エースと白ひげ

エースと白ひげ


 深夜のモビーディック号。

 自室で眠りに着いていた“白ひげ”エドワード・ニューゲートの耳に、ドタドタと騒がしい足音が聴こえてきた。

 敵襲かとも思ったが、どうにもそういう気配ではない。

 やがて勢いよくドアが開け放たれ、自身の愛する息子の一人である船員が、泡を食ったように転がり込んできた。


「親父、親父! 大変です!」


「何だ騒々しい。こりゃあ一体何の騒ぎだ」


「エース隊長が……エース隊長が戻られました!!」


 その言葉を聞いた途端、ニューゲートは弾かれたように身を起こした。

 無数に繋がれた点滴が何本か外れるが、そんなことはどうでもいい。


 ポートガス・D・エース。

 “火拳”の異名で恐れられる、この白ひげ海賊団の二番隊隊長。

 四番隊隊長サッチを殺して逃げたマーシャル・D・ティーチの行方を追い、こちらの制止も聞かず飛び出していったバカ息子。


「確かか!?」


「ええ、間違いありません!」


「ならすぐにエースの野郎をここに連れてこい!」


「は、はい! 了解しました!」


 船員が慌ただしく部屋を出ていく。

 その様子を見送りながら、ニューゲートは思案を巡らせる。

 エースが帰ってきたことの意味について。


 まさかティーチを仕留めて戻ってきたのだろうか。

 いや、それは考えづらい。ティーチは強い。戦えば必ず大規模な戦闘になるはずだ。

 そうなれば必ずニュースになる。しかしここ最近の世間の話題は“ある事件”で持ちきりで、そのような戦闘が行われた話などチラリとも耳にしない。

 故に、その線は薄いと思われる。ならば……


「エース隊長をお連れしました!」


 船員が戻ってきた。

 その後ろには“不死鳥”マルコやダイヤモンド・ジョズ、“花剣”のビスタといったこの船の主力メンバーたちの姿も見える。

 そして彼らの列を割るようにして、エースがゆっくりと部屋の中へと入ってきた。


「エース!」


 叱り飛ばそうと思った。

 二度と危険な真似はするなと、強く言い含めるつもりだった。

 しかし、エースの表情を見た途端、ニューゲートは言葉を失った。


「親父……」


 何故ならその顔は、いつものように大胆不敵な笑みを浮かべた二番隊隊長のものではなく。

 まるで帰り道が分からなくなった幼子のような、今にも泣き出しそうな頼りないものだったからだ。


「助けてくれ、親父……」


 エースは言う。搾り出すようなか細い声で。


「このままじゃ……このままじゃルフィとウタが死んじまう……もう親父しか頼れる人がいねえんだ……」


 ルフィとウタ。

 今やその名を知らぬ海賊は存在しないだろう。

 “英雄”ガープの肝煎りにして、クロコダイルの魔の手からアラバスタを救った次代の英雄。

 そして同時に、今や世界を敵に回した大罪人。

 天竜人に乱暴狼藉を働き、そのまま野に下り落ち延びたという……


「あいつらは……あいつらはおれの弟と妹なんだ。道は分かれちまったけど、それでも大事な家族なんだよ……」


 エースは訥々と語る。

 ニューゲートはそれを、ただただ黙って聞いていた。


「でも、今のあいつらの敵は強大過ぎる。おれ一人の力じゃとても守りきれねえ。だから、だから……」


 と、そこでエースは膝から崩れ落ちた。

 両手を床に付き、額をぶつけかねない勢いで頭を下げる。

 それは土下座という、ワノ国における座礼の最上位に類似する様式。


「勝手なこと言ってるのは重々承知してる! こんなこと言えた義理じゃねえってことも! でも、どうか後生だ! ルフィとウタを……おれの家族を、助けてくれえェッ!!!」


 もはや悲鳴に近い叫びが、深夜の室内に響き渡る。


 そうしてしばらくの間、不気味なほどの静寂が場を支配した。

 まるで時が止まったかの如き静けさ。

 それを破ったのは、一人の男の声だった。


「野郎共ォッ!!!!」


 エースの叫びと同じかそれ以上の声量が、他ならぬエドワード・ニューゲートの口から放たれた。

 偉大なる船長にして敬愛する父の声に、その場にいた船員たちは一斉に姿勢を正す。


「進路変更! 目標、モンキー・D・ルフィと歌姫ウタ! 海軍共に先を越されるな! 全速力で駆けつけるぞッ!!!!!!」


 うおおおおおおおおおお!!!

 船員たちが雄叫びを上げる。

 頭を下げていたエースが、おずおずとその面を上げた。


「親父……」


「お前の愛する弟と妹ならよォ」


 そこにあったのは、限りなく優しい微笑みだった。

 手のかかる息子を眺める、暖かな父の瞳である。


「そりゃあおれの息子と娘も同然だなァ。なら、何があろうと助けてやらねえとな、エースよ」


 瞬間、エースの頬を透明な液体が伝った。

 それはとめどなく溢れ出て、床にポタポタと流れ落ちていく。

 それにも構わず、エースは再び深く頭を垂れる。


「ごめん、ごめんなぁ親父……こんな迷惑かけて……」


「バカ野郎。息子の真剣な頼みを迷惑だと思う親がどこの世界にいやがる。んなくだらねえことで謝るな」


「……ありがとう」


 ニューゲートはそんなエースの頭をくしゃくしゃと撫でつけた。

 不器用で乱雑、だけどどこまでも大きく頼もしい父の手のひらの感触を、エースは感じ取った。


「行くぞエース。おれたちの大事な家族を迎えによ」


「━━ああ、親父!!」


 そうしてモビーディック号は、大きく進路を変更する。

 世界最強の男。

 何よりも家族を愛する四皇“白ひげ”が、家族のために重い腰を上げた。

 この海に生きる者ならば誰もが知る最も恐るべき事態を前に、世界は果たしてどう動くのか。

 時代のうねりはもはや、誰にも止められないほどの暴走を始めていた━━。

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