ウルトラ・ワン

ウルトラ・ワン

福永騎手の勇退

ずっと続くと思っていたものがあった。「永遠なんてない」なんて聞き飽きるぐらい聞いていたのに、その意味にその瞬間まで気付けなかった。

大切な人がいたんだ。偉大なる"英雄"ディープインパクトと同じ世界、無敗三冠という夢物語をともに追いかけ、つかんでくれた人。落ちぶれ、バカにされてもその手を離さずにいてくれた人。

終わりなんてないと思っていた。僕がその足を止め別の世界に旅立っても、きっとあの人は戦い続けるのだと思っていた。もしスランプに陥ったなら、今度は僕がその背中を押してやろうなんて考えていた。そんな馬鹿げた発送は、波紋一つ立てず消えてった。

「コンちゃんの担当ってユーイチだよね」

「はい。それがどうかしました?」

いま思い返すと、この時聞いたことが悔やまれる。いずれ知っていただろうが、それでもあの人本人から聞きたかった。

「これ見てよ。あいつ引退だって。」

先輩のスマホには一切の不調はなかった。味気ないフォントのニュース画面には、まるで1000年そこに鎮座していた大木のように堂々と[引退]の二文字を照らし出していた。

声の一つも出せなかった。顔がピクリとも動かなくて、不思議と呼吸ができなくなった。先輩はそんな僕をみたとたんスマホを捨て背中をさすってくれた。なんとなく胸の奥にあった忌避感が消えたのは、その時だったと思う。

そういえば先輩も同じ担当だった。そのわりにショックを受けている様子があまりないのが不思議でたまらなくて、つい質問が出た。

「…なんで先輩は…そんなに平然としてるんですか…」

 先輩は本気でギョッとしたような顔を浮かべたあと、キリッとしているようなほやっとしているようなよくわからない顔に戻り、言葉を並べた。

「まあ、確かにぼくも少なからずショックを受けたよ。でも、コンちゃんほどじゃない。ぼくの場合は主戦だっただけだ。最後のあたりはスミヨンさんだったしね。でもコンちゃんは三冠取ったときも勝ちきれなかったときも最後のジャパンカップすらもユーイチだった。思い入れは大きいよね。」

 その言葉に表裏はない。心の底から出た優しさ。喉につかえてた石が吐き出せた気になった。

「引退式は三月四日だって。コンちゃんさえ良ければなんだけどさ、一緒に来てくれる?」

やさしいんだ、この人は。僕が責任に感じたりしないように、お願いする形で誘ってくれた。「辛いなら断ってくれていいよ」なんて、赦しを得た気分になった。

「…行きます。」

〜当日〜

阪神競馬場に、多くの人が集まった。

あの人の先輩、後輩が数多く出席し、あの人の父さんまで現れた。

あの人は笑顔だった。それに救われている自分と、あの人はもう未練はないんだと悲しむ自分がいた。脳がぐちゃぐちゃ揺れる。上下左右も分からなくなる。別に死ぬわけじゃない。二度と会えなくなるわけじゃない。それでも、心が吹きすさぶ硬い風に折られそうになる。その度にエピさんは背中をさすり、優しい言葉をかけてくれた。

ありがとうございます、というためにうつむいていた顔をなんとかエピさんの方に向けようとした。その時だった。

雲に隠れていた光の柱が、エピさんを照らしていた。その光に包まれたエピさんの姿が、まるで神様のように見えたことは、誰にも言えない僕だけの秘密。

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