ゆり拓ゆい〜思い出のお菓子〜(その2)
今川焼き、大判焼き、御座候、回転焼き…etc
そのお菓子には呆れるくらいたくさんの名前があった。
おばあちゃん言ってた。料理は舌だけで味わうんじゃない、見た目と、そして名前も重要だって。
例えレシピと味が同じでも、その名前にはその店の、その地方の物語が込められているから、って。
あたしの大好きな【おむすび】は、みんなは【おにぎり】って呼んでいて、でもあたしはやっぱり【おむすび】って名前の方が好き。
だって、人と人とを【結ぶ】料理だから。
おばあちゃんから聞いたこの物語が好きだから、あたしは【おむすび】が好き。
だから、ゆりさんがお父さんとの思い出に食べた◯◯◯には、その思い出の物語があって、それはきっと、レシピをいくら工夫しても答えには辿り着けないんじゃないかな。
ゆりさんが学校に通っている間、あたしも中学校で授業を受けながらそんなことを考えていた。
この世界は、あたしと拓海が本来居た世界とは違う世界だ。
だって、クラスにはここねちゃんもらんちゃんも居ない。あたしの知ってる人が誰も居ない。
居ないのは友達や知り合いだけじゃなくて、家族もだった。
そもそもここはおいしーなタウンでさえ無かった。
見覚えのない街で、あたしは中学生をやりながら、高校生であるゆりさんの母親をやらされている。
でも、それ以外は全て平常なのがこの世界だった。
怪物が現れるわけでも、見慣れぬ妖精がいるわけでもない。でもレシピッピはちゃんといる。
放課後、あたしは自宅──月影の表札がかけられた集合住宅の一室──へ帰る途中、近くの和菓子屋さんに立ち寄った。
例のお菓子もそこにある。【きんつば】、って名称で売られていた。
だけど昨日は【七尾焼き】って名前だった。
この世界が異世界だと思い知らされる数少ない違和感の一つがこれだった。
この世界では◯◯◯の名称は決して安定しない。きっとアニマーンの仕業なんだろう。
◯◯◯のレシピッピはいるけれど、人がつけた名前にはあまり頓着しない性質なのか、今日もご機嫌そうにあたりをふわふわ漂っていた。
昨日、拓海が作った【今川焼き】にもレシピッピは宿っていた。あたしが食べた時、確かにレシピッピさんは飛んでいた。
でも……ゆりさんが【今川焼き】を食べてもレシピッピは現れなかった。
レシピッピは、それを食べた人が心から笑顔になれた時に現れる。
だから、ゆりさんはまだ心から笑顔になってくれてない。
だから、この世界はまだ壊れない。ゆりさんは正気に戻ってくれない。
どうすれば良いんだろう。夕暮れ空を眺めながら、あたしはため息をこぼした。
〜〜〜
あたしが帰宅すると、ちょっとした騒ぎが起きていた。
玄関のドア越しに拓海の声が聞こえてきたから、また落ち込んで泣いているのかと思ったけれど、でもそうじゃなかった。
「ゆり、しっかりしろ、ゆり!」
慌てて部屋に入ると、リビングのテーブルに突っ伏したゆりさんの姿と、その背中をさする拓海の姿があった。
「拓海、どうしたの!?」
「わからない。でも、帰ってきた時から具合悪そうだったんだ。だからとりあえず座らせたら、そのまま気絶しちまって…」
拓海の顔が焦りと悔しさに歪んでいた。いつもならデリシャストーンの治癒能力で治せるのに、今、拓海はデリシャストーンを持っていなかった。
あたしはすぐに洗面所で濡れタオルを用意して、ゆりさんの顔を拭った。
おでこに手を当てると、熱っぽい気がする。
「風邪なのかな? 拓海、救急車呼ぼうよ」
「わかった」
拓海がすぐにリビングの固定電話で119にかけた。
でも…
「ふさけるな!」
拓海が声を荒げて受話器を叩きつけた。
「拓海…?」
「アニマーンだ。電話に奴が出やがったんだ。……心配ない、寝不足の疲労が溜まっただけだってな。アニマーンはそう言った」
あたしはゆりさんの顔を覗き込んだ。
熱で赤らんだ顔。浅い息。うなされたように眉間に眉を寄せている。
「とりあえず寝室へ運ぼうよ」
「そうだな」
ゆりさんの両脇から二人で肩を貸して、彼女を寝室のベッドに横たえた。
「あたしが着替えさせるから、拓海は…えっと……」
「わかってる。そっちは任せた。俺はおかゆでも用意するよ」
「うん….ありがと、拓海」
彼が退室した後、あたしはゆりさんの服を脱がせ、汗ばんだ下着を新しいものに着替えさせた。
ゆりさんの体は線が細いけれど、しっかりと鍛えられたしなやかな筋肉に適度に脂肪が乗っていて、とても綺麗で、美しいスタイルをしていた。
でも、その肌にはところどころ、隠し切れない薄い傷跡がいくつも残っていた。
孤高の戦士、キュアムーンライトのことは、あたしも聞いたことがある。その過酷な戦いの遍歴を、あたしは垣間見た気がした。
「ん……ん…っ!」
眠ったまま、ゆりさんがうなされている。きっと悪い夢を見ているのだろう。
起こすべきなのかな。でも、この現実だって悪夢のようなものだ。
あたしが迷いながら彼女の額に濡れタオルを乗せた時、ゆりさんがうっすらと目を開けた。
「…おかあ…さん…?」
ぼんやりとした潤んだ瞳で問いかけられて、あたしは頷いた。
「うん、そうだよ。ゆり、大丈夫?」
できるだけ頑張って笑顔を作って、そう呼びかける。
すると、ゆりさんは安心したかのように微笑んでくれた。
「うん……なんだか、怖い夢を見ていたみたい」
「そうなんだ。…どんな夢?」
「覚えてないわ。でも、とても寂しい気分が…今も続いてるの……」
遠くを見るようなゆりさんの目から、涙が一筋溢れ落ちた。
あたしはそっとその涙を指で拭う。
そのままゆりさんの頬を手のひらで包み込むように撫でると、彼女は安心したように、あたしの手のひらに顔を預けた。
「お母さんの手……あったかい……」
「うん……」
あたしが何て答えたらいいのかわからなくなったその時、部屋の外から拓海が控えめに声をかけた。
「ゆい、お粥ができた。もう入って大丈夫か?」
「うん、良いよ。ゆりさ──ゆりも目が覚めたから」
「そうか」
ほっとした声と共に拓海がお粥が入った土鍋をトレイに乗せて部屋に入ってきた。
「お父さん…」
「大丈夫か、ゆり。ほら、父さん特性の卵粥だ。食欲…あるか?」
「うん、あるわ。食べたい」
あたしがゆりさんの上体を起こしてあげてる間に、拓海がお粥をお椀によそって差し出した。
「ほら」
「あーん」
ゆりさんは小鳥が餌をねだるようにその口を小さく開けて、拓海に少しだけ身を乗り出した。
その意外な行動に拓海もあたしも一瞬固まったけど、拓海はすぐに匙でお粥を掬って、息を吹きかけた。
「熱いから気をつけるんだぞ」
拓海の吐息で冷ましたお粥を、ゆりさんの口元に運ぶ。
「……美味しいか?」
「うん」
ゆりさんは小さく頷いて、また口を開けた。
拓海は苦笑しながら、またお粥に息を吹きかけて冷ました後、ゆりさんに食べさせる。
そうやって一椀分を食べさせ終える頃、あたしは周りにレシピッピが浮いていたことに気がついた。
「お父さん…お母さん…ありがとう」
弱々しいけれど、心からの笑顔で、ゆりさんはそう言った。
〜〜〜
ゆりさんが再び眠った後、あたしは拓海とリビングでお茶をしながら、これからのことを話し合っていた。
「じゃあゆい、これ以上お菓子のレシピを変えても無駄ってことか?」
「無駄ってわけじゃないと思うけれど、でももっと他の方法もあるんじゃないかなって」
「例えば?」
「わかんない!」
「お前なぁ…」
「えへへ…でも、他の方法ってのはあたしが考えるから、拓海は気にしないで。……ていうかさ、あんまり無理しないで欲しいな」
「無理?」
「うん….拓海、あたしやゆりさんのためにいつも一生懸命だからさ。昨日…とか…」
「あれは……すまん、俺が不甲斐なかったんだ。あんな無様なところ見せちまって悪かった」
「悪いなんて言わないでよ。良いんだよ、泣いてもさ。その…あたしなんかでよかったら…また…慰めてあげる……から……」
昨晩のことを思い出して、顔が思わず赤くなった。多分、拓海も同じ顔してるんじゃないかな。
拓海が何も言わずに向かいの席を立って、あたしの隣に座った。
うぁ、なんかドキドキが止まらなくなってきちゃって、拓海の顔がまともに見れないや。
「…ゆい」
耳元で拓海が囁く。
あたし、声出せなくて、ちょっぴりだけ頷くのが精一杯だった。
あたしの頬に拓海の手が触れて、そのまま顔を向けられた。
目頭が熱くなって瞼をギュッと閉じたとき、唇に優しくて柔らかい温もりが触れた──
〜〜〜
なんやかんやあって色々やってちょっとだけ頭が冷静になった深夜過ぎ。
あたしは、ふと思いついた。
「ねえ拓海、ゆりさんの体調が良くなったらさ、三人で◯◯◯を作らない?」
「ん? 何か手掛かりでもあったのか?」
「そうじゃないけど、でも三人で作ったら楽しいかな、って」
「楽しいって……そりゃまあ楽しいだろうけど……それだけなのか?」
「うん、それだけ」
あたしが頷くと、暗がりでよく見えないけれど、彼が呆れた顔をしたのがわかった。
「お前なぁ」
「ふふ、良いじゃない。料理は笑顔だよ。ちょっとくらい脱出とか、そういうの離れてさ、リラックスしようよ」
「まあ、それも一理あるかな」
「でしょ?」
あたしの言葉に、拓海は苦笑しながら腕枕した手で髪を撫でてくれた。
心地よい手。今夜はきっとよく眠れる。
ゆりさんもどうか、良い夢を……
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