アサヤ族の社会形態、文化、および宗教的な伝統に関する記録
初めに
この記録書は、金旭国(Kimkyokk Kuo) 華原州(Kanra Siu) 旦奴山市(Asan'yama Si) 旦奴山森林自治区*1にて主に居住している先住民族、アサヤ族(アサヤ人、足山家)の平常の社会形態、宗教的及び俗世的な文化、伝統についてアサヤ族との接触に成功した下記5名で構成される調査班による記録である。公開の際はこれら並び調査班一同がまとめた考察を基に報告書を作成、それを使用すること。
調査班はデジタル腕時計や携帯、パソコンなどの精密機器を現地住民に見せることを禁じられ、1990年代以前のブランド、形態の精密機器(PCを除く)やメモ帳、筆記用具等を所持した。
宗教学者 伊藤 直彦(イトウ ナオヒコ) 45齢
言語学者 兼 調査員・聴取役 下神 早希(シモガミ サキ) 25齢
文化学者 兼 調査班主任 八木 博隆 (ヤキ ヒロタカ) 36齢
調査員・聴取役 兼 事物考査役 字木原 航大 (アザキハラ コウダイ) 26齢
調査員・事物考査役 萩谷 奈恵子 (ハギワラ ナエコ) 53齢
アサヤ族についての簡略的概要
アサヤ族または足山家、旦奴(-ぞく/あさや/あさぬ、英語:Asaya people, Climbers*2)は金旭国 華原州 旦奴山市 旦奴山森林自治区にて主に居住している先住民族。言語はアサヤ語、もしくは南自治区金旭語(アサヤ方言)。
金旭列島の先住民族とされ、『日本書記』では職丹(ツクタミ)と記述される。ヤマト王権に対抗し、唯一制圧されなかった民族と推定されており、現在までの邪神忌避の文化はヤマト王権への対抗を示唆するものではないかとも言われているが、確証が無く、未だ推察の域を出ない。
主に言語学的側面や宗教学的側面などの古代文化研究の観点から重要視され、政府主導で保護が進められている。
自治区からの出入り・交流などは1987年から旦奴山森林自治区内再進入・居住禁止令*3が発されて以降区外との交流はほぼ断絶状態にある。
社会形態に関する記録
記録・下神早希
調査・下神早希
〈以下書き写し〉
社会形態は現在まで北部にある村長及び村内会による政治が行われており、近年村内会によって「村八分」に関する詳細な取り決めなどが行われたという。
・殺人...死罪。犯人は役場の特別室にて殺害される。犯人に家族がいる、既に村から脱出しているなどの場合は家族含め直ちに村から恒久的に追放し、また同じく恒久的な村八分に処する。
・他人の家、家内の家具全てに八割程の強い損害を負わせた場合...非常事態などを除き恒久的な村八分
・他人の家に生活が困る範囲まで損害を負わせた場合...1~2年間に渡る村八分、該当家に居住する家族、集団との交流の永久断絶
・しかるべき場所へゴミを捨てなかった、環境を壊すほどゴミを溜めた...その時の状況や周囲に対する態度によって変動。1~10年間を範囲とする。
文化、伝統に関する記録
記録・字木原航大
調査・字木原 航大、下神 早希、萩谷奈恵子
〈以下書き写し〉
2013年8月20日
下神さんを通じて現地住民とのコンタクトを取った際、ここ最近の習慣についていくつかの取材を行ったが、やはり1990年代以前の調査で書かれた祭りや儀式など、宗教的なイベントとはいくつかの差異が見られた。
例えば邪神「タマツトミシゲルコ」(霊津痕身茂子)から身を護るために行われる7月9日の儀式「ヂョウツソミ」(土憑津反)について。
1993年の調査では、「村を巡るタマツトミシゲルコから先祖の御霊を守るため、家内の明かりを全て点け、6時以降家から出ずに日が昇るまでまで宴を続ける」という日があったが、6時以降の制約が7時半までとなっており、また当時は「他人の家で宴をしてはいけない」という制約があったと記録されているが、最近行われたヂョウツソミ未では友人の家に泊まって宴をしたという人がおり、その多くが10~20代の若者であった。
また、伝統的にタマツトミシゲルコの名前を口に出すことはそれだけで邪神崇拝として禁止され、口語でそれを表す際は「ジ」(死を齎す怪物の意)と言うようにされてきていたが、これが曖昧になってきており、これは年齢に関係なく住民の中で名前を口に出す者が多かった。
アサヤ語表記の面においても違いがあり、アサヤ語にのみ使用されるアサヤ漢字では文字が一部省略され単純化されているなどがあった。住民への取材によれば今から3年前に村長による取り決めが行われたとのこと。
タマツトミシゲルコへの対策
記録・八木博隆
調査・伊藤直彦、字木原航大
住民たちの中で代々邪神として忌避されてきたタマツトミシゲルコだが、従来のヂョウツソミに加えて、新たに動物を模した金の像を作る文化が発達してきている。
1979年に近年住民たちが北部でタマツトミシゲルコを祭る自治区北部の神社を見つけて以降、その建物を「シゲルコクヮㇺダㇳ」(茂子神舎)と名付け、聖地として信仰しているというのだ。さらにその神社は発見当初、粉々に崩れた「とても大きい金像」や謎の白いブヨブヨとした塊が存在していたとされており、それ以降そこから見つけた金の破片を利用して動物や人の金像を建て、家内をタマツトミシゲルコから守っているのだという。
現在、発見された金像の破片や塊は全て村内会及び区内警察が協力して保管しているとのことだが、保管場所については機密事項らしく、我々が確認することは不可能であった。
余談
記録・伊藤直彦
調査・班総出
村長の大呪 玄斉 (オオㇺジナ クㇽソロヰ、だいじゅ げんざい)氏から特別に楽器で人の声を再現する「模声」を聞かせてもらうことになった。その際、村長の家の「演奏するための部屋」へ招待してもらい、その巧みな演奏を調査班総出で清聴。
笛楽器でここまで人の声に聞こえ、歌詞を感じられるものなのかと皆が驚いた。
その後、「演奏するための部屋」の部屋の位置についてたずねるも、これについては答えをもらえなかった。
脚注
*1 旦奴山森林自治央区は、華原州 旦奴山市 丹郡南部に隣接する金旭国唯一の自治区である。アサヤ族の社会体系の破壊を防ぐべく、アサヤ族の居住する旦奴山森林全体及びそこから約10メートルを自治区として保護している。面積は963.04平方クロメートル。
*2 1892年、ジョージ・モルン執筆『List of Peoples In Eastern Asia』より。
*3 当初は物品販売や帰省含むほとんど全ての交流機会を禁止したが、これに現地住民や自治区外居住のアサヤ族が大きく反発したため、現在物品販売や帰省については一部規制を入れた形で承諾されている。