アクアと幽霊かなちゃんー出会いー

アクアと幽霊かなちゃんー出会いー

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 時刻は既に昼を過ぎ、外は眩しいほどの太陽が輝いているのに、アクアはカーテンを締め切ったままの荒れ果てた部屋屋のすみで一人、布団にうずくまっていた。寝るつもりはなかったのに体のほうが先に疲れ果てて寝てしまったのだろう。悪夢に魘されながら時折苦悶の表情を浮かべていた。


 そんな辛そうなアクアの姿を見て────私はひどく、ほっとした。

「……良かった。あんたが元気そうで」


 他人が見たらどこが元気そうなんだとか言われるでしょうけど。ちゃんと、生きている。咄嗟にアクアを庇ったあの後、薄れゆく意識の中で彼を守り切れたかが気がかりだったから、こうしてアクアがまだこの世界に無事でいるだけで私には十分に嬉しかった。それでもあわよくばで、ダメ元でアクアに手を伸ばしてみたら案の定私の手はアクアの手をすり抜けた。

「あー……、やっぱりダメね」

 好きな人が目の前にいても、触れられない。あー!分かっちゃいたけど、落ち込むわ!こんなの!!!今の自分が何にも触れないのは知っていたけれどそれでも、こうして実感すると落ち込まずにはいられない。はあと大きなため息を付いて数秒しっかり落ち込んでから、首を横にふって気持ちを切り替える。それでも良いとあの子に頷いたのは、私自身なんだから。

 すぅ、と大きく息を吸い込んであらん限りの声で叫んでみる。

「起きろー!!!!ほら!もう朝!っていうかもう昼!なんだから!!!!いつまで寝てるつもり?普通ならとっくに下校時間!ほら、太陽浴びる!!起きた起きた!!!」

 触れられない私がアクアに気づいてもらうには、もうこの手しかない。私の必死の目覚ましに、ハッと目を覚ましたアクアはそのまま眼の前の私を視界に入れて、まるで幽霊を目撃したたかのように目を丸くした。まあ実際、幽霊を見てるんだからそうなるわよね。

「有馬……かな……?!」

「そうよ、有馬かな!忘れたなんて言わせないわよ?あーくん?」

「………」

「……えーっと、その、私のこと見えてるわよね……?えっ、待って…ち、ちか…!!」

 愕然とした表情を浮かべていたアクアが急に布団を跳ね除けて近づいてきたから、咄嗟に身構えてしまった。えっ、なに、なに、ちょっと大胆すぎない!?抱きしめちゃうの!?なんて浮かれたのもほんの一瞬で、アクアの手は、当然のごとく私の体をごと空を切った。

「あっ……」

「……ハハハ、何やってんだろうな、俺は。俺が、有馬を殺したのに……」

 さっき自分で確認したことだったのに、すっかり忘れていた。そう、今の私には実体がない。アクアはそのまま空を切った自分の手を、血が出そうなほどきつく拳を握り込んでしまった。そしてまるで私なんてこの場にいないかのように呪いの言葉を自分に吐く姿が、ひどく痛ましかった。今のアクアの瞳に生気は感じられず、目元もすっかり疲れ切っている。

「なあ、有馬。俺を責めに来たんだろ……?俺が、お前を殺したんだ。お前のほうが生きるべきだったのに、俺が──」

 私が意識を取り戻す今日までずっとそんな言葉を自分に向けてきたのだろう。その気持ちは私にも理解できた。私だって、もしアクアが私を庇って死んだらきっと同じ気持ちになってた。

 やさぐれて、どうしてって。あんたのほうが生きるべきだった、って。それでも、図太い私は……きっとどこかで立ち直ってしまう。だから。だから、本音を言えば、アクアがこうして私の死にこれだけ取り乱してくれたのが、ちょっと……ううん。ちょっとどころか、かなり嬉しかった。なんてそんなの不謹慎だから、絶対に言えないけど。私が一つハッキリ言えることは、アクアを庇ったことに後悔は一切ないということだった。

「はぁ??何言ってんのよ。あんたが不甲斐ないから励ましにきてやったんじゃない。そもそも責めるってなに?あんた、私の死に一丁前に責任感じてるわけ?」

「……っ」

「私が死んだのは私の責任。アクアを庇ったのも私がそうしたいと思ったから。確かにどこぞの誰かに刺されそうになったのはあんたにもちょっぴし責任があるかもしれないけど?誰にも恨みを買わないなんてのは無理な話だし、そこはほら?実際刺しにくる頭のネジがとち狂った奴が悪いわけ!私だって誰かに苛ついてぶん殴りたくなることはあっても、実際殴ろうなんて考えやしないわよ!それなのに後先も考えずに刺しにくるなんて、相当、いかれてなきゃできなわいわよ…!あー……。だから、その。何が良いたいかって言うと……あんたは私を殺してないし、私はあんたが無事でよかった、って思ってるってこと!」

 はい、そういうことだから!と生前と同じように早口で捲し立てた私を見て、アクアは少しだけ私を信じる気になったようだ。

「なあ……お前、本当に……有馬なのか?」

「なに。本物って?本物も偽物もないわよ。私は有馬かな、そう言ってるでしょ?」

 でもアクアが未だに目の前の私を信じられないのは無理もない。今の私はアクアにしか見えない所詮、彼の中の幻想みたいなもの。私もあの謎の女の子と先に話してなかったきっともっと取り乱してたに違いない。それに、ちょっと今更だったかも。なんか私が死んでから二週間は経ったみたいだし。

「ほら。そんなことより朝なんだから、まずその悲惨な顔洗ってきて……」

 アクアがそれきり押し黙ってしまったのでなにか悲観的なことを考えてしまう前にともう一度アクアに声をかけている時に、私はとあることに気づいてしまった。

「ってアクア、うっすら髭生えてるじゃないーーー!!あんた仮にも業界人なんだから!」

 色素が薄いから目立ちにくい筈なのに、ハッキリ分かるってことは相当放置してたでしょ!

「そんなの、もうどうだっていい。俺には関係ないことだ…」

「まーた、そんなすねたこといっちゃって…。てかアクアの髭はじめてみた………。あんた髭まで金色なの。珍しいわね……」

 勿論アクアの心配はしてるけれど、それはそれとして。アクアに薄くでも髭が生えてるのを見るのはちょっと新鮮で……。もう少し近くで見たくてアクアの側に覗き込むように近くに寄ると顔を隠されてしまった。

「……おい、マジマジ見るな」

「見られたくなかったら、ちゃんと剃ることね〜!」

 もうちょっと見たかったのに。それでも一瞬だけ軽口を叩けて、前の空気感に戻ったと思ったら、今度はまた重苦しい雰囲気に逆戻りしてしまった。う~気まずっ~~!!苦手なのよこの空気~~!生きてたならそのままそう口にしてやりたかった。きっと無限の時間があれば、それでも良かったかも知れない。アクアも徐々に立ち直ってくれる。でも、私にはそんな悠長に過ごせる時間がない。

「もー!そんなにうじうじうして……!!!はい!そんなにジメジメしてちゃカビが生えるわよ!キノコにでもなるつもり!?というか、そんなんじゃあんたを庇った私が浮かばれないでしょ!?」

「…………有馬」

「私に悪いと思うんだったら、さっさと立ち直ること!あんたが元気になるのを、誰よりも、私が──望んでいるんだから」

 ずっと思っていることと反対のことを紡ぐこの口が好きじゃなかった。けれど不思議と、こうして死んでしまった今は少しだけ気持ちを素直に言葉にすることができた。

「私、アクアの演技が好き。今もよ」

 実際に触れることはできないけれど、アクアの手の上に私の手を重ねる。

「あんたはそうでもなさそうだったけど、私はアクアの演技をもっと見るの楽しみにしてた。だから……」

 このままあんたが芸能界から去るのなんて絶対に私は認めない。そう言いきってしまいたかった。今の私が頭ごなしに言ってしまえば、アクアはもしかしたら芸能界に戻ってくれるかもしれない。けど違う、私は義務感で演技をしてほしいじゃない。私が、私が見たいのは、アクアが作品に向けるあの真摯な演技。あんたが輝く姿。私と同じように、あの世界で泥臭く足掻くあんたの格好いい姿。それを私が死んだことでやめるっていうんだったら、絶対にそのやめるのを止めさせてやる。

 アクアが立ち直るまでは。そう結んだ約束だったけれど、あの子によれば私の意識を留められるのも限度があるらしい。だから、それまでに絶対に──。アクア、例えあんたが望まなくたって、私が絶対にあんたのことを立ち直らせてみせる。

「だから………そう!まずは、社会復帰ね!!」

「……俺には、そんな権利」

「ある!!私があるって言ったんだから!それより。そのパジャマ一体何日着たままなの?ほら、うら若き乙女が目の前にいるんだから?もう少ししゃんとした服がいいと思わない?ね?それに、新しい服に着替えたほうが少しはスッキリするわよ?」

私が矢継ぎ早に話しかけた所でアクアの反応は薄い。それでもこんな幽霊になってしまった私のことを邪険に扱わずに話を聞いてくれる分には希望が見える。時間は少しかかるかもしれないけれど、何が何でもあの舞台へあんたを戻して見せる。そして、あのスポットライトをあんたにもあててやる。


そう、誓って──幽霊になった私とアクアの新しい日々が始まった。


「じゃあ、これからよろしくね。あーくん」






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