アラバスタのこの街で
name?アラバスタのこの街で
強い日差しと熱砂の舞う、砂漠の国アラバスタ。
その玄関口である港町、ナノハナを歩く一人の人間と、一体の骸骨。
ブルックとウタである。
二人ともフードを目深に被りながら、通りを歩いている。
日差し避けという意味もあるが、それよりも重要なのは、人目にあまりつかないようにすること。
何しろこの二人──
「いやあ、それにしてもウタさんはやっぱり凄いですね。下地があったのは理解していますが、外に出てたった半年でこれほどの存在になるとは……」
「ブルックが連れ出してくれたからだよ。というかわたし、最近TD《トーンダイアル》の売れ行きがブルックに圧され気味なんだけど……。ぽっと出の骨に半年で追いつかれるわたしの身にもなってよ。まだ負けてはないけどさ!」
「ヨホホ! 私にはホネが歌うという奇特性もありますからね! ウタさんたちとライブしたおかげで、知名度を上げやすかったのもありますし、まあ比べるだけ無駄骨ですよ、骨だけに!」
ヨホホと笑うブルックに、ウタは頬を膨らませてみせて、すぐに笑顔を作る。
軽口の応酬も、個人で出したTDのセールス勝負も、今では慣れたものだった。
ウタが初めてエレジアを出てから、半年の月日が流れている。その半年の間、エレジアを拠点としながら周辺の島々をめぐり、多くの街でライブを開いて来た。
その結果が、これだ。
『“歌姫”&“魂王” アラバスタ復興支援ライブ“宴”』
町のいたるところに貼ってある、ブルックとウタのシルエットが描かれたポスター。二人は既に、音楽界では知らない者は居ない程の有名人になっていた。もちろん、二人を支える“音父《ゼバスティアン》”ゴードンも。
そんな彼らの下に、数週間前に一通の書簡が届いたのだ。
差出人は、アラバスタ国のコブラ王。
内容としては、『海賊に国を潰されかけた我が国は、復興の途中である。国民の慰労のために、是非貴殿らにコンサートを開いてほしい』という内容だった。
これに対して、真っ先に参加表明をしたのは、ウタであった。
外の世界をもっと見たい、知りたい。
そのために、実際に海賊被害に遭った人たちの声を聞きたい。そして、彼らが立ち直れる手助けもしたい。
彼女の語った理由に頷きつつも、決定を下すまで頑なにいい顔をいなかったのはゴードンである。
結局彼は最後まで、その反対する決定的な理由を明言しなかった。
しかし、ゴードンがこのライブにいないことには、反対していたから、というよりも切実な理由があった。
「はーあ、それにしても、ぎっくりだ腰なんて……」
「ええ、残念でしたね。初めてこんなに大きなライブをやるんですから、是非ゴードンさんにも来ていただきたかったのですが……」
ゴードンは一週間前の練習中に、腰を痛めてしまったのだ。
ある程度は回復したものの、船旅は耐えられそうにないと、エレジアに残ることになったのだ。
そういったわけで、今回ライブを行う二人は、昨日からアラバスタに来ていた。ライブが開かれるのは、今日の夕方から。
今はウタの提案で、近くの港町でショッピングを行っているところだった。今回のライブは今までとは違い、アラバスタの船がエレジアまでの行き来を担ってくれるということで、ウタはここぞとばかりにいろいろと買い込んでいる。
面白い匂いのする香水だとか、奇抜なデザインのティーシャツだとか、珍しい石のアクセサリーだとか、食べたことのない食べ物だとか、パンケーキだとか……。
そういった物に目を輝かせながら、ウタはショッピングを楽しんでいた。
ブルックはその後ろで、荷物持ちをしながらその姿を微笑ましそうに眺めている。
「あ、ブルック、あっちの露店も見ていい?」
「ヨホホ、どうぞどうぞ」
その姿は世に名を響かせ始めた音楽家というよりも、ただの親子──、いや、祖父と孫というような姿だった。
ウタが興味を引かれたのは、手長族が開いている露店。雑貨屋か骨董店か、世界中から集めたであろう、一見すればガラクタのような物の多い店だった。
「……いらっしゃい」
「どーも。……ふむふむ……」
ウタは広げられた商品の前にしゃがみこむと、膝を抱えて品物をじっくりと眺めている。
ブルックも後ろから商品をのぞき込む。
(おや……?)
気になる商品があったのか、ブルックはよくその商品を見ようと身を乗り出す。
すると、ひょい、とウタがそれを拾い上げて首を傾げる。
「なに、この棒?」
ウタが拾い上げたのは、真ん中にボタンのような突起のある、三十センチほどの黒い金属の棒だった。見た目の割に、ずっしりと重量がある。
「あ、やっぱりそうですか」
ブルックがウタの手からその棒をひょいと取り上げて、まじまじと見ながら言う。
「ブルック何か知ってるの?」
ええ、とブルックは頷いた。
「これは携帯用のマイクスタンドですよ。護身で使っても大丈夫なようにかなり頑丈な造りになっていますが。ほら、ここを押すと……」
ブルックが真ん中の突起を押すと、棒の両端から金属が勢いよく伸びてきて、一・六メートル程の長さになる。さらにひねりながら突起を押すと、片端からはスタンドの足が生え、もう片方からはマイクを固定する金具が現れた。
変形する棒を見て、ウタが面白いと言わんばかりに目を輝かせる。
その様子を見ていた手長族の商人が、頭をポリポリと掻きながら言う。
「のっぽの旦那、物知りですな。このテの商品は、あまり需要がないから、出回っていないハズなのですが……」
「ヨホホ、昔ウチの船員が使っていましてね。ズバリT.S工房の商品でしょう?」
「T.S……? 手長族の凄い工房?」
ウタが首を傾げて言うと、ぶはっと手長族の商人が噴き出した。
「Tremollo’s Smith《トレモロ鍛冶》工房。マニアックだが知る人ぞ知る鍛冶職人たちの工房ですわ。のっぽの旦那、アンタ通ですな」
「ヨホホ! 伊達に歳を重ねていませんからね!」
飛び出したスタンドのパーツを仕舞いながら、ブルックが言う。
ウタはブルックからその棒を受け取ると、それをじっと見つめた。
「……ウタさん?」
ブルックの声に、ウタが顔を上げる。
「ブルック、わたし、これ買うよ」
静かな声で、ウタが言う。
ブルックは少しだけ驚いたように口を開けた。
「……構いませんが、どうしてです?」
「外の世界をもっと知るにしろ、あの人たちに会いに行くにしろ、ある程度は自衛できるようにしておかないと」
きっぱりとした口調で、ウタが言う。
「ほら、いつまでもブルックに護ってもらうわけにもいかないでしょ?」
「……そうですね」
ほんの一瞬だけ考えてから、ブルックは頷く。
音楽ができるだけでは、この険しい海を越えていくことはできない。そのことはブルックも良くわかっている。
それにウタは、音楽のための体づくりの甲斐もあってか、身体能力は十分に高い。彼女がやるというのなら、ブルックにもそれを止める理由はなかった。
特に、ここ最近のウタは、ブルックのことを助けた船長に似た眼差しをしているから。止めて止まるものでもないだろう。
にっ、と歯を見せて笑って、ウタは「決まり」と言った。
「ねえ店員さん、これいくら?」
「……五万ベリーだ」
「オッケー」
「まいど」
ウタはその棒を買い取って、上機嫌でその場を後にした。
「ん? ウタに……ブルック……? ……こりゃあ、少しサービスした方が良かったですかね……」
去っていくウタとブルックの二人の背中を見送りながら、ふと手長族の商人は首をひねるのだった。
露店を後にした二人は、再びあてどないショッピングへと戻っていた。
ウタは興味深そうに周囲を見渡しながら、「ふーん」や「へー」といった感嘆詞を口から漏らしながら町を歩く。
「おや、ウタさん、何か気になる事でも?」
ブルックの問いに、ウタが小さく頷いた。
「この国に来るまでの間に、軍の偉い人がいろいろと教えてくれたじゃない。この国って半年と少し前に、海賊に滅ぼされる寸前だったって」
「チャカさんですね」
そう、その人、とウタは頷いて続ける。
「海賊のせいで、砂嵐で水も建物もなくした町があるって言ってた。百万近くの人々が争って、首都も滅茶苦茶になってしまったとも言ってた。たった半年前なのにね」
「……人は、哀しみも苦難も、時間をかけて越えていけますから」
「そうだね」
少し寂しそうに、ウタが呟いた。
ウタにとって、海賊に滅ぼされた街というのはエレジアだった。
十年経って今もなお、廃墟が多くがらんとした亡国。
滅ぼされたと滅ぼされかけたがこれほどまでに違うとは。
もしあの夜に、エレジアの国民の一部が生き残っていれば、また違う世界があったのだろうか。
そんなことを考えてしまい、ウタは小さく溜め息を吐いた。
「……比べたって仕方ないのにね」
ウタは軽く頬を二回たたいて、気持ちをリセットする。
エレジアの時間は止まったままかもしれないが、ある日飛んできた骸骨のおかげで、ウタとゴードンの時間は再び動き出した。
今はまだ、歩き出したばかり。止まっていた時間を取り戻すためには、焦らず着実に進まなくては。
そういえば、とウタは思い出したようにブルックに話しかける。
「ゴードンって、この国の王様と知り合いなんだって。せっかくだから会わせてあげたかったな」
しかし返事はない。
ウタは立ち止まり、ブルックが歩いているはずの隣を見遣った。
「あれ?」
いない。
ブルックが忽然と姿を消したことに、ウタは動揺を隠せずに身を翻して振り返り──
「お嬢さん、お買い物ですか?」
町を通りすがった青い髪の少女に声をかけるブルックの姿を見つけると、ウタは全力で彼の方へと駆け寄った。
荷物から先ほど購入したマイクスタンドを取り出し、スイッチを押して棒状に切り替える。
「ところで──」
ブルックが次の言葉を言う前に阻止せねばならない──!
「そこまで!!」
ゴン!!
「ヘブッ!」
ウタの会心の一撃がブルックの後頭部に当たり、ブルックは地面へ叩きつけられた。
きょとんと眼を見開いた少女に、ウタは肩で呼吸をしながら謝罪する。
「すみません、ご迷惑をおかけして……」
「い、いえ、まだ何も……」
しどろもどろに、少女が答える。
「!!?」
「ヨホホ、驚かせてすみませんね、お嬢さん。……それにしても、ウタさんひどくありませんか? 何もしていないのに、いきなり殴りかかってくるなんて、さすがの私も面食らってしまいます。ガイコツだから、私、面なんてないんですけど!!」
骨であるのになぜかたんこぶを作りながら、ブルックは立ち上がって体の砂を手で払った。
「あの後いつもの台詞を言うつもりだったクセにィ」
渋い顔をして、ウタが言う。
「誤解ですよ。なにせ、おそらくこの方は……」
ブルックが何かを言おうとしている間に、少女の方も「ん? 骨と少女……?」と首を傾げている。
すると、少女の背後から慌てたように走ってくる男の影があった。
「姫様! ここは港町ですから、もう少し危機感を──。おや、お二人は……」
その男は、ブルックもウタも見知った顔だった。
何しろ、エレジアからこの国に着くまでの間、二人の護衛と案内をしてくれた男なのだから。
アラバスタ王国の護衛隊副官である彼を、チャカと呼び捨てにして、その少女は言う。
「もしかして、お父様の言っていた、招いた音楽家ってこの方たち?」
その堂々としたたたずまいと、先ほどチャカの行った台詞に、ウタはその場に固まってしまった。
「ええ、こちらが今回のコンサートのためにエレジアからいらした、ブルックさんとウタさんです」
チャカが呆けるウタとヨホホと笑うブルックを少女に紹介してから、そして、と今度はその少女の正体をウタたちへ告げる。
「この方が、コブラ王のご息女、ネフェルタリ・ビビ王女です」
そんな堅苦しく紹介しなくてもいいのに、と少しだけ困った顔をして、ビビ王女が言う。
「お、王女、様……」
「ですから、私はそれを確かめようと声をかけたんですよ。さすがに見境なくアレはいいませんから」
ブルックが鼻から息を吐いて言う。
ウタは軽いパニック状態のままにブルックに詰め寄る。
「なんでブルックはお姫様だってわかったの!? それなら教えてくれれば良かったのに!!」
「ルフィさんから、アラバスタに寄った時に王女様と仲良くなったと聞きまして。それで仲間《クルー》のみなさんから、王女様の特徴を伺っていたんですよ」
「ルフィさん!?」
驚いたような声が通りに響いて、それから通りは一度静けさに包まれる。
はっと我に返ったビビ王女は、一つ咳ばらいをすると小さい声で二人に尋ねた。
「二人はルフィさんと、どういった関係なの?」
ブルックとウタは顔を見合わせてから、おずおずと答える。
「わ、わたしは一応幼馴染で……」
「私は一応仲間ですけれど……」
ぱあっと顔を輝かせて、ビビがチャカに、そして二人に声をかける。
「チャカ、今夜のイベントが終わったら、二人を是非宮殿に招待しましょう! ねえ、ブルックさんとウタさん、どうかしら?」
「おや、それはありがたいですね。では、お言葉に甘えて……ウタさん?」
普段通りの態度で返答をするブルックとは違い、状況が飲み込めないウタはその場で固まってしまっていた。
(ルフィ、王女様って……あんた一体何をやらかしたの!?)