わん

わん


曇らせ、胸糞注意







しろ、しろ、あか、しろ、

かつて皆が愛したその白は、一夜にして血と火で赤く赤く染まった。

死んだ、父と母は撃ち殺された。

死んでいた、助けると嘘をつかれた友人と恩師の死体は広場に広がっていて。

死んでしまう、誰かの命乞いが銃声の合間に木霊する。

死んでいく、燃やされた建物の上の窓から誰かの上半身が引っかかって揺れる。


燃えていた。


「……ぁ、あ」


泣きながらそれでも軍靴と銃声を避けて走り戻った病院は街のどの家より轟々と激しく、燃えていた。

その赤が目に反射する。雪が火の熱で溶けてベチャベチャの水混じりになっていて、木に積もった雪が日に炙られてべちゃりと地面に落ちる。そのぐちゃぐちゃな冷たい地面の上に、彼は呆然と崩れ落ちていた。

音が、爆ぜる音が聞こえる。軍靴と銃声と誰かの命令する声と、それから、微かな呼吸音が。

呼吸音が、小さく意味を紡いで空気を揺らしたのを、彼は気づいた。

その"声"は、確かに、『にいさま』と動いたのだ。


「ら、み?」


彼はすぐに気がついた。それは、その音は病院に残してきた妹の物だと。

妹はまだ生きてる……!! 彼は顔を上げた。音が聞こえたのならばもしかしたら妹はどうにか無事病院から自力で脱出していたんだろう。そして、見つからないように庭の木々の間に隠れたに違いない。

どこだ。どこにいるんだ。彼は僅かな音も逃すまいと"気を研ぎ澄ました"。網膜の、裏のあたりがチリリと痛んだ時、何かが壊れるような音がした。

視界の中で映像がダブって、雪と木々の広がる現実とは違う赤と黒の世界が広がった。

それが炎の赤とその奥に広がる闇だと気づくのにも時間は要さなかった。


「……くま?」


その視界の中でちらりと写った小さな腕が抱えているくまの人形が見える。でも、そんなわけない。だってそのくまは、母が妹のために編んだ特別な人形で……だから、だからそれは妹が抱えているべきもののはず、で、…?


"こわい"


微かな声が、けれどもはっきりと彼の脳に聞こえた。それを理解した瞬間、頭の中に声の濁流が流れ込んでくる。

いたい、

いたい、こわい、……いきができないの、いたいよ、

あつい、あつい…いたい、たすけてよっ、くるしい!くるしいくるしい!!ぁついあついあつい、こわいこわいのに、いたい、だれか、とおさまかあさま、にいさま!!たすけて、わたし、くるしい、くるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしい、


"ぁ、あぅ、…にぃ、"

「……さ、っま、っ、ァ…」


赤が、生々しいほど照り輝く赤が細い腕もクマも闇すらも焼いて焼いて侵して、


その最後の声は酸素を奪われて空気を揺らすことなく、視界は赤く焼き切れた。


「らみ……?、ラミッ!!」


死んだ。

死んだと、妹は今、死んだのだ、と彼は理解した。彼の、兄の言いつけを守って苦しみながら死んだのだ。彼は、生きている妹を見殺しに、したのだ、と。


「ぁ、あ、ああぁあァああああ!!!」


心が粉々になりそうな苦しみだった。殺した。彼が殺した。彼のせいで妹は死んだ。眼の前で死んだ。あんなに小さい子だったのに。最後まで自分のことを呼んでいたのに。助けが来るのを待っていたのに。苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで絶望して、最後は信じていた兄に裏切られて妹は、妹は、死んでしまった。少年のせいで、しんでしまった。

少年は絶望した。

もういやだ。何もかも嫌だ、もう何も考えたくない、見たくない。この目も耳も潰して楽になりたい。

少年は両耳を覆い、目をきつく瞑った。くぐもる自分の悲鳴が確かに遠ざかる。

それでも、少年の苦しみとは裏腹に、覆った耳を瞑った目をあざ笑うように声も、映像も脳へと直接流れ込んできた。

まるで濁流かのように。

憎い。

憎い、憎い苦しい、なんでこんな目に、お前らのせいだ呪ってやる、殺してやる!おもたい、なんで?これなに、助けて、誰か助けて……っ、おかあさん!おかあさん!!お願いふりむかないで、…まだ生きてやがったか、死にたくない生きたい生きたい、病気の親父はもうおいていくしか、…な、そんなのできないわ!息ができないの怖いよ、誰か助けてよ、しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね、ホワイトモンスター!!奇病だ、駆除しろ、かわいそうにでも殺し尽くすしかない、子供だけでも見逃してく、憎いなんで殺されなきゃならないんだ、国王は、もう逃げた…この国は終わりだ……、あはははははは、はははは、せめて最後は尊厳ある死を…っ、西地区消毒完了、東地区にて駆除対象が潜伏しているとおもわれ、きづかないでくれ、こわい、こわい、死にたくないよ。大丈夫だからね、きっと助かるから、おい、あそこにまだ建物が、信じなさい、神はいつでも見ていてくださる、火炎放射器到着し、気色悪い死体ばっかりだ、救いの手は必ずさしのべ、おれ帰ったら恋人に告白するつもり、この戦争世界政府からの補助があったらしい、最悪だこれから肉食えないかも、うわ、死体と目があっちまったよ、ああ、神様おねがいします、死体が欲しいなんて偉い奴は悪趣味だよなぁ、こわいこわいこわいこわい、息子にはやく会いたいな、可哀想な奴らだ自業自得だけど、しにたくない、たすけ…、


____駆除完了。








嗚呼、やっぱり神様なんて、いないじゃないか



「…は、はは、」


少年の口から気づけば勝手に笑い声が漏れていた。何も楽しいことなんてないのに、くるしいばかりなのに、何故かわななく唇は釣り上がり、喉が痙攣して笑いが漏れる。


「はは、ははは」


笑いと一緒に流れ落ちる汗とも涙とも付かない液体でもう訳がわからなくなっていた。もしかしたら、心の何処か壊れてはいけないところが壊れてしまったのかもしれない。ボロボロと炙り爛れた心が崩れ落ちて死んでいく。

嗚呼、でもどうしよう。少年にはその治し方なんてわからない。父は体の治し方は教えてくれたけど、心はどうすべきかは教えてくれなかった。

べちゃついた雪がズボンもシャツも濡らしていく。遠くの雪は大火の熱で完全に溶けきりただの水溜りとなっていた。そこに反射した赤が揺らめいている。少年の目の前に広がる大病院が、かつての実家が完全に火に呑まれていっそ美しいほどの赤い火柱となっては、か細くさざめいていた。

火の粉が夜空の黒にゆっくりと融けて、やがて消えていく。

あか、あか、くろ、あか、

かつての白い御伽の街は、少年の家族と友人と幸せとそして心とともに燃え盛り、真っ黒な死体に変わってしまった。


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