ウマムスタン芸術史(主に絵画史)に関する考察(1850年代まで)

ウマムスタン芸術史(主に絵画史)に関する考察(1850年代まで)



中央アジアの美術に関する情報が結構少ないので憶測が結構混じる。

ウマムスタン成立以前のウマムスタン地域は、ペルシア美術の影響を大きく受けていた可能性が高い。1800年ごろにはすでにムガル絵画が結構衰退してるから、ウズベク地域はもちろんのこと、アフガンに関してもペルシア美術の影響が大きくなっているだろう。

そのため建国初期、1800~1820年ごろはガージャール朝ペルシアと同じような絵画形式、およびミニチュアールが流行していたと考えられる。参考までにこの頃のガージャール朝ペルシアの絵画はこんな感じ

ちなみにガージャール朝の絵画はそれ以前に比べて西洋の写実画の影響を結構受けている。


さて、1820年以降、ガリアとの交流が進みウマムスタンは西洋の制度を参考にしつつ本格的な近代化を始めていく。ここら辺で西洋から直接絵画の技法も輸入されてくるだろう。この当時の西洋画壇は新古典主義とロマン主義の争いが始まっていた頃だ。ナポレオンが新古典主義を支持したこと、ロマン主義を確立したドラクロワがキオス島の虐殺なんか描いちゃってくれてるのでウマムスタンに輸入されたのは新古典主義が主だったと思われる。国家によるプロパガンダにも新古典主義の方が使いやすいしね。もちろん芸術家なんてそこらへんの事情とか気にせず自分の気に入った技法を取り入れるものなのでロマン主義の思想も結構入ってくるだろうが。

ただ、当然ウマムスタンは西洋の古典には興味がない。よって描かれる場面はペルシア神話や三女神神話、あるいはプロパガンダに用いるために戦争や急速に進む工業化、農業化に関する絵が多く描かれるだろう。要するに社会主義リアリズムや日本における官展系的なやつである。

ちょっと時代を先取りしてしまうが、ソビエト時代の中央アジアにおける有名な画家、ニコライ・カラハンのような画家が生まれているはずだ。下は個人的に好きなカラハンの絵。


戦争系の絵画なら


このように西洋絵画を学んだ画家が増える一方で、古来からのイスラム美術を発展させる者も出てくるだろう。ガージャール朝で言えばサニ・アル・モルクのような画家も同時に生まれているはず。例えばこんな感じの

これら二つの美術が並行して進化していたと思われる。中央アジアは中国の影響も強いので水墨画も一部で流行ってるかな?

こうした展開が1850年代まで続いていたと推測する



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