アークエンジェルにて

アークエンジェルにて



マユ押しかけAA直後

マリュー艦長にAAの案内をされるマユ



「ここがシャワールームね。奥に大浴場へ繋がる扉があるわ。…で、リネン室はこっち。でも勝手に持ってっちゃダメよ? 備品の補充は担当者から許可をもらって記録に残すこと」


長い廊下に女性の声と2人分の足音が響く。

マユの前を歩き艦内の案内をしているのは、アークエンジェルの艦長を務めるマリュー・ラミアス氏だ。

試作機で強引に当艦へ乗り込んだマユは、「このまま帰しても銃殺刑だから」という実に情けない理由から滞在を許された。その乗艦許可をくれたのが目の前のマリューなのである。

そんなマリューの後ろを歩くマユは、現在パイロットスーツではなく支給されたオーブ国防軍の軍服を身に纏っている。フリーダムによるカガリ拉致の中継を見て衝動的に出撃したマユは、咄嗟に掴んだタブレット端末以外何も持っていない。流石に艦内をパイロットスーツで過ごすわけにはいかないため、こうして予備の軍服が与えられたのだ。

とはいえ、11歳のマユにとって正規兵用の軍服は大きすぎる。女性用の一番小さなサイズでもあちこち余らせており、袖を折ったりスカートのウエストを詰めたりしてなんとか着ているのが現状だ。

なんとも締まりのない自分の不恰好さに思わず溜息を吐こうとし、それを誤魔化すついでに目の前の女性に声をかけた。


「あの…ラミアス艦長?」

「なに? どこか分からない事でもあったかしら」


こちらを振り向き微笑みを浮かべるこの人は、先の乗艦許可といい案内の丁寧さといいとても優しい人なのだろう。その温かな笑顔がなんだか亡き母を思い出させ胸がギュッとなる。


「いえ、そうではなく…。案内していただけるのは大変ありがたいのですが、ご存知の通り私は士官学生であり正規の配属クルーですらありません。艦長自ら直々に案内してもらうのは…」


マユの発言に一瞬きょとんとした顔になるマリューは、瞳を数回瞬いた後にくすりと微笑む。


「あぁ、その事。ふふっ、ごめんなさいね。そういうわけじゃないの」

「えと、そう…とは?」

「艦内風紀の関係上、男性クルーに女性区画を案内させるわけにはいかないでしょう? 設備以外でも女性ならではの注意事項なんかもあります。そして、今アークエンジェルに乗っている女性は私、カガリさん、ラクスさん、そして貴女の4人だけ」

「……あ」

「カガリさんかラクスさんに案内を交代してもらいましょうか? 彼女達の方が貴女と年齢も近いでしょうし」


そう言われて、2人の姫君を思い浮かべる。

片や自国の国家元首。

片やプラントの最高評議会元議長の娘。

確かにマリューよりもマユとの年齢は近いのだが、どちらも国を代表する要人だ。そんな2人に艦内を案内される自分を想像し、マユは慌てて首を横に振った。


「い、いえいえいえ! ご配慮感謝いたしますが、その心配には及びません! 大変恐縮ですが引き続き案内のほどよろしくお願いします!!」

「あらそう? あの子達なら喜んで案内してくれるはずよ。そう気負わなくても大丈夫だから、見かけたら挨拶してごらんなさいな」


もげそうな勢いで首を振り続けるマユに、マリューはおかしそうにクスクス笑う。どうやらこの艦長は優しさに加えて茶目っけまで備えているらしい。憧れのアークエンジェルの艦長がこんなに親切で親しみのある人だなんて思いもしなかったと、マユは気恥ずかしさから目を逸らした。


ひと通りの案内を終え、さらには生活のための備品まで受け取ったマユは、最後に居住区画の一室に連れられる。


「で、ここが貴女に割り当てられる自室ね。広々使えるけど散らかしちゃダメよ」


パシュンというエアー音と共に開く自動扉。室内は2段ベットが4つ取り付けられたシンプルな相部屋である。しかし室内はがらんとしており、そこに住人の気配は感じられない。


「私ひとりで使っていいんですか?」

「ええ。他の女性クルーはみんな個室が割り当てられているから。…貴女も個室がよかった?」

「そ、そんな! 滅相もありません! 士官学校で共同生活は経験しています。大丈夫です」

「そう。困った事や分からない事があればすぐに言ってちょうだいね」


そう言って踵を返そうするマリューに、マユは我に返り慌てて声をかける。


「あ、あの! 私、これからどうすればいいんでしょう!?」

「どうって?」

「ラミアス艦長のご厚意で乗艦の許可はいただきましたが……その、モビルスーツでの戦闘は…ダメなんですよね?」

「そうね。正規の軍人でもない貴女にモビルスーツの搭乗許可は出せないわ」

「なら、何か別のお仕事をさせてください。無理矢理押しかけて部屋までもらったのに、何もしないなんて厚かましい事できません。お役に立てるかは分かりませんが、艦内の清掃とか資材の整理とか…、あ、通信オペレートなら学校で習いました。CICも教えていただければ覚えられ…いえ絶対に覚えます! 私コーディネイターだから物覚えはいいんです! あとは整備班のサポートも多分できると思いますし…。でもフリーダムって最重要機密っぽいから私が触ったらダメですよね? なら機体には振れず機材のメンテしたり消耗品の補充したりパラメータチェックの管理なら…」

「待って待って! ちょっと落ち着きなさい!」


決壊したダムのように捲し立てるマユへ、マリューは慌てて静止するよう促す。

どうしようもない焦りからあの時マユはコックピットに飛び込んだ。何かしなくては。何ができるんだろう。私は何と戦えば大切な人達を守れるんだろう。

募るばかりの焦りはマユの心をジリジリと焦がし、とにかく「何かしなくては」という使命感へと突き動かす。何もせずにお客様として部屋でじっとしているなんて耐えられない。自分はそんな事のためにアークエンジェルを目指したのではないのだから。

マユの瞳に滲む焦燥感を感じ取ったマリューは、ため息をつくと少女の肩に手を置いた。


「貴女の熱意はよく分かったわ。でも今日は室内待機を命じます。私達もこれからの行動についてカガリさん……アスハ代表と話し合わなくてはいけないの。貴女の業務についてはそれから決めましょう」

「はい……」

「ではマユ・アスカ訓練兵。これより一八〇〇まで室内で待機。夕食を取った後は翌日の業務に備え充分な休息を取られよ。復唱!」

「は、はい! これより本官は一八〇〇まで室内で待機し、翌日の業務に備え休息を取ります! 命令受領いたしました!」


突然の命令に慌てて敬礼と復唱を返す。そうだ、この艦はアークエンジェルであり、目の前の女性は大天使の名を関するこの戦艦で大戦を戦い抜いた名うての艦長なのだ。

敬礼を返す少女の頭をポンと撫で、「じゃあまたね」とマリューはその場を後にした。


誰もいない部屋にはマユひとり。

支給された生活用備品とタブレット端末を真新しいベッドに置き、マユもそのまま腰掛ける。


「眩しいな」


ひとりきりの部屋はひどく明るく、そして冷たかった。何故だろう。誰もいないからだろうか。それとも人の痕跡が何もないからだろうか。


「照明、電源OFF」


マユの音声に反応し、室内の照明がフッと消える。

部屋に窓は無く、灯りの消えた室内は闇で塗りつぶされたかのようにマユの輪郭すら曖昧にしていく。

ベットの上で膝を抱えてぎゅうっと身を縮こめた。そうしていると、まるで自分が闇に溶けるような、けれども侵食してくる闇から身を守れるような不思議な気持ちになれるのだ。


「お母さん、お父さん、お兄ちゃん。私、がんばるね」


戦おう。守るために。

今度こそ大切なものを守り通すために。

戦って、戦って、「敵」を倒せば、きっと。平和な日常がまた戻ってくる。

そう信じて、小さな体を抱きしめ目を閉じる。

明日からまた走り続けるため、少女はひとり暗闇の中を揺蕩うのだ。

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