嘆きのえびす町

嘆きのえびす町


嘆き、怒り、悲しみ、恨み。

えびす町のみんなを招待したウタワールドには、汚泥のような負念に満ちていた。


「ぢぐじょう、ぢぐじょおおおォォォ!!」

「ヤズざん‥‥!!なんであんだびだいな人が!!」

「びええええええェェェェ!!!!」


"笑い"から開放され、負念を爆発させている。

20年ものあいだ、オロチに支配され続けた嘆きを噴火させるように。


きっかけは偶然だった。

トノ康さんの葬儀が終わった後、どうにか泣こうとして"笑い疲れた"人々を無理矢理寝かせるため、ウタウタの力を使った。

ウタワールドでもサンジのご飯や、ワノ国にもあるらしい綿あめでも食べてもらえたなら、少しは落ち着くかもしれないと思って。

でも違った。


『ありがとよ、ウタちゃん。ウタちゃんみたいな子が歌を贈ってくれるなら、ヤスさんも‥‥ずびっ‥‥え?』

『お、おいお前……なんで、笑ってないんだ?』

『そういうアンタこそ‥‥?!』


"精神"を"肉体"から切り離すウタウタのお陰で、おトコちゃんやえびす町のみんなは一時的にSMILEの呪縛から逃れることができた。

これがウタウタの力によるものなのか、SMILEという欠陥品の欠点によるものなのかはわからない。

でも事実として、みんなが悲しむことができている。それは"喜ぶ"べきことなんだろう‥‥皮肉なことだけど。


「あ゛りがどっ、う゛、ヴダお゛ねえぢゃん‥‥ごべっ、ごべんなざい、ふぐ、よごじて……ひぐっ‥‥」

「ううん、大丈夫。"ここ"ならすぐにキレイになるから。お菓子、たべる?」


おトコちゃんが私の腕の中で、顔を真っ赤にしてべじょじょに泣いている。

本当なら、時間の許す限り真っ当に泣かせ続けてあげたい。けれどあまりにいたたまれなく、泣き止ませたくてキャンディを出してみせる。

妖術(実の力)に、可愛いお目をパチクリさせて──この驚きですら外では出せない──キャンディをじっと見ていたけれど、しっかり首を振った。


「いまは、なきだい‥‥あじだ、おっ父のぶんも、おゾバづぐっで‥‥」

「……わかった」


見よう見まねでお母さんみたいにおトコちゃんを抱きしめてあげると、胸の中で彼女は絶叫した。

心臓を強烈に叩く慟哭のドラム。

小さな女の子が甘いお菓子よりも欲した、父を悲しむための刹那。

これが不憫でなくて、なんだというのだ。


『いいものだ、今のこやつ等には生きる力に満ち満ちている』


おトコちゃんを撫でるムジカくんが──否、"魔王"が。

私にしか聞こえない"声"で、囁いてくる。


『なにが言いたいの?』

『そのままの意味だ、こやつ等は死を超えて先に進もうとしている』


『生きる気もなければ、人形のようにただ座すのみであったろうが──睨むな、他意はない。この者どもは皆"想い"を爆発させておる』

『まさに生肝を食ろうた如し‥‥腹が飢えるでなく、心も飢えておったのだ』

『こやつ等は、満たされておる』


「じね!!!死じまえオロヂィィィッ!!よぐも、よぐも息子をォォ!!」

木を殴りながらオロチへの恨みをぶつけるおじさん。

「アンタ‥‥あたしゃ、ようやくアンタを思って泣けたよ……ソッチじゃ、泣けてるかい‥‥?」

笑いに耐えかねて自害した夫を思う未亡人。

「もっど!!もっどおれ゛をなぐれ゛!!」「わがっだよ!!にいぢゃん!!!!」

痛みを得ようとお互い殴り合う兄弟。


『これが正しいなんて、絶対認めない』

『早まるな、ワレとてこの状況を推すわけではない。だが、それはそれとしてこやつ等の嘆きは尊ばれるものなのだ』

『そこは賛成するよ』


『悦楽だけでは、あの天竜人とかいう"人でなし"のように呆ける。怨念だけでは、ホーディ・ジョーンズのように視座が狭まる』

『ゆえにワレも、この者どもを歪めたオロチという阿呆を認めぬ。カイドウ共々、討ち果たさねばならぬ』


ビッグマムとの殴り合いがよほど楽しかったのか、"魔王"は四皇カイドウとぶつかることを恐ろしく期待している。

私の想いが流れ込んでしまった影響なのか、ルフィに対しても『あの小僧がいれば退屈はしない』と協力する気満々なのだ。


だからこそ──頼りたくない。


『重ねていうぞ、ウタよ。次にワレを喚ぶときは──シャンクスへの怨念を込めろ』

『ッ!!!!』


この"魔王"は、私の絶望を欲しているのだから。


『あの小僧どもがお前に与えた喜び、義侠心、共感、希望。その想いはとてもとても甘美であった‥‥だからこそ、ワレは今のお前を認めぬ。シャンクスを恨まぬ、お前を認めぬ』

『そうやって、私とシャンクスを殺し合わせるつもり?」

『お前自身の恨みを認めろと言っているのだ。もっとも、認めないのであれば強制的に"見せる"までだが』

『……悪趣味』


 ビッグマムを一時撃退したときに、"魔王"は私がもっとも忘れたい記憶と、もっとも救われた記憶をフラッシュバックさせてきた。

「このままでは、仲間も"いなくなる"ぞ?」とでもいいたげに。


(知らない知らない。海賊やってるんだもの、いつか死ぬのは当たり前。オモチャでいたときだって──)


『お前が海賊を謳歌するなら。麦わら小僧が最も嫌悪する所業を、嘆きの歌に昇華せよ』

『お前をゴミのように捨て、お前をモノのように扱い、お前の全てを否定した、あの景色を忘れるな』


ドクンと心臓が鳴る。


「なんだこの人形‥‥おいお前、ついてくるんじゃないよ」

「そんなに気に入ったのか?じゃあその人形はお前にやるよ」


絶望が再び、心を乱す。


「歌が好きなのか?じゃあ、お前の名前はウタ!よろしくな、ウタ!」

「お前はおれの1人目の仲間だ!ウタ、一緒にシャンクスへ会いに行くぞ!」


希望で、心を塗り潰す。


『わかった、じゃあカイドウとの戦いではアナタを喚ばないから。私は‥‥シャンクスが、大好きなんだもの』

『この強情者めが‥‥その強情さも小僧に似たか?だがその"嘘"の甘美さに免じて、今日のところは退くとしよう……おやすみ、ワレの理解者』


霧散するかのように、"魔王"の気配が消えていく。

"嘘"。私は嘘をついた。人形のときでは絶対にできなかった、"言葉"。


『カイドウとの戦いではアナタを喚ばないから』


きっと、カイドウとの戦いではビッグマムとの抗争以上の死闘になるだろう。そうなれば、"魔王"を喚ぼうと思える状況なんて、いくらでも起こりうるに違いない。

けれど、そうなると私はまた、またあの、シャンクスに捨てられた光景を心に刻み込まれる。"魔王"が動く、糧となるために。


「おっ父、おっ父……」


父と分かたれてしまう、嘆き。

私の胸の中にも、まだドス黒い絶望が渦巻いていた。

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