らくがき。 #小塗マキ

らくがき。 #小塗マキ


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 ユウカ先輩が誘拐されてから。そろそろ一ヵ月くらい。

 ……いや、こうやって「『ユウカ』せんぱいが『ゆうか』い」なんて口に出してみるとオヤジギャグみたいだけど……実際は全然笑い事じゃなくて。


 あの日、ユウカ先輩は、鉄壁だったはずのセミナーのセキュリティを掻い潜られて、攫われて、監禁されて、「ひどいこと」されて……

 あと、もうちょっとで……最後に残った大切なものまで、全部奪われちゃうところだっんだから。


 その上、あろうことかユウカ先輩が「ひどいこと」されてる一部始終は動画としてリアルタイムで配信されて、ミレニアムのネットワーク中に拡散されてて……

 もちろん映像はすぐにあたしたちが全部消去したから、今はデータとしてはどこにも残ってない。


 でも……記録は消せても、人の記憶まではそう簡単に消せやしない。

 匿名メールやメッセージアプリを通じてミレニアム中にばらまかれた動画配信のアドレス。

 そのアクセス履歴を辿ってみたら、実にミレニアム生徒の過半数がリンクをクリックした形跡があった。

 もちろん、中には見てられなくて途中で動画を閉じちゃった子もいただろうけど……実際のところ、あの映像を少しも見なかったって生徒の方が今のミレニアムでは少数派で。

 あえて話題にする人はあんまりいないけど、あの日のユウカ先輩がどんな目に遭ったか、たぶん今のミレニアムで知らない子はいない。

 だから……「あの日」のことは絶対、なかったことになんてできない。


 だって、だってさ。

 ユウカ先輩はあたしたちミレニアムのみんなのお母さんみたいな人で。

 いつも口うるさくてちょっとだけ怖いけど、それと同じくらい優しくて。

 世話焼きで、お堅いようでいて乙女なところもあって、先生のことが大好きで……あたしにとっても、なんだかんだ言って大切な先輩。


 ……そんなユウカ先輩が、女の子としての尊厳を徹底的に踏みにじられて穢されていく光景が、今でも頭の奥に焼きついて離れない。

 あんな光景を目の当たりにして、それでも平然としていられる子なんて、きっとミレニアムには誰もいないから。


「……違う」


 苛立たしげな声と共に、目の前のキャンパスという名の壁面に塗料を吹き付ける。


 今日もまた、全然ダメだ。

 ……あの日から、自分で「良い」って思えるグラフィティを、まだ一枚も描けていない。


 あれから、たったの一ヵ月。

 だけど、その一ヵ月でユウカ先輩は随分と痩せた……っていうかもっとはっきり言えば、やつれちゃった。

 お化粧で誤魔化してるけど、顔色だってずっと悪くて。ちゃんとご飯は食べられてるのかな。

 「ユウカ先輩の体重は100kg!」なんて笑い話にできてた頃が懐かしい……まあ、あれも元を辿ればあたしのせいなんだけど。


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 ……後から聞いた話。

 今回の犯人の手引きをしたのは、ユウカ先輩のセミナーの後輩の黒崎コユキって子で。


 本人は「ちょっとしたイタズラのつもりだった。騙されてやっただけ、こんなことになるなんて思ってなかった」なんて言ってるらしくて……。

 たとえ騙されただけだったとしても、正直その子にあまりいい感情は抱けない。


 でも、さ。

 だからこそ、どうしても考えちゃう。


 もしも、もしも……あたしがあの子と同じ立場だったら?


 あの日、ちょっとしたイタズラのつもりでユウカ先輩の体重を書き換えて、ちょっとした手違いでミレニアム中に拡散しちゃった時みたいに。

 あの時は笑い話で済んだけど……もしもそうじゃなかったら?


 だって、あの時は、たまたまそうならなかっただけで。

 ほんの些細なイタズラでユウカ先輩のことを破滅させてたのは、もしかしたら、あたしの方だったのかもしれなくて……

 それじゃあ……あたしが、いつもやってることって……今までやってきたことって、何?


「違う、違う、違う、違う……!」


 頭の中に浮かんだイヤな考えを掻き消したくて、ただひたすらに色を塗りたくる。赤、青、黄色、緑、桃色……違う、これも違う、これも、これも、これも!

 ……だけど、どれだけ絵筆を走らせたって、頭の中のもやもやは全然消えてくれなくて。それどころかますます強くなって……


 ──絵を描くことが好きだった。

 あたしにとってはグラフィティも、ハッキングだって根本は同じ。

 世界をもっと色鮮やかに。あたしの色で塗り潰して、染め上げて、それを見た誰かに、あたしはここにいるんだ!って宣言する、そういう儀式であり自己表現。

 先生やチヒロ先輩はあんまりいい顔をしてくれないけど……この衝動ばっかりは誰に注意されたって止められないし、止めるつもりもない。

 ……ずっとそう思ってた。


 だけど……

 あいつらに好き放題に穢されていくユウカ先輩の泣き顔が、頭の中から消えてくれない。

 今まであたしがやってきたことは、周りのみんなからはあんな風に見えてたの?

 ……違う。そんなことない。あたしはそうじゃない。そんな風に思いたくて、思いたかったけれど、それでも──


 他人が大事にしている場所に土足で踏み込んで、好き放題に塗り潰して、弄んで──それを悪びれることさえしない。

 それが、いけないことだって言うなら。


 だったら、あたしは。

 ユウカ先輩を塗り潰して、ぐちゃぐちゃにした奴らと──いったい何が違うっていうの?


「──あ」


 ふと我に返って、目の前のキャンパスを見て……愕然とした。

 だって、そこにあったのは……色とりどりのペンキでぐちゃぐちゃに塗り潰されて、ごちゃまぜになって黒一色に染まったそれは、もうグラフィティでもなんでもない──


 ただの傍迷惑な落書きだった。


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