少女

少女


 それを拾ったのは、正しく偶然だった。

 滅びた孤島に捨て置かれ、もはやその月日も数えるのをやめた頃。

 それでもぼんやりと海岸を散策していた自身の足元に、それが埋まっていることに少女は気がついたのだ。

 一見して、普通の電伝虫に見える。電伝虫というものは初見ではない、かつて親と慕った者たちの船にて見たことがあった。触らせてもらったことはないけれど、だから、使い方はなんとなしに理解していた。

 側面にSSGという文字が記されていて、どうも義父たちが使っていたものとは少し違っているようではあったが、簡単に傾け傾け見てみれば、擦り続けてすっかり掠れゆく記憶の中にあるそれとほとんど類似のもので、使い方にもそう違いはないだろうと見て取れた。

 だから、少女は、ボタンを押した。

 何が映っているのだろう、という、死にかけの好奇心で。

「……ぁ」

『え、なに?』

『なんか映った……!?』

『誰? 女の子?』

『おかあさーん! 電伝虫壊れたー!!』

「あ、えっと、あの……!」

 一人ぼっちだった少女は、絶海の孤島で、その場にいながらにして、世界の人達と、そうして、繋がったのである。


 それからの日々は、色褪せた日常が一気に鮮やかになって、目が眩むほどであった。

 色んな話をした。色んな話を聞いた。そうした中で歌を披露して、思わぬ称賛を浴びた。

 漫然と受けさせられていたレッスンが実を結んだのだと実感して、少女の瞳に涙が浮かぶ。

「無駄じゃなかった……私のこれまでは、無駄じゃなかった……! まだ、歌でみんなに喜んでもらえる……!」

 船の中、或いは小さな村の酒場、或いは風車の林立する平原で。かつて、少女は誰かのために歌った。その誰かが喜んでくれるのが嬉しくてたまらなかったことを思い出した。

 大切にしまい込んでいた記憶の中に、一つの絵が浮かんだ。大事に大事にしまっていた、一枚の絵。時折取り出し眺めていた古ぼけた絵。少女より少し年下のやんちゃな小僧、彼の下手くそな、だけど温かい絵だ。

 歪んだ形の麦わら帽子。おれたちの新時代のマークだ、と彼は笑っていた。

 とくん、と小さく胸が弾む。もし、もしかしたら。万が一だけれど、もし、この配信が、彼のもとに届いたら。

 彼は、気づいてくれるだろうか。少女があの日の幼い女の子だと、思い出してくれるだろうか。

 二度と会えないと思っていた彼に――彼らに――もしかしたら。そう思うと居ても立ってもいられなくて、少女はたどたどしい手付きでアームカバーにそのマークを縫い上げた。

 その日から、それが少女の――歌姫ウタの象徴となった。

 電伝虫が、じっと少女を見つめていた。


 ゴードンの行うレッスンへの向き合い方は、日に日に真摯なものになっていった。

 いままでの、受けさせられているという感情から、もっともっと上手になるために、という貪欲さ。

 ともすれば前のめりになりがちなその感情のままに、少女は砂が水を吸うように技術を吸収していった。

 当然、その有り様はレッスンを行っているゴードンにも伝わって、

「ウタ、最近、随分とやる気に満ちているね」

「あ、わかっちゃう?」

「当然だとも。伊達に長年一緒に過ごしていない。……久しぶりに明るい顔が見られて、私も嬉しいよ」

「えへへ、配信のおかげだね。やりがい、って言うのかな。そういうのができて、心に貼りがある感じなんだ! 私、いま、毎日がすっごく楽しい!」

「そうか。それは良かった。だが、無理をしてはいけないよ。いまのウタは、少々やる気が先行しすぎて居るように思えるからね。体調の管理はしっかりと」

「わかってるよ、ゴードン。私だって音楽家の端くれだよ。お客さんを悲しませるようなことはしない」

 少女は、殊音楽に関しては天稟と称しても憚りのないものを持っていた。歌も、ダンスも。楽器の演奏に関しても、日毎目に見えて上達していく。音楽の国エレジアの王、ゴードンをして天使の歌声と呼び表されたその才能は、このとき、急激に花開き大輪の花を咲かせたのである。

 映像の向こう、それを視聴する観客たちも、日を待たず魅了されていった。

 世は正に大海賊時代。無法者が世に蔓延り、それの皺寄せは弱き者へと向かう。過酷な日常を過ごす弱者たちの、一時の心の安らぎがその歌だった。

 始めは一般的に知られている歌だった。少女の世界は非常に狭いものであったが、義父たちが挙って楽譜や音楽関係のものを買い与えていたため、またエレジア内にも多数の歌唱用の楽譜があったため、レパートリー自体は豊富だった。この曲を歌ってほしい、と言われれば、それが最新のものであったり、よほどマイナーなものでない限りは大体対応ができた。

 次第に、曲を作ったりはしないのか、という声が増えてきた。実のところ少女は作詞作曲も嗜んでいて、発表はしていなかったがストック自体はいくつか持っていた。せがまれるがままに歌っていたため、いつ日の目を見させようかと悩んでいたところのそれであったから、これ幸いといくつかの曲を歌って見せた。

 それらもまた、ガッチリと観客の心をつかんではなさなかった。万雷の拍手だ。万言の称賛だ。

「喜んでもらえる」

 やがて、配信の中で大きくなっていった声があった。

 それは日々の苦悩。特に海賊の被害を訴えるもの。殺された、奪われた、もう生きていたくない。そういった嘆きが、少女の境遇に共鳴した。

「私を見つけてくれたみんなが、喜んでくれるなら」

 だから、海賊の親に捨てられた少女は海賊嫌いになった。私も同じだと、だから諦めないでと、命を捨てないでと訴えるために。

 そうして語り、聞き、歌い続けるうちに、どんどんと人は増えていく。

「みんなが、望むなら」

 海賊の被害。海軍の横暴。殿上人たちの恐怖。この世界は、安寧に日々を過ごすにはあまりにも過酷にすぎる。

 人の悪意だけではない。病が、怪我が、あまりにも簡単に命を奪っていくから。

「私が作るよ」

 ある日、とある小さな女の子の声が少女の耳に届いた。

『ウタちゃんの歌だけを、ずっと聞いていたい』

 はるか昔の、誰かの言葉を思い出す。

 この世に平和や平等なんてものはないけれど。

「私の、歌なら」

 それが、作れる。

 だから、

 人々の声を背に、少女の思いは一気呵成に五線譜を埋め尽くす。

「新時代を」

 そうして世に一つの曲が生まれ。

 少女は――歌姫ウタは、救世主と崇められるようになった。

 電伝虫が、じっと少女を見つめていた。


 二度目の転機も、浜辺から。

 流れ着いたのか、或いは長年そこに埋まっていたのか。砂の中に一部露出する形で沈んでいた電伝虫を、少女はいつかと同じように拾い上げた。

 異なるのは、その電伝虫が極々一般のもの――おそらく。かつて船中で見たものと同じ形式だった――であり、特別なものではなさそう、ということだ。

 当然のように少女はそれを持ち帰り、何が映っているのかを確認しようとした。

 配信は、上手くいっていた。自分を頼ってくれる皆を救いたいという決意をしたあの日から、少なくない日時が過ぎていた。それらしい振る舞いは板に付いて、けれど少女の決意に反し、画面の向こうからは、なんだか生暖かなものが増えてきた、そんな時分だった。

 何かラベリングでもされていないかと電伝虫のアチラコチラを見渡してみて、しかし何も見つからず。掠れ字のひとつでもあれば、内容を予想できたかもしれないのになあと思いながら自室にて無防備にスイッチをいれた。

 そこには、地獄があった。

「……ぇ」

 家が燃えていた。

 国が燃えていた。

 人が燃えていた。

 死んでいた。

 沢山の人が死んでいた。

 エレジアという国が、殺されていた。

「これ……」

 あのときの。わたしが捨てられた、あの日の。赤髪海賊団がエレジアを滅ぼした、とき、の……?

 ゴードンから聞かされて、そんなことはありえないと否定しながらも、目の前にある荒廃した街並みからそれが真実なのだと突きつけられてきた『証拠』がそこにあった。

 終わる世界の真ん中で、鍵盤の両腕を広げながら、炎に烟る夜空を仰ぎ見て、声なく哄笑する異形の魔王がいた。

「なに、これ……」

 崩落の音、悲鳴、焔の爆ぜる音。その光景を呆然と眺めながら、少女はやがてその巨影に立ち向かう人々に気づいた。

 覚えている。少女は、覚えている。彼らを、彼を、覚えている。

 忘れられるはずがなかった。だって彼らは、少女の大切な、大好きな、

「シャンクス――!!!!!!!」

 銘刀を振りかざし、赤髪は巨影に立ち向かう。クルーたちの援護を背に、幾度も、幾度も。

 やがてその一撃は、魔王をして地に背をつけしめた。

「よかった……」

 何度も何度も疑った。けれど、疑いきれなかった。少女の胸の裡にはいくつもの暖かな思い出が会ったから。沢山の無償の愛を向けられたから。

「シャンクスたちじゃなかった……!」

 ずっと信じたかった。けれど、目を覚ましたときの光景、日々すぎる中で過ごした地。荒廃した街並み。そしてゴードンの言葉が、その思いを少しずつ少しずつ侵していった。

 私は捨てられた。私は利用された。道具のように。そして彼らは国を滅ぼした。財宝だけを奪っていった。私は裏切られた。だから私は海賊が嫌いだ。みんなと同じ。海賊嫌いの、歌姫。

「ゴードンの馬鹿……嘘つき……! シャンクスたちじゃないじゃん、シャンクスたちは、こんなにも……!」

 ボロボロに、血を流しながら、それでも海賊たちは立ち向かっていく。

 それが報われたのか、どうか。少女には評価をすることができない。未来の視点から、結局のところ彼らの奮闘は意味をなさず、エレジアという国が滅び、わずか二名の生存者しか存在しないと知っているから。いや、あの絶望の魔王相手に、二人も生き残らせたというべきなのかもしれない。映像の中の魔王は、何度も何度も海賊たちの猛攻を受けながら、体を傾がせこそすれ損傷を受けている様子は見られず、腕をふるい、眷属を呼び出し、大地を業火で焼き払って、破壊の限りを尽くしている。

「……がんばれ」

 応援したって意味なんてないことは、当地に暮らす少女は知っている。これは過去の映像だ。どれだけ力を込めて応援したって、その結果が変わることなんてない。

「がんばれ」

 だけど、こんなにも直向きに戦っている人たちを、ただ見ているなんてことはできなかった。両手を組んで、祈りを捧げるように。

 彼らの無事を、神に願うように。

 食い入るように見つめていた。

 だから、気づかなかった。

「がんばれ、みんな――」

 ゴードンが、なぜ、嘘をついたのか、なんて。

『ウタという少女は危険だ!』

「ぇ……?」

『あの子の歌は……世界を……滅ぼす……!!!』

 電伝虫が、じっと少女を見つめていた。


 気が付けば、映像は終わっていた。

 少女は、かつて光景が照射されいてた壁を、ただ呆然と眺めていた。

 血の気の引いた真っ青な顔で、身動ぎ一つせず、ともすれば銅像のようにすら見える。唯一血の通った人間だと判別できるのは、その両目から滴れ落ちる涙。

「わた、し、が……?」

 滅ぼした。

「わたし、が」

 滅ぼした。

「えれ、じあ、を」

 滅ぼした。

 あの、魔王をよびだして。

「ちが、ちがう、だって、そんな、わたし、しらな、しら、な」

 違うと何度も打ち消して、知らないと否定してしまえればよかった。

 けれど、少女の脳裏に今まで忘れていた景色が鮮明に浮かび上がる。

 ぽつんと置かれた古びた楽譜。作詞者も作曲者も書いていないそれは、まるで少女に歌ってもらうのを待っているかのように、そこにあった。

 そうだ、興味が湧いたのだ。まだ幼く未熟な鑑識眼を以ってしても、それが名曲であることはちらと流し見しただけでわかってしまったから。

 だから、

「うたった」

 その曲を。

「そういう……ことなの……?」

 歌ったから、魔王は現れて。

 歌ったから、魔王は国を滅ぼして。

「ああ」

 そうだったのだ、と腑に落ちた。

 シャンクスが、赤髪海賊団が、こんなことをするはずがないと、憎む傍らでずっと思っていた。

 その予感は正しかったのだ。彼らは何も悪くなかった。国を守ろうとした英雄ですらあった。

 悪いのは、

「わたしだ」

 国を滅ぼし、大切な人たちに罪を着せ、被害者の懐でのうのうと生き続け、あまつさえ救世主だなんて崇められている、虚構だらけの、

「わたしが」

 諸悪の根源。

「……シャンクス」

 大好きだった。本当はずっと大好きだった。置き去りにされたことを恨み続けて、だけど、ずっとずっと大好きだったんだ。

 恨んでいた。ずっと恨んでいた。置き去りにしたことも、国を滅ぼしたことも、道具のように扱われたことも――だけど、それは全て嘘で。

 少女を守るための、大人たちの優しい嘘で。

「わたし」

 真に受けていたわけじゃない。それでももしかしたらという思いはいつまでも消えなかった。

 嫌いになられたんじゃないと思いたかった。だけど、それならばどうして一人置き去りにされたのだろうという思いが消えなかった。

 ああでもそうだ、これを見たならわかる。シャンクスたちはきっとこんな化け物みたいな私を――

「違う!」

 シャンクスがそんなことをするはずがない。だって、娘だと言ってくれた。そうだ、あの日、言ってくれて、でも現実として少女はひとりエレジアに取り残された。何か理由があったの? それとも本当に私が厭わしくなったの? あれだけ必死に戦っていたのはいったいどうして?

 化け物だから。魔王を呼び出したから。だから捨てられた。

 捨てられたの? 私は、本当に……?

 何もわからない。何もわからない。何も……わからない。

「……ルフィ」

 左腕のアームカバーに、そこに刻まれた麦わら帽子にすがりつく。

 誰かに話を聞いてほしかった。いや、幼なじみにこそ話を聞いてほしかった。少女と同じくらいに赤髪海賊団を慕っていた彼に、そんなはずはないと否定してほしかった。彼らの愛を信じても良いのだと肯定してほしかった。

 だけれど、彼はここにいない。

 少女は一人ぼっちだ。

「会いたい……会いたいよ……!」

 だれか、たすけて。

 少女はただ、嗚咽を漏らす。

 電伝虫が、じっと少女を見つめていた。


 それでも、日は過ぎる。

 重く強すぎる衝撃は、少女のあらゆる物事に対する気力を吹き飛ばすには十分すぎるものであったが、それでも数日で彼女はどうにか最低限の立ち直りを見せた。

 いや、立ち直ったのではない。自分の歌を待っている人がいるからと誤魔化したのだ。

 そうでもしなければ立ち上がることすら困難だった。憎んでいた相手に守られていたという真実。憎みたくなかった相手を憎まなくてもいいのだという安堵。しかし、全ては自分が原因であったという真相と、それが故に捨てられたのではないかという疑心が、彼女の立ち上がる意思を挫いていた。

 待ち望んでくれている人が居るのだという言い訳を支え棒にすることで、頭の中でぐるぐるし、お腹の底からひっくり返りそうな気持ちの悪い感情になんとか蓋をして、震える足で立ち上がることができた。

 そうして、少女は配信を始める。

 歌うことはできなかった。どうしたってあの映像が、記憶が頭をよぎる。歌った瞬間に現れた魔王、その姿。

 いままで散々歌ってきても呼び出されることはなかったことを考えれば、おそらくあれは特定の――あの楽曲を歌ったときにだけ出てくる怪物なのだろう。

 それでも、どうしたって脳裏に過る。幸いにして顔色が非常に悪いことから、体調不良ということで誤魔化しは効いた。どうにか感情を飲み込むまで、あと数日は短いトークだけで繋いでいこうと決めた。

 終わり際、予想外の労りの言葉をかけられ、思わず動揺したものの、どうにか笑顔を保って配信を切ることができた。

 瞬間、こみ上げてきたものを思わず床に吐き散らす。空っぽの胃から吐き出されるのは、わずかばかりの水分と饐えたにおいの胃液だけだ。ここしばらく、食事はまともに取れていない。

 心優しい言葉すらいまの少女は拒絶反応を起こす。当然だ、と少女は床を清掃しながら思う。

 自分のような醜いものは、そんなきれいな言葉をかけられる資格などないのだ。不実な、嫌われたって当然な、卑怯者。

 ゴードンには、既に不調がバレている。ひどくこちらを気遣う様子で差し伸べられた手に、思わずごめんなさいという言葉が喉元まででかかった。

 謝罪などできるはずがなかった。ゴードンは少女が犯人だと知っていながら、それでもなお聖人のように少女を育ててくれた恩人だ。日々の糧、そして唯一残されたものである音楽への道筋を与えてくれた、恩人だ。そんな人がどのような思いでか吐いた嘘を、無駄にするような真似はできなかった。本来なら責められて当然の、いや、とっくに殺されていたっておかしくないのに。それでも、なお、ゴードンは。

 謝罪する資格すら、私にはないのだと、少女は床を拭きながら思った。

 何度かそんな配信を続け、少しずつ心の荒波も収まり、歌えるようになってきた、その日。

 その日の配信は、いつもよりも不思議と人が多く、空気が淀んでいるように思えた。

 どうしたのだろう、と内心で首を傾げる。いつもと違う、どこか薄ら寒い手応えにだんだんと嫌な予感を覚えながらも、彼女はトークを続けて、

「さて、それじゃあそろそろ今日の一曲! おまたせしました! だいぶ体調も戻ってきたからね、久々に歌っちゃうよー。なんと今日は密かに練習していたギターの弾き語り付きだ!」

 そう言いながらチューニングを済ませ、

「なんか、今日はいつもより随分と見てくれてる人がいるから、ちょっと気合い入れるねー。……あ、いつもが気を抜いてるってわけじゃないからね?」

 いつも以上にってことだよ、と笑い、

「よし、それじゃあ行こうか! 今日の曲は――」

 と、口にした瞬間。

『それよりさあ、エレジア滅ぼしたってのは本当なの?』

『謝罪とかないわけ?』

 業を煮やしたような声が、少女の耳朶を強かに打ち付けた。

「――――――――ぇ?」

 さっと血の気が引いていくのを感じた。口が強張り言葉が出ない。笑顔は、貼り付けられているだろうか。

 そんな少女の心配をよそに、その一言を皮切りに、次から次へと言葉が投げつけられる。

『それ知ってる――』『可愛い顔して――』『皆殺し――』『こいつ育ててるの――』『残酷――』『ひとでなし――』

 音の奔流が質量を持ったように、少女をぐるりと縛り付けた。

『救世主様――』『頭おかしい――』『虐殺者』『大罪人』

 そして、身動きの取れなくなった少女の心を、言葉が、次から次へと刺し貫いた。

「ぁ………な、なんのことだか、よく、わかんない、けど、は、は、な、んか、今日は歌うっていう雰囲気じゃ、なく、なっちゃった、ね?」

 泣き出さずに要られたのは奇跡と言っていい。歌うこともできず慌てて、逃げるように乱暴に配信を切った。

 気付けば、倒れ伏すようにうずくまり、小さく嗚咽をあげていた。

 その日から何度も、何度も。まるで猫が手足のもがれた虫を甚振るかのように、少女には心無い言葉が突き立てられた。

 遊ぶように。

 いや、彼らにとってそれは正義の行いだ。なぜって彼らの眼前に映し出された少女は、国ひとつを滅ぼしながら罪を償うこともせずのうのうと生きている悪逆の徒なのだから。

 どうしてという思いはあった。同時に、それも仕方がないなと頭の片隅で思ってしまった。

 魔王を呼び出してしまったこと、それを一番悔いているのは他の誰でもない少女自身。あの日、自分さえいなければ。自分さえ歌わなければ。そうすればエレジアという音楽に満ちた素晴らしい国は、いまでも世にその麗しい音を響かせ続けていたはずなのだから。

 だから、自分が悪い。何を言われようと、自分が悪い。

 罪人には罰を。それはかねがね、少女自身が高らかに歌い上げていたことだった。

「ウタ……配信はしばらく休みにしよう。君の心のほうが心配だ」

「だいじょうぶだよ、ゴードンはしんぱいしょうだなァ」

「心配性なものか……! 最近、食事もろくにとれていないじゃないか。飲み物すらほとんど口にしていない。口にしたとて、私の見えないところで吐いてばかりだろう」

「あー……」

「頼む、もっと自分を大切にしてくれ……」

 泣きそうな顔でそう言われても、少女は曖昧に微笑むことしかできなかった。

 仕方のないことなのだ。悪いのは自分だから。正義は彼らにあるのだから。悪人には罰を与えなければならないのだから。

「だいじょうぶ、だよ、ゴードン。それにほら、私プロだからさ! 待っててくれてる人がいるんだもん、歌わないと!」

「ウタ……」

 少女の空元気に顔を歪めるゴードンを視界の外に追いやって、手元の五線譜へと目線を落とす。

 大丈夫、私は大丈夫。だから、新しい曲を作ろう。もっとみんなに聞いてもらえるように、もっともっとみんなに勇気を与えられるように。明るく、力強い歌を。

 そう思いながら、少女はペンを執る。書いては消し、書いては消し、何度も何度も書き直し、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――。

 五線譜は埋まらない。

 曲は、生まれない。

 虚構によって築き上げられた救世主という居場所は、真実という大鎚の前に無惨にも打ち砕かれたのである。

 電伝虫が、じっと少女を見つめていた。



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