アクアツォーネ―prologue―

アクアツォーネ―prologue―



……758、758、758。

 自分の受験番号を、一心不乱に探す。

 名古屋トレセンの合格発表日。

 自分でもそれなりに手ごたえはあったけれども、勝負事は何が起こるかわからない。そう、競バのように。


「あったー!」


 思わず、声が出る。

 アルミ製のフレームと、少し汚れたガラスの向こう側。

 貼られた合格発表者一覧表の中に、確かに「758」の文字が。

 その時。


「おめでとさん、アクアツォーネ」


 ポスッ、と。

 後ろから、頭を叩かれる。

 振り向いた先にいたのは、去年、一足先に名古屋トレセンのトレーナーになっていた、幼馴染のお姉ちゃん。

 はらはらと早咲きの桜が舞う中で、こちらに声を掛けてきたお姉ちゃんは、お正月に会ったばかりなのに、凄く大人びて見えて。

 ――ああ、社会人なんだな。って思った。


「合格祝いに、なにか奢ってあげるよ。なにが良い?」

「プッタネスカ!」

「アンタ、そればっかりだね。たまには違うものも食べたら?」

「好きなんだから、良いじゃない」

「良いけどさ。じゃあ、こっち」


 お姉ちゃんと、久しぶりに手を繋いで歩く。

 「アンタは、はぐれると見つけにくいからね。普通過ぎて」なんて言われたけど。

 お姉ちゃんの照れ隠しだってことは、長い付き合いの私にはわかっている。

 それを指摘してしまうと、手を離しちゃうだろうから、絶対言わないけど。


「ここ」


 いつの間にか、お店についていたようだ。土地勘のない私には、どこをどう通ったのか全然わかんないけど、お姉ちゃんのお店なら間違いないだろう。

 行きつけのお店なのか、挨拶もそこそこに適当な席に座ると、慣れた調子で注文をしている。私のは、プッタネスカの大盛り。お姉ちゃんは、ペスカトーレのセット。


「さて、と」


 注文を済ますと、 いつになく真剣な面持ちで、こちらを見つめるお姉ちゃん。

 身の引き締まる思いがする。


「まずは、合格おめでとう。アクアツォーネ」

「うん、ありがとう」

「で、単刀直入に言っちゃうけど、アタシのウマ娘にならない」


 ――アタシの、ウマ娘。

 まさか、こんな急に告白だなんて。

 いや、お姉ちゃんのことは嫌いじゃないし、むしろ好きというか大好きだし、名古屋トレセンの業務をしながら、私の指導をしてくれた恩義もあるし……。

 はっ、これってもしかして、「アタシのお陰で受かったんだから、その身体を好きにさせなさい」ってこと!?

 ……まずい。受験勉強でムダ毛の処理さぼってたし、今日はメイクもしてないし。ダサ下着、というか上下さえ揃ってないし。お姉ちゃんに嫌われちゃうかも。

 おそるおそるお姉ちゃんを見ると、苦虫を噛み潰したような顔で、頭を抱えるお姉ちゃんがいた。


「ごめん。アンタはそういう娘だったよね。なに考えていたかは、表情がころころ変わっていたからわかってる。でもそうじゃなくて、アタシの言いたいのは、アタシの担当ウマ娘にならないか、ってこと」


 ――「担当ウマ娘」。

 ウマ娘は基本的にトレーナーが付かないと、レースデビューさえできない。トレーナーと担当は一体となって、一緒にレースに臨んでいく。

 ……でも。


「お姉ちゃんは、私で良いの? トレーナーって数が少ないから、良い娘を選んで契約するって聞いたよ。私が契約しちゃったら、足を引っ張っちゃうかも……」

「そんなこと、気にしないで」


 お姉ちゃんが手を伸ばして、私の三日月形の流星をそっと撫でる。


「アタシは、アンタのことをよく知ってる。練習嫌いなところも、割と諦め癖のあるところも。意外と小器用で、なんとかしちゃうところも。でもね。アタシは、アンタが他ならぬアクアツォーネだから、契約したいと思ったの。ひたむきで、頑張り屋でで、裏表がなくて。だから、契約してくれると嬉しいな」

「お姉ちゃん……」


 無意識に、頷いていた。

 実際、名古屋のトレセンに入る前から見てくれていたお姉ちゃんに継続して見て貰うことは、初めての人よりも格段にやりやすい。

 気心も知れているし。

 だから。


「よろしく、お願いします」


 まだ、今はこれしか言えないけれど。

 きっと、お姉ちゃんと一緒に活躍して見せる。

 そう、誓った。


「……あ、お姉ちゃんのペスカトーレ、ちょっとちょうだい?」

「アンタ、そういう図々しいところは、全然変わってないね」

「えへへ~」

「褒めてない」



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