アッシュルバニパルの魔術師:1
ウイがトリニティから脱出==================
──ああ
最悪です
何故こんなことに…
もうあそこには戻れない
とはいえ進んでもしょうがない
先生という頼る宛ても無いまま脱出したのは確実に悪手でした
…いや、私もあの狂った人々の仲間入りしていたかもしれないと考えれば、悪手と言うほどじゃ無かったかもしれません
そう考えると、最初から詰んでたんですかね…?
ウイ「うぇへぁ゛ぁ…もう、無理です…こんな事だったら…彼女を追い出して、古書館で籠城すべきでした…うぅ…」
コンクリートへばたりと倒れる
ロクな地図も無しにシャーレへ向かったのは完全に失敗だった
だだっ広い都会を、服以外ほぼ何もないまま途方もない距離歩き続けるなんて…どう考えても無謀としか言いようがない
トリニティ自治区を脱出するだけであれほど大変だったのに、電車も無しでD.U.まで向かうなんて
切羽詰まった状況ではありましたけど、ほぼ引き篭もり同然の私がやるのは自殺行為も同然でした
「はぁ…私って、バカですね…」
そう自分を呪いながら目を閉じる
夜中に冷えたコンクリートの上で力無く倒れ伏せながら過去を回想する
まさか、“トリニティに麻薬が蔓延”するだなんて──
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最初におかしいと思ったのは、シミコの態度がいつもより柔らかかった時…
普段の彼女は、
「ちゃんと掃除して下さい」
とか
「陽の光を浴びないとダメですよ」
とか
「シスターフッドの方々へ正式に謝りに行って下さいね?」
とか…小言を言いつつ私を動かせる事がかなり多かった
だがある時を境に、彼女は私にガミガミ言わなくなった
それどころか上機嫌な様子で私の指示に従ってくれる
別に頼んだわけでもない水苔膠を新たに持ってきた時は背筋が震えた
どこから調達したのか尋ねると、廃屋の窓枠を叩き壊して持ってきたと言う
彼女は暴力的というわけでもないのに、自らの手で廃屋の窓を破壊して水苔膠を手に入れたのだ
あの時は深く考えず受け取ったが、今にして思えばあの段階で異変に気づくべきだったのでは…なんて後悔する
それから数日後、つまり2日前
事件は起きた
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ウイ「ふぅ…この子(古書)の治療(修復)も無事終わりました…」
私は新しく発見されたという古書の子を無事治療し終え、一息つきながら拡大鏡を外し椅子に深くもたれた
その時、古書館の扉が開く音が聞こえる
こちらに歩み寄ってくる靴音は…ああ、シミコが来たんだなとすぐに理解した
「どうしたんですかシミコ?今日は特段用事があるとか聞いてませんが…」
シミコ「委員長がお疲れでないかと思いまして…こちらをご用意しました!」
彼女が持つ盆にはアイスアメリカーノが置いてあった
確かにちょうど治療が終わった所なのでありがたいはありがたいが…正直言うと気を利かせ過ぎていて怖い
それに受け答えを万全にせず押し付けるかのように渡してくるのも気になります
まあ…人の好意に茶々をつけるなんて、流石に悪い事だと私でも理解していますから受け取りますけども
「じゃあありがたくいただきますね…」
盆からガラスコップを受け取る
…おや、あまり冷たくない?
まあいいやと思いながら口を近づけ──
「っ!?なんですかこれっ!?」
顔を離して、近くの何も置かれてない机にバッと置いた
「どうしたのですか委員長?」
「いや、どうしたじゃありませんよ!?なんですかこの“甘ったるい香り”は!」
確かにアメリカーノは、エスプレッソを水やお湯で割った(薄めた)ものなので、ある程度は苦味が抑えられている
しかしこんなに砂糖の甘さが強かったら最早別物だ
嗅覚が心地よい苦味の前に甘ったるさを脳に伝達してくるのは、もう異常としか言いようがない
仮にヒナタさんが変に気を利かせて砂糖をたんまり放り込んだなら笑って許せるかもしれないが、私の事を理解しているはずのシミコがこんなミスをするなんてどう考えてもおかしい
「シミコ!私に不満でもあるのですか!こんな嫌がらせをして…!」
「…嫌がらせ?」
不意に彼女の声が冷たくなった
「そうでしょう!?仕事終わりの一杯をナイスタイミングで持ってきたかと思えば、温度はぬるいし砂糖は入れ過ぎ…!私に対する当てつけとか嫌がらせとか、そういう類の行為でしょう!?仮にも私の理解者である貴女がこんな…!」
「謝ってください」
「っ!?」
私を見る目は怒りに燃えていて、何より普段怒った彼女が見せるはずがない憎悪に満ちた目つきだった
その異様な憤怒の形相に、私は後退る
「折角委員長の事を思って特別な飲み物を用意したというのに…なんですかその態度は?」
一歩ずつ追い詰めるように近づく
「こ、来ないでくださいっ…!」
じりじりと追い込まれる
「謝ってください」
「う、うるさいですよ…」
「謝って」
「お断りです!」
「謝れ」
「ひっ…!?い、嫌と言ったら嫌…」
「謝れェ゛ェェェェェェッ゛!!!」
「わあああああぁぁぁぁぁっ!?」
遂に襲いかかってきた
どうする
どうすればいい
「はっ!」
さっきの甘ったるいアイスアメリカーノが目に入る
「目ぇ覚ましなさいっ!」
コップを掴みシミコに投げつけた
(バシャッ!)
「あうっ!?」
白と橙の服が茶色に染まっていく
目眩し程度にはなるかと思っていたが…
「ふあぁぁぁ〜♡甘い、れふ♡」
「…は?」
なんと彼女は顔にかけられたコーヒーを指で掬いながら舌を出してぺろぺろ舐め始め恍惚の笑みを浮かべていた
どういう事なのか全く理解できない
だがこれはチャンスだった
ああ見えて腕力に自信があるシミコの事だ。この古書館に閉じ込めでもしないと撒く事は出来ないだろう
正直みんなを見捨てて逃げるのは非常に不本意であり心配だったが…
「ごめんなさい…!必ず戻りますから…どうか待ってて下さいっ!」
そうシミコと古書達に言い放って、私は古書館の扉に鍵をかけて持ち手に近くの木材を差し込み封印した
…裏口から出られるかもですけど、だとしても時間稼ぎにはなります
簡単に見捨てたくは無かったけれども、下手に留まっていたら狂ったシミコの手で捕まっていたのは目に見えていた…
ごめんなさい…
どうか壊されませんように…
そう、謝罪と祈りを捧げるしか出来ない自分を呪った
しかしこれからどうすべきだろうか
正義実現委員会に通報?
いや、あんな人が大勢居る場所になんか行けるわけがない
“古書館の魔術師が古書館を出た”という一面が明日の朝刊に大きく掲載されるのは火を見るより明らかだ
じゃあ何処を頼る?
…
……
「はぁ…やっぱりあそこしかありませんよね…」
私は早足でシスターフッドへ向かった
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ヒナタさんがよく居るという教会へ辿り着く
扉を叩く
(ゴンゴン)
ウイ「ヒナタさんっ!いませんかっ!?どうか出てくださいっ!」
するとすぐに走ってくる音が聞こえた
(ギィィィ…)
ヒナタ「ウイさん!?どうしたのですかご自分からだなんて…!」
「その、ですね、シミコが急におかしくなって、襲いかかってきたんですよ私に向かって!」
息を切らせながら現状を伝える
「なっ、シミコさんまで!?」
「…なんですかその言い方。まるで他に同じ状態の人がいるかのような…」
まさか
冗談だろう
そう思いたかった
「実は今…一部のシスター達が突如徒党を組んで大聖堂を占拠したそうで…私も急いで対処に向かおうとしていました」
「は…?占拠って…」
「切羽詰まった通信だったので、状況がよく理解出来ていないのですが…早急に来て欲しいと仲間のシスターから要請を受けたので、支度をして向かおうとしていたといった感じです」
「ど、どうなってるんですか今日は…」
まさかシスターフッドまでだなんて
今日は発狂の日とでも言うのだろうか
「と、とにかく!シミコさんに関しては後ほど対処予定ですので!とりあえず、私と一緒に向かいましょ…」
(プルルルル)
「ひゃっ!?通信が…すみません、少々お待ち下さい!」
ヒナタさんは通信機を立ち上げる
「ヒナタです!大丈夫ですか!?」
『シスターヒナタ…!ここはもう保ちません!どうか貴女だけでもこのシスターフッドから…いえ、トリニティから避難してくださ…きゃあああぁぁぁっ!?』
(プツッ)
「もしもし!?もしもしっ!?」
「──」
通信途絶
ヒナタさんは泣きそうな顔で応答を呼びかけたが、返事は耳障りなノイズだけ
「………」
通信機を切ったヒナタさんは、いつもの巨大なグレネードランチャーを仕舞った鞄を持ち直して私にこう告げた
「ウイさん。今から貴女を、全力で避難出来るよう尽くします。ウイさんを無事に避難させられたら、私は他のシスターを救出しに向かいます。勿論シミコさんの事も含めてです」
「なっ…いや、一緒に退避しましょうよそこは!?私1人でなんて…!」
するとヒナタさんは、懐から一冊の本を取り出した。確かあれは物品管理台帳…少し前お話した時に言及していた物だ
白紙ページを破ったヒナタさんは付属のペンでサラサラと何かを書き
「こちらを持って行ってください」
即席メモを私に寄越した
そこに書いてあったのは…
「シャーレの住所、ですか?」
「はい、本当はそこまで護衛したかったのですが…私には、守るべき方々がいるので…どうかご容赦下さい」
そう伝える彼女の目は、いつもの自信が無さそうな感じではなく…決意に満ちていた
はぁ…
そんな目見せられたら
止められるわけないでしょうに
「分かりましたよ…!その代わり今からトリニティ外へ逃げるまでは、ちゃんと護衛してくださいね!?」
「ええ、勿論ですっ!」
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ウイ「っていうか、駅行けばいいんじゃないんですか!?なんでわざわざ徒歩でシャーレに行かなきゃいけないんですかねぇ!?」
ヒナタ「今此方側の交通機関は全体的に麻痺してしまっています!とりあえず、正義実現委員会や、サクラコ様とマリーさんを始めとする正気を保った方々が、事態収拾に動いてはいますけれど…」
「はぁ…そんなの待ってられませんね!あーもう分かりましたよっ!」
そんな会話をしながら、私達は自治区を走り抜ける
よく見たらこの辺の地区は、あちこちで暴動や騒ぎが起きていたようだった
引き篭もりの身体を酷使して走り続ける
途中襲ってきた暴徒を蹴散らしつつ速攻でトリニティの端を目指す
だがしかし
「くっ!?そ、そんな…!」
唯一直進で通れそうな道にはバリケードが張られていた
ここは道幅が狭いので、陣取られてしまえば迂闊に向こう側へ行けなくなる…
しかもバリケードの前で複数人の不良が睨みつけながら此方を狙っている状態
迂回路を進むとなると、更に遠い距離を走らなければならないが…
「ぜぇ…ぜぇ…はぁ゛…ひぃ゛…」
正直、これ以上は息が保たない
直進で行けるならそうしたい
でも私の体力の問題でヒナタさんに迷惑をかけるわけには…
「そこを退いて下さいっ!!!」
(ドガガガガガッ!)
「「「「ぎゃああああぁっ!?」」」」
「え」
ヒナタさんは、グレネードランチャーで不良をバリケードごと吹っ飛ばして道を開いた
「む、無茶苦茶な…」
「さっ!この先をずっと進んでいけば、シャーレのあるD.U.に到着出来ます!」
「はぁ…はぁ…分かり、ました…じゃあここで構わないのでさっさと…」
???「委員長ッ!」
「ひぇっ…!?」
この声は──
これほど早く来るだなんて──
「悪夢かなにか、ですか…!?」
恐る恐る振り返ると…そこにいたのは、紛れもなくシミコだった
しかも後ろにはシスターフッドの格好をした一団までいる
ざっと数えて数十人は下らない
「なな、なんでここが…」
シミコ「こちらのシスターフッドの方に教えていただきましたよ!若葉ヒナタはまだ“砂糖を食べていない”はずだから、委員長もきっとここのはずって!」
「…はっ!?」
ヒナタさんは慌てて通信機を見る
電源が入っている事を示すランプはピカピカと光っていた
要するに、つけっぱなしだったから位置情報を利用されたという…?
「このドジーッ!!!」
「うわぁぁぁ!すみませぇぇぇん!!」
思わず叫んでしまった
「うぅぅ…こうなっては、致し方ありませんね…ウイさん!私に構わずシャーレまでお逃げ下さいっ!」
「ちょっ、ヒナタさんは!?」
「…私はここまでです。このヘマは私が自ら道を塞ぐ事で償います!」
その声は先程同様決意に溢れていた
「…ヒナタさん。また会いましょう」
「はい!そう簡単には負けませんっ!…どうか先生に、よろしくお伝え下さい」
「えぇ、分かりました…っ!」
私は前だけを見て走り出す
後ろから大勢の人々が押し寄せる声と、グレネードランチャーを撃ちながら勇敢に吼えるシスターの轟音が響いた──
ああ
私はまた
大事な存在を見捨ててしまった──
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ウイ「ヒナタさんは…あれから…大丈夫だったのでしょうか…?」
そして現在
D.U.の人通りが少ない歩道傍
私はボロボロのまま倒れている
そりゃそうだ
激しい逃走劇の後、約2日間かけてこんなところまで来たのだから
途中スマートフォンのキャッシュ機能を使って、自動販売機などで最低限の食事や飲料は確保出来たけれど…普段は全く使わなかったので残高はとうに尽きた
引き篭もりにはキツすぎる外出ですよ
夏のあの時も大概でしたが、こっちの方が何倍も辛いです
まあ無駄では無かったと思いますけど
道中情報収集をして、今キヴォトス中に“砂漠の砂糖”なる麻薬が蔓延している事
トリニティは特に蔓延している事
D.U.は割とマシだという事
先生をはじめとした正常者達による連合の“反アビドス連合”が結成されている事
この4つが分かっただけでも精神的疲労はグッと減った
とはいえポケットに忍ばせた住所に辿り着く前にこの始末です
もうこのまま野垂れ死に…ですかね?
あーあ
もっと運動、しとけばよかった…
私は瞼を閉じる
???「〜〜〜…!」
あれ
何か聞こえる気が…
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ウイが回想を終えてぶっ倒れていたのと同時刻…
アリスは、勇者パーティの僧侶枠であり救護の師匠である蒼森ミネと2人で、D.U.の病院で救護の心得を色々と教えられた帰り道…偶然にも倒れているウイを発見した
これは何よりも幸運な事だった
アリス「師匠!あそこに行き倒れの方がいます!救護クエスト発令です!」
ミネ「なんですって!?救護ォッ!」
(適切だが威力の高い救護の音)
「ぶへあ゛ぁ゛っ!?なな、な゛にするんですがぁっ!?って、ミネ団長!?」
「貴女は…!古書館の魔術師、古関ウイさん!?」
2人はまさかの出会いに驚く
一方アリスは
アリス「…“魔術師”!?(キラキラ)」
思いっきり目を輝かせていた
「あの…げほっ!えっと、ミネ団長…?其方の方は一体…?」
「彼女は天童アリス。我々救護騎士団の“救護”の意思を、新たに受け継ぐ才能を持った勇者です。」
「へ?勇者…?」
するとアリスはつかつかと歩き出し突然ウイの手を取った
(ツカツカ…)
(ガシッ!)
「ひえぇぁぁっ!?」
「ウイ!どうか“魔術師”として、アリスのパーティに参加してくださいっ!」
「……………はい?」
こうして、彼女は勇者パーティの魔術師として勇者直々にスカウトされた──
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