ウタの歌配信
みんなに気を遣われて、少しずつ自分自身でも配信のペースを下げられるようになった頃。
いつもより長めに間をあけて、今日は1週間ぶりの配信だ。
以前は毎日、下手をしたら朝と夜の1日2回配信なんてしていたことを考えると、随分まったりペースになったものだと思う。
けれどそのおかげで、体調は以前より格段に良いし、何より歌うのがとても気持ちよくなった。
前までは、苦しくても疲れていても、『みんなのために』という決意を胸に歌っていたところがあって、それはきっと、幸せな歌ではなかったのだと今になって思う。
「みんなー久しぶりー! ウタだよー!」
『ウタちゃん! 待ってた!』
『久しぶり! ウタちゃんの歌楽しみー』
『やったー配信だー!!!』
『ウタちゃーん!』
『新時代だ!』
よかった。
1週間ぶりで、もしかしたらみんなに忘れられてしまったかとも思ったけど、そんなことはないみたい。
「ありがとう! 私もみんなに会えて嬉しいよ」
挨拶をしてから、少しずつ配信ペースを落としていることについて説明する。
体調に問題が出てしまったこと、お医者さんに注意を受けて、そのアドバイスに従って無理のないペースで頑張るようにしたこと。
今後は、週に1回か2回程度の配信ペースで、配信時間も少し短くなってしまうこと。
雑談を交えながら、そんな話をした。
『体調崩したの大丈夫!?』
『無理しないでね』
『週1でもありがたいです』
『元気なウタちゃんが一番です』
『新時代か!?』
もしかしたら、がっかりさせてしまうかもしれないと思っていた私の不安は、みんなの言葉で簡単に吹き飛ばされた。
「みんな、本当にありがとう」
最近良く食べ、良く遊び、良く眠った私は、ファンのみんなに受け入れてもらえて、かつてないほどにやる気が湧いてくるのを感じていた。
今日は最高に良い歌を歌える!
そう思った私が、そろそろ歌おうと準備に入るなか、ふとコメントに目を向けた時だった。
『ファンより自分のことが大事なのか』
その言葉が、やけに目についた。
「悲しい言葉だな」だとか、「勝手なことを言っている」だとか、そう思うのが普通なはずなのに、なぜか私はその時、「期待されてる」と思ってしまった。
あれだけルフィたちに心配されて、ようやく最近では気持ちを持ち直せてきたと思っていたのに、私はまだ救世主になりたいのだ。
そう思ってしまった自分に気持ち悪さを感じ、言葉を失い黙り込んでしまった。
それが良くなかったのだろう。
黙る私をそっちのけで、ファンの間で争いが始まってしまった。
「無理せずに」と言ってくれる声と、それを揶揄して面白おかしく私を責め立てようとする声。
今までの私の配信では、一度もなかったことだ。
傲慢に聞こえるかもしれないけれど、私の配信を楽しみにするほとんどの人は、ただ私の歌に救いを求めていた。
争う余裕を、そもそも誰も持っていなかった。
けれど少しずつ、ルフィが海賊王になって大海賊時代を終わらせて、本当に少しずつでも暮らしに希望が芽生え始めて、僅かでも心に余裕が生まれて、それがもしかしたらこんな事態を招いてしまったのかもしれない。
新時代は、きっと前より素晴らしい。
けれど、すべてがそうではなかったということだろうか。
どうしていいのかわからなくなり、ただおろおろしながら電伝虫越しにファンのみんなへ、なんとか争いを止めるよう伝えていると、不意に視界の端で部屋のドアが開くのが見えた。
「おいウタ、ルフィが呼んで――……悪かった、まだ配信してたのか」
「ゾロ!」
入ってきたのはこの船の引締め役、ゾロだった。
鷹の目を降し、海賊王の相棒として世界一の大剣豪となった彼は、普段は意外と気遣いができる優しい人だ。
私の手に余る事態の中、そんな頼れる人物の登場に、思わず切羽詰まった声音で呼びかけてしまった。
「なんだ、何かあったか?」
「あっ、その……」
しかし私は、声をかけて、「しまった」と思った。
私の焦った様子に、ゾロは表情を険しくして、電伝虫を睨みつける。
きっと、配信に何かトラブルがあったことを悟ってしまったのだろう。
呪われているのかと思うほどに方向音痴なのに、こういう時の察しの良さが最短距離なのはどうしてなのか。
いやそんな益体もないことを考えている場合じゃない。
彼は世界一の大剣豪であり、片目には傷があり、整ってはいるが強面で、そして今はとんでもなく険しい顔をしている。
端的に言って超怖い。
そんな超怖い男に睨みつけられてしまった電伝虫、を通してこちらを見ているだろうファンのみんなは、果たして無事だろうか。
先ほどまでとはまた違った不安に私が駆られ始める中、ゾロが口を開く。
「外野の戯れ言なんか気にすんな。そいつらは吠えることしか出来ねェ負け犬だ。お前はお前の武器で戦えばいい」
有無を言わさぬ口調で、そう告げた。
快刀乱麻とはこういうことを言うのだろうか。
さすがの大剣豪は言葉の斬れ味も流石である。
いやだからそういうこと言ってる場合じゃない。
そんな風に私の思考は乱れていたが、コメントを確認すれば、争いは収まっていた。
ともすれば反感を買いそうな言葉なのに、彼の纏うその雰囲気で、その言葉には絶大な説得力というか、誰をも納得させてしまう力が込められているようだった。
かくいう私も、彼の言葉になんだかとても勇気をもらってしまった。
私の武器は「歌」だ。
誰に何を言われようと、歌を歌え。
今ならそうやって、自分を信じることができそうだ。
ちなみに争いは収まったが、大剣豪の登場にコメントは大盛り上がりである。
複雑な気分。
まあ、何はともあれこの場はこれでいいのだろう。
少し微妙な気分ではあるが、1週間ぶりの配信だ。
事態が治まったことでもあるし、歌を歌おう。
と、私が気を取り直したその時、またしてもドアが開いた。
「おいゾロ、何やってんだよー。ウタいなかったのかー?」
今度はルフィである。
言わずと知れた海賊王。
グランドラインを制覇し、ワンピースを手に入れ、新時代を作った男だ。
今回の配信は超豪華ゲストだなあ。
海賊王に大剣豪である。
すごい。
ってそうじゃない。
あなたたち、今私が配信してるって知ってたよね?
配信中は邪魔しちゃダメって言ってあったよね?
ゾロの登場はちょっと助かったけど、ルフィは後でウタワールドね。
「えぇーっ、なんでだよ!?」
ルフィうるさい。
いいから、今から歌配信始めるから、ほら出てって。
私の配信は当然「歌」がメインコンテンツである。
つまりまだメインがお出しできていない状況ということ。
今日はいろいろあったが、もう大丈夫だろう。
ファンをこれ以上待たせるわけにはいかないのだ。
たとえみんなが海賊王と大剣豪のツーショットにこの上なく盛り上がっていたとしても、私の配信はこれからが本番なのである。
「なあウタ、歌はこれからなんだな?」
だからそうだと言っているのに、何故かルフィは、彼を追い出そうとする私をとても良い笑顔で抱きかかえた。
いやなんでそうなるのかな!?
焦る私に構うことなく、ルフィはそのままドアの方へと歩く。
「ゾロ! その電伝虫持ってきてくれ!」
「了解、船長」
さすがの息の合い方である。
いやだからそうじゃない。
なんとか降ろしてもらおうと奮闘するも、ルフィの力には全く敵わず、結局私は、海賊王にお姫様抱っこされる様子を電伝虫に見つめられながら、サニー号の甲板まで出てきてしまった。
甲板では、何故か一味の仲間も勢ぞろいしている。
ようやく降ろしてもらった私が、ルフィにどういうつもりか問い質すと、彼は楽しそうにこう言った。
「今日の配信はここでしてくれ。俺たちも一緒に聴きてえんだ」
サニー号の甲板は、優しい風が吹いている。
ナミとロビンは笑いながら話している。
サンジくんは、そんな二人を楽しそうにお世話している。
ウソップとチョッパーは二人で釣り糸を垂らし、その近くではジンベエ親分とフランキー将軍がお酒を楽しんでいる。
ブルックはピアノの前に座りこちらに手を振っている。
ゾロが電伝虫を設置して、ルフィが私に笑顔を向ける。
「ウタ、俺前にも言ったろ? お前のステージ、俺はたーっくさん知ってんだ。お前がファンのために歌いてえって思ってるのは知ってるけどよ、俺たちだってファンなんだぞ? ここだって、立派なステージだと思わねえか?」
……なんでわかるかなあ。
配信をお休みしていたこの1週間。
私は船の仲間といろんなことをして、私自身、もう以前のような切迫感はなくなっていたと思っていた。
みんなのために。
その思いは今もある。
けれど、「歌わなきゃ」とか「救わなきゃ」とか、そういうことはもう考えていないと思っていた。
実際のところは、その思いは隠れていただけで、なくなってなんかいなかったのだけど。
今日の配信でファンのみんなが争っていた時、私は「もっと配信して、歌って、救わなきゃ」なんてことを考えていたんだ。
ホント、他人をバカにしている。
私の歌を聴く人は、「弱くて、救われてなくて、可哀想なひとなんだ」って、そう思っていたということだ。
そんな気持ちで歌い続けて、誰を幸せにできるんだろう。
ファンかどうかなんて、分けてどうするんだろう。
歌う場所を自分で小さくして、どこに届けるんだろう。
誰にだって、何処でだって、歌えばいいのに。
果てしない音楽が、もっと届くように。
そう歌っていたのは自分自身なのに。
そういえば、配信部屋以外で歌配信をするのは初めてだ。
なんだかちょっと楽しくなってきた。
ルフィを後でウタワールドに呼び出したら、お礼言おうかな。
いや、なんか悔しいから、勝負を仕掛けて負かしてあげよう。
それで「負けてねえ!」って言ってきたら「負け惜しみ~♪」って返してあげよう。
よし、歌うぞ!