アヤベさんにそっくりな♀アヤトレが涙を呑む話

アヤベさんにそっくりな♀アヤトレが涙を呑む話


グランドライブを実現するための、ミニライブの打ち合わせ。

課題に一通りの結論が出そろい、会話が途切れた所で、予定の書きこまれたカレンダーや花やかなポスターが目立つ会議室の壁、実用一点張りの黒縁の丸い掛け時計をちらりと見やる。

打ち合わせは思いのほかスムーズに終わったらしく、長針と短針が作る角度は予想外で、予定していた終了時間には少し早い。

昼下がりと言うには遅すぎて、夕暮れ時というには早すぎる。

向かいに座る彼女、ライトハローもそれを察したのか、黒い会議机の隅に追いやられたコーヒーメーカーの方に目線をやってから、私に向かって微笑んだ。


「トレーナーさん、お代わりは如何ですか?」

「お願いします」


彼女が所属するイベント企画会社の入ったオフィスビル、クーラーの効いた、二人きりの小さな会議室。

コーヒーを入れなおす音を聞きながら、私は机に広げていた資料を手早く片付ける。

書類の内容は、主にミニライブに出演する事を望むウマ娘のスケジュールや、それぞれが希望する演目に関連するものだ。

グランドライブの理念上、出演者の誰かが蔑ろになってはいけないし、誰かが前面に出過ぎてもよくない。

だが、個々人の得手不得手、さらに彼女たちの本業であるレースのスケジュールや、それぞれのウイニングライブの課題曲まで関わってしまえば、どうしても偏りは生まれてしまう。

それを、可能な限り演出や構成で解消するのが裏方である私たちの仕事だった。


「今日はどうもありがとうございました。トレーナーさんには休日なのにお時間を取っていただいて…」

「いえいえ、お気になさらないでください、私も好きでやっている事なので!」


クリーム色のシェードの隙間から洩れる、夏の訪れを感じさせる西日を遮って、横に立ったライトハローが私の前に湯気を上げる紙コップを置く。

ただカフェインを補充するだけのそれを口にすると、熱さで隠し切れない、安っぽい苦みと匂いが口内に広がった。

…よく、アヤベさんと共同トレーニングをお願いする黒いあの子に舌を肥やされて以来、素直にインスタントコーヒーが飲めなくなっているかもしれない。

そんな取り留めのない感想が浮かんでは消えるのをぼんやりと認識しながら、向かいに座って、自分のコーヒーにミルクを注ぐ彼女を眺める。

二人で、コーヒーを数口飲んで、ほっと一息。

弛緩する空気の中、世間話を切り出したのは彼女からだった。


「彼女の調子はどうですか?」

「相変わらず自分に厳しい子ですが、ダービーの後はライバル達とも上手くやっていけているようで…少し安心しています」


東京優駿。

ナリタトップロードとテイエムオペラオーとの接戦を制したあの日から、彼女、アヤベさんは――アドマイヤベガは、少しだけ変わった。

ライバル達と切磋琢磨する楽しさを見つけた、と言っていいのだろうか。

それとも、ダービーウマ娘の称号と言う、多くのウマ娘が望んで得られない無二の大きな勝利を、彼女の妹に捧げることが出来たからだろうか。

相変わらず他者との付き合いはあまり得意ではないようだったが、以前のように拒絶する事は少なくなり、代わりに併走や感想戦を行う事が増えた…ように思う。

彼女を一人にしない為に、勝手についていって、勝手に支えると宣言はしたし、最後まで彼女の隣に居ると心に決めている。

だが、実際に彼女の周りに人が増えて、交流が増えていくのを見ると、やはり安心してしまうのは仕方ないだろう。

いつか、心の底から憂いなく笑って欲しい。

きっと、誰よりもきれいに笑うのだろう――とも思うが、まぁ、彼女には彼女のペースがある。


「それは、よかったですね!凄くストイックな子に感じたので、グランドライブ再建に協力してくれると聞いた時には少し驚きましたけど――」

「プロデューサー、会議中すみません!ちょっと緊急の話が…」


自分の事のように嬉しそうに、にこやかに答えるライトハローを遮って、会議室のドアがノックされる。

聞こえる声に混ざる切迫感に、自分は問題ない事を彼女に伝えて、促されて入ってきた女性の姿には覚えがあった。

何度か会議を一緒にした、衣装さんだ。

ミニライブの衣装関連を一手に担う、大事なメンバー。


「アドマイヤベガさんのトレーナーさんってまだいらっしゃい…あっ良かった!まだいた!」

「えっ…私、ですか?」


私を認識して、焦燥した表情を緩めた彼女に抱いた疑問は、すぐにライトハローさんが代弁してくれた。


「どうしたんですか?」

「衣装合わせのスケジューリングに問題が出て、アドマイヤベガさんの分だけでも今日中にどうにかしないと、もしかしたらミニライブに間に合わないかもしれないんです…」

「…すみませんが、彼女は今日は休養日で、少し遠出をしているはずです…夜まで帰ってこない、かと」


学園に居るなら、小一時間で間に合うだろう距離。

だが、今日は休日だ。

たしか、同室のカレンチャンに誘われてちょっと遠出しているはず。

なんでも兵庫の六甲山牧場とかいう場所で飼育しているウサギと触れあい体験…だとか…?

再び焦りの表情が浮かびかけて――衣装さんが私の事を真剣な目でじっと見つめだした。


「…ところで、トレーナーさん。身長と体重は?」

「えっと、最後に測ったのが半年前で158㎝弱、体重は――」


アヤベさんのフィジカルの推移は毎週記録を取っているのでわかるのだが、数ミリだけ背が高く、尻尾や耳の分を考慮してもほんのりと軽いのが密かな自慢だ。

神妙な顔つきになった衣装さんが続ける。


「…ちょっとお体に触れても?」

「は? い、良いですけど?」


促されて立ち上がった、困惑する私の肩や腰に手を当てたり回したりしながら、衣装さんの口から洩れる音。

ワンチャンいけるのでは。

これいけそう。

いけるいける。

できるできるじぶんをしんじろって。

衣装さんのつぶやきに、私は嫌な予感を感じて、問いただそうとした瞬間。


「あの、ちょっと――」

「トレーナーさん、アドマイヤベガさんの代役で衣装合わせしてもらえませんか?!」


赤の他人の衣装合わせを行う。

大真面目に放たれた、本来、余りにも非常識なこの要請。

しかし、この言葉が一定以上の説得力を持つことを、この部屋にいる三人、いや私とアヤベさんを見た事がある人は全員知っているだろう。

そう、人間である私の外見は、三女神様が一体何をどう間違ってしまったのか、私の担当、ウマ娘のアドマイヤベガさんと瓜二つなのであった――


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「最悪、最終調整はライブ直前に楽屋で出来ますんで!当たりを付けるだけでも十分なので!」


その必死な声に押されて、アヤベさんが次のミニライブで着る予定の衣装と一緒に更衣室に押し込まれて。

窓越しに遠く聞こえる自動車の音と、時計の音だけが響く。


いや、ね?

私もみんなのライブ衣装、すごく可愛いと思ってるよ?

私だってウマ娘のライブを見て青春を過ごした普通の女の子の一人なんだから、着てみたいと思ったことも一度や二度じゃないよ?

でも私はもうXX歳で、女の子と言い張るにはもうそろそろ限界がね?


「……」


ごくり。唾をのむ。

眼前には、青基調の、装飾の多い、体のラインにフィットした、きらきらで、ひらひらの、ライブ衣装。

おしりの辺りには尻尾穴まである、本物の、ウマ娘のライブ衣装だ。

この国で育った女の子の多くが、一度は憧れたことがあるであろう、画面の中のお姫様たちのドレスだ。

かちり、かちり。秒針の跳ねる音が大きく耳に脳に響く。


「いや、しかしだね…君、これは、人助けであって…せっかく担当と謎にそっくりさんな外見を持っているんだから、その有効活用なのであって…」


いったい私は誰に言い訳をしながらスーツを脱いでハンガーにかけているのだろうか。


「多くの人が関わるプロジェクトで自分に出来ることがあるのに、私情を挟んで遅延を招くのはこう…多大なご迷惑を多方面にかけるわけであって…」


いったい私は何に言い訳をしながらシャツを脱いでハンガーにかけているのだろうか。


「ライトハローさんの夢は本当に素晴らしい物であって…それを助ける為なら私の意思なんかこう、なんやかんやでどうでもいいのであって…」


いったい私は何をなんやかんや言い訳をしながらライブ衣装を身に着けて――うん?

腰を締める銀色のファスナーが、上がらない。

壊れているのかと思い、一度全部脱いでから下着姿でファスナーを動かしてみたが、ちゃんと動く。

歯だって欠けていないし、スムーズに開閉できる事を確認してから。

再び着なおして――あがら、ない…ぞぉ…?

…なるほど、慌てていたから誰か別の衣装と間違たのかもしれない。

そう思って確認した衣装袋にはちゃんと私の担当の物であることを示すタグが付いていた。


あれれ…おかしいぞ…これは…いったいどういう事だろうか…?

この衣装は、私のドッペルゲンガーなウマ娘、アドマイヤベガに合わせて調整されているはずだ。

いくら体のラインにフィットしていると言っても、体型は日々変動するものだから、多少ゆとりを持って作られているはずだし、そもそも衣装合わせはその最終調整の為だ。

それに、私の体重は、アヤベさんより、ほんのちょっとだけ、軽い。

それに、耳と尻尾さえ隠せば、誰もが勘違いしかねないくらい私たちは骨格や体型までそっくりだ。

それに、それに、衣装さんだって、いけるって言ってたし…!

そんな、そんな訳は無いんだ…!

幾ら筋肉の方が重いからって、まさか、そんなわけがあるはずがないのだ…!

フィットした服だから、ちょっと腰骨辺りで引っかかってるだけだから、ファスナーを、強めに引っ張り上げて――


「ン゛ッッ」


――ファスナーの歯が贅肉を噛んだ痛みを認めたくなくて、私は目をきつく閉じた。

涙はちょっと出た。


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…でも、閃いたこのアイディアは…アヤベさんとのトレーニングに活かせるかもしれない!

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「というわけで、たまには私も運動したくなってね!」

「一体どういうわけなのかしら…」


休み明け。ウォーミングアップも兼ねた、学園外周を一周する軽いランニング。

トレーニング前のルーティンであるそれに、唐突に説明もなくついてくると言い出して、ジャージ姿で自転車に跨ったトレーナーさんは私、アドマイヤベガを見た。

…なぜか私の腰のあたりを見た。


「……?」

「それと、アヤベさん…その…山の天体観測行く時…とか、今度から着いて行っちゃだめ?」

「どうしたの突然…どうせ、止めても勝手についてくるのでしょう?…人にはちょっときつい山道だけど、邪魔だけは、しないでね」

「それはもちろん…!」

「…私にそっくりな顔で妙に思いつめた顔をされるのは、嫌だと以前話したはずなんだけど」

「ご、ごめん!」


…本当に、よくわからない人。

慌てて笑顔を作る彼女に、ため息を一つ投げてから、駆け出す。

後ろから自転車の車輪が回る音がついてくるのを、どこか心地よく感じながら、私は初夏の日差しの中を走り続けた。

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アドマイヤベガのやる気が上がった。

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