エンカウント
33「こっちだ」
「—————ッッ!!!?」
突然腕が掴まれたことに驚愕する相手をよそに、ローは路地裏に入りこんだ。いきなり引っ張られたことと、振りほどこうとしても能力が使えないことに相手がひどく動揺しているのが腕越しに伝わる。それが互いの手の間に挟まれた海楼石の埋め込まれたブックマーカーの仕業であることを知るのはローのみだった。『お守り』だとそれを渡してくれた彼は、本来であればローもその影響を受けるはずの存在であることを知る由もない。
しばらく無言で路地裏を駆けた。時々、体格の大きなものは通れないような建物の隙間を通る。ようやく二人が止まったのは、大通りの喧騒から大分離れた人気のない十字路だった。少しだけ息を荒げている相手をちらりと一瞥して、先ほど来た道とは別の道を差してローが言う。
「ここをまっすぐ行けば海兵に見つからずに町を出られる」
「……!」
息を整えている相手は、『今は』ローよりも高い身長に長いフード付きマントを羽織っているため建物の影も相まってその表情ははっきりとは見えない。それでも滲み出る警戒の色を感じつつも、ローは平然と告げる。
「ただの気まぐれだ。信じるかはあんたの好きにしろ」
「………あなた」
少しの間の後に声が上がった。こちらもローがよく知るものよりは高いが、潜むような低音の響きだった。
「さっき町で海兵と……将官コートを着た人と一緒にいるのを見たわ」
「………」
「彼に私を突き出さないの?」
「なんだ、海軍に捕まりてェのか?」
ローのその返しは予期していなかったのか、相手の声が詰まった。暗に混ぜた『死にたいのか』という問答は伝わったのか否か。
ややあって相手の緊張がふっと切れた、ような気がした。頭を振ることでフードの中の黒髪がパサパサと音を立てる。
「いいえ。どんな思惑があろうとも、あなたが恩人であることに変わりはない。ありがとう」
それだけ言って相手は差された方角へ足を進める。速足で去ろうとする相手をローは呼び止めた。
「待て」
相手の足が止まるが、こちらには振り返らない。かまわずに背中越しに告げる。
「一つ言っておく。おれは政府も海軍も好きじゃない」
「………」
「ただ……海兵の中にも優しい人がいると知っているだけだ」
最後に返された言葉は、ローの良く知る『彼女』を思い起こさせる穏やかな響きだった。
「そうね……それは私も、よく知っているわ」
”また会えたら”とは言わなかった。
相手はどう思っていたのかはわからないが、ローはそれが、未来の必然であると知っていたからだ。