ウタの身体

ウタの身体


違和感を持ったきっかけは些細な出来事だった。

その日の私は牛の世話をしていた。エレジアには私とゴードンしかいないので私達二人で世話をしている。物資は定期的にエレジアを訪れる商船から供給出来るがもちろんタダではない。お金はたくさん残っているが使い続ければいつかは底を尽く。よってこの牛達の牛乳は大事な資金源なのだ。

「今日の作業はここまでかな。ゴードン、そろそろ戻ろう?」

「そうだな。今日はここまでにして帰るとしよう」

この帰り道で私は大きな石に躓き顔面から転んでしまった。

が、駆け寄ったゴードンによると私は出血どころか傷一つ無かったそうだ。帰ってから自分でも確認したが確かに怪我はなかった。

おかしい。

あの時私は確かに激しい痛みを感じた。無傷なはずがない。

昔は旅先や幼馴染の少年との勝負で危ないことも結構やったので身体のタフさならば自信はあるが流石にあれで無傷なんてありえない。それとも痛みに敏感になっただけで打ち方も悪くなかったのだろうか。いいや、それでも擦り傷くらいは付くはずだ。

「うーん...まあいいや」

いくら考えてもわからないのでやめた。顔面を強打したにも関わらず大怪我をせずに済んだ。それでいいじゃいか。私だって女の子だから顔に変な傷が付いて残るのは嫌だし、いつもの配信でウタを聞いてくれているみんなにも心配されてしまうだろう。

「あいつは心配してくれるのかな...いや、あるわけないよね...」

かつて父親と慕っていた、そしてそんな自分を利用し用済みとしてこのエレジアへ置き去りにした男へ微かな望みを抱き自嘲する。

あり得ない。あいつはエレジアを踏みにじった極悪人で、私のことも道具としか見ていなかったのだから。

とにかく、今回は大事にならずに済んでよかったと安堵し納得することにした。




しばらく経ったある日、その時の私は楽譜を書いていたのだが、ペン先が誤って親指の指先に刺さってしまった。深くはないので重症ではないが。自分も普通に怪我をするんだという安心を感じた。

「いっつー、早く絆創膏でも付け...」

親指の傷口を見て私は絶句した。そこには本来あるべきものが欠けていたから。

血だ。傷口から一滴のちすら流れ出てこないのだ。深くはないがこのくらい刺されば血が出るはずではないか。傷口は血が無い代わりに真っ暗な空洞のように見えた。

更に

「なに...これ...」

親指の傷は瞬く間に塞がっていった。この治癒速度も異常だが一番の問題はその治り方だ。治癒というより傷など初めから無かったかのように上書きでもされたかのように見えたのだ。どう見ても生物の治り方ではない。悪魔の実の能力ならば可能なものもあるかもしれないがあいにく自分の能力ではこんなことは出来ない。

ここで私は気が付いた。エレジアで過ごすようになってから一度も怪我も自分の血を見たことが無かったことに。明らかに目の前で起きたことが原因だ。

「なんなのよ...私の身体...」

私は自身の身体の気味の悪さに震えていた。

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