし、新しい法度のお陰でこれから値下がりする。待つほど質も上がるだろうから好いもんと出会い易くなると思えば大したことないさ。それにしてもお前、おぶって判ったがかなり重いな」
「わいの足より先におまんの腰がやられるかもな」
初めて会ったとき、慶誓の眼は善住から見てやや下にあった。しかし今はすっかり追い越されてしまった。過酷な武者修行で筋肉も付き、岩のように硬く重い。それでも善住は山の往来に慣れていたため確かな足取りで福光院の方へ登っていた。
④
鷺森源左衛門は夢を見ていた。
十年餘に渡る信長公との戦い、後代にて大阪本願寺合戦と呼ばれた戦の終わり。坊官や雑賀の門徒たちは門主顕如に従い和睦する者、新門教如に従い抗う者に分かれていた。鷺森源左衛門は表向きこそ土橋や岡に追従する形で後者に付いていたが、あれは安宅氏より預かった大海の城にいたときであった。
「新門殿に鷺森へ移るよう諭せ。おまんの言葉なら耳を傾けるやろうよ」
墨染の瞳がぶつかり合う。男、鈴木孫一の声はオオカミのように低く通る。群れを先導するに相応しい声である。
「おまんは引き際を弁える男や。このまま抗うても本願寺のためにはならん。寧ろより脅かされるだけやと、ほんまは分かっとるやろ」
武田や上杉の死、荒木や別所の敗戦、雑賀海軍の大破──状況は門徒たちにとっても芳しくない。神妙に降参すれば信長公もこれ以上の攻撃を加えないのだからいたずらに争うべきではないのも事実である。
「これ以上夢を見るなと了順らに伝えとけ、源左」
言うだけ言って彼は去った。
それから源左衛門は教如を説得し、嘗て自身が寄進した鷺森の別院に移動させた。一方親族である土橋と岡らは依然として反信長の姿勢を保っている。本願寺と雑賀庄の狭間で源左衛門も板挟みとなっていたときであった。
一五八二年一月二七日、土橋若太夫が死んだ。
信長の支援を受けた孫一が粟に攻め入り若太夫に切腹させたという。その後も彼は城を焼き払い、係累を殺害あるいは追放した。根来寺四旗頭が一つ千識坊も討ち死に、首は安土城下の百々橋に晒された。
「信長の許しを得た上であるなら、これは彼の意向でもあるちゅうこっちゃ。それに雑賀は長きに渡り君主を持たん国でいたが、それも終いや。時に権力者に阿ること生存のための術やろうよ」
遠縁とはいえ親族を殺された源左衛門に対し孫一は平然と言った。世は戦国。今日の味方は明日の敵が常の時代。傭兵でもある源左衛門に彼を咎めることはできなかった。
斯くて孫一は雑賀を掌握した。しかしそれも束の間のこと。
六月二日。信長が本能寺にて横死した。間もなく土橋の残党が平井の城に火を放ったが、その頃には既に孫一は雑賀から姿を消していた。
「孫一」
夜半の大火、灰の三日月を前に呟くと、にわかに視界が白んでいく。そして──
「お、目が覚めたか」
木漏れ日のように穏やか声が降ってきた。背中には土、後頭部には何か柔く温かなものが敷かれている。ゆるりと目を開くと、視界は半分が蒼天だが、また半分は陰っていた。理解まで暫しの時間を要したが、庇の正体は女の下乳であった。椿を愛でるような指遣いがそっと顎を撫でてくる。
「魘されていたぞ、源左」
「……善住っ」
「うおっ」
源左衛門は膝枕をされていることを自覚すると同時に跳ね起きた。勢いが良すぎて、ぼすりと下乳が顔にぶつかってしまい再び膝の上に落ちてしまう。
「ややっ、すまねえ。ちゅうか、なんでわいは膝枕されとるんやっけ」
彼の最後の記憶は周回に連れ出されたときである。後ろにいた味方に妖術を掛けてもらい、宝具で敵を一掃したあたりから記憶がない。深い思案により先に善住が答える。
「オベロンの術で眠らされていたんだよ。強力な一撃をぶっ放せる代わりにしばらく眠っちまうんだ。俺もよくやられる。……もう暫し横になっていると良い。ほらよしよししてやろう」
いい年した男としては些か不名誉な扱いであったが、不思議と悪い心地はしない。それは単に相手が善住であるからに他ならないだろう。師だった時期は長くないのに、あの朗らかな眼差しを前にするとどうも力が抜けてしまう。
「悪い夢でも見ていたのか」
「懐かしい景色を見とった」
「へえ、どんな景色?」
「友との、悪うない記憶やった」
「孫一のことか」
「おう」
雑賀五搦の一つ、十ヵ郷の有力者であり雑賀鈴木氏五代目鈴木孫一。源左衛門の戦生前の友でもある。善住は彼の口から比類無き武辺者としてその名を聞いる。
『おまんはわいが明星のように耀いて見えるて言うたな。やったら孫一も同じくらいか、もしかしたらもっと耀いて見えるかもしれんな』
かように言う若き日の横顔は、孫一に対する憧憬に溢れていた。
「羨ましい」と善住坊は思った。
そして、見知らぬ孫一という男を妬ましくと思う自分を彼女は恥じた。なんて、女々しいのだろう。とうに、薄々自覚していたが、精神は新たな肉体に融けている。風邪一つで人格は変わる。まして肉体が女に変化したなら尚のこと、只人の善住坊に流れに逆らうすべはない。
自己嫌悪に浸りながら、善住坊は左頬の銃創に触れた。小競り合いで頬骨に鉛玉を受け、今なお玉はそこに残っているという(ついでに言うと腕にも残っている)。その身で八十以上生きたというのだから呆れるほどタフとしか言いようがない。
「善住? どしたんぼっーとして」
「夢で会うほど、孫一はお前さんにとっていい男だったんだなと」
「おう、てきゃ土橋や岡らにとってはともかく、わいにとっちゃあ賢いし退き際をわきまえるしっぶい男でわいは好きやった」
「だが孫一が土橋を殺し、太田を攻めた。雑賀衆が滅びた一因でもあるだろ」
「それはわいらも同じや。湊に銃を向け、筑前守様が来る前に全て燃やしたな」
源左衛門は笑って言う。そして両肘を使ってゆっくりと起き上り、善住の隣で胡座をかく。前後に恵体を揺らし、はや遠くなってしまった背中を追うように蒼穹を見上げた。
「会いたいか」
「ん~、そこまではええわ。出会いってのは本来一度きりのもんやから」
彼らしい潔い回答に善住は胸の内がすっと軽くなる。詰まった石ころが取ってから好きな玉を転がすように、彼女はささやかな欲を口にした。
「そうか、それは良かった」
「なにがや?」
「何ってそりゃ、折角成長した弟子に出会えたんだ。未練でしみったれた顔しているより好い。あのとき見た光がまるで衰えていない様を見て、俺は心底から安心したよ。……さて、体調は良くなったようだしそろそろ帰るか」
暫し怪訝な目を向けた源左衛門だが、結局彼女の本心は判らなかった。
そして一方の善住はといえば嫉妬心が見抜かれる前に源左衛門を立たせ帰還した。曾ての自分なら孫一を羨むこともなかっただろう。『男は最初の恋人に、女は最後の恋人になりたがる』。そんな言葉が外つ国の本にあるという。
今の杉谷善住坊は間違いなく後者に近かった。
⑤
雑賀庄の男にとって闘争は昔からの隣人であった。
彼らの土地は貧しく、食っていくには船を駆り、畑を奪わねばならなかった。ある者は海へ出て倭寇となり、ある者は根来寺へ入って行人となった。またある者は傭兵として出稼ぎに行く。彼らの生活は多くが殺生によって支えられた。
明慶五年九月、本願寺蓮如は石山に寺院を建立した。
彼は説いた。「如何なる身のものであれ、阿弥陀如来さまが今後の後生をお助けくださると深く恃む人は皆もとに弥陀の浄土に往生させていただくことは疑いなきこと」。流血を伴わなければ生きられぬ者たちにとって、かような教えは救いに他ならない。
鷺森の豪族、佐竹源左衛門も同様であった。少年期から弓と鉄砲を習い、根来寺に入って武者修行を積み、還俗後は傭兵として土佐や熊野へ遠征した。金のために殺生をし、恩賞のために首を取った。首は奪われたこともあれば、奪い返したこともあった。そこには少なからず名誉欲もあったが、やはり自分や手下が食べていくためには必要なことであった。源左衛門に限らず、雑賀庄や十ヵ郷の男たちも同じである。
永禄十三年。将軍義昭とともに上洛した信長が本願寺に矢銭と土地を要求したことを機に、顕如は摂津、河内、紀伊、阿波の門徒へ檄文を送った。
「開山の一流破滅なきよう、門徒の輩は忠節を抜きんずらるべきこと。疾く参ずるよう」
門徒らにとって本願寺の滅亡は希望の崩壊と同義であった。山を守らねば浄土へ行けぬ。故に彼らは命を擲ってでも親鸞聖人の教えを守らんと武器を取る。信心は強固な防壁となり信長の手を煩わせた。就中手強かったのは雑賀門徒衆であった。拠点が本願寺に近い上強力な鉄砲隊を抱えている。最も有名な『鈴木孫一』こと鈴木重秀は坊官下間頼簾と並び大阪左右の将軍と呼ばれていた。
他方、大海の城を預かる源左衛門は人夫を使って壕を堀、壁を修し待っていた。
「ようど訪ねてきてくれた。いだ一当て当てよう。わいの手の程、見しちゃるよ」
大海の城にて源左衛門は叫ぶ。双眸には常よりも鋭い光が宿り、眼前の仏敵を睨めつけていた。片手には鉄炮、もう片手に数珠を握り、欣求浄土・厭離穢土の旗を掲げ打って出る。
「仏祖の報恩謝徳のためやったら、我々の玉は仏敵を貫く雷となる。それ撃て、撃ち拉げ。奴らの足裏の土を本山に入れることなかれ」
彼の喊声に後に食満、本庄の兵も追従する。敵少勢なれば利を得たりと跡を付けた信長軍の前に立ち、後ろを遮り、寄手忽ち切り崩した。堀や沼に追い込み、突き落とし、瞬く間に多数の兵が討ち取られた。
【参考】
神代洞通 編『石山靖難記』,興教書院,1891. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993645 (参照 2024-02-10)
熊田葦城 著『日本史蹟大系』第10巻,平凡社,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1246344 (参照 2024-02-10)