ゆきのひ

ゆきのひ


しんしんと雪の降る日のことでした。ぼくは従姉のお遣いで隣の寮を訪れました。「重賞を勝っても連絡ひとつ寄越さない息子の様子を見てきてほしい」という用事はすぐに済みました。



自分の寮へ帰ろうとすると

「あの」

デビューもまだ遠いような小さな女の子に声をかけられました。

「ファンなんです」

というその子を皮切りに

「ぱかプチゲットしました」

「今度初めて長距離走るんです」

なんて下級生たちに囲まれてしまいました。他愛のないおしゃべりを続けたのはやはり雪の中を帰るのは気が進まなかったからです。つい先日、大切なレースの直前に暖房が故障して調子を崩してしまいました。その日も雪が降っていました。それ以来ぼくは雪がちょっぴり苦手です。



「もう遅いから泊まっていったらどうだい?」

寮長さんが見回りに来た時にはすっかり日が暮れていました。ぼくはその提案に乗ることにしました。

「なら俺の部屋に来ませんか。今日はひとりなんで」

クラシック級くらいの男の子が親切に誘ってくれましたが、さすがに今日話しただけの下級生の世話になるわけにはいきません。

「いやあ。寮長さん、ここのソファで寝ても構いませんか?」

「それじゃ休めないだろ。僕のとこに泊まりなよ」

ぐいっと腕を引いたのは、この一年間で何度も競い合った後輩でした。海外でも一緒だった彼ならぼくも気安いのでお願いすることにしました。



部屋に入ると、もうひとりの後輩が出迎えてくれました。今晩は不在だと思い込んで確かめなかったぼくの落ち度です。

「お邪魔してごめんね。ぼく床で寝るから」

「いえ」

こちらの後輩もグランプリで会っていたので知らない相手ではないのだけれど問題はベッドが空いていないということです。

「そんなことしてまた調子崩したらどうするんですか。あんたはこっちです」

後輩はぺしぺしと自分のベッドを叩きます。助けを求めて大きな後輩の方を見ても

「その組合せがいい。おれが1番大きいから」

とまるで頼りになりませんでした。

夕ご飯を食べながら、お風呂に入りながら、説得を続けても取りつく島もありませんでした。

「じゃ、おやすみなさい」

とうとう同じ布団に入れられてしまいました。壁際ではこっそり抜け出すこともできません。できるだけ場所を取らないよう壁に寄っていると

「そんな端じゃはみ出るでしょ」

と背中に温もりを感じました。昔を思い出します。


ふるさとでは幼馴染ところころ走り回ってはもみくちゃになって眠る、犬の子みたいな日々を過ごしていました。進学してからも同室で、大きなレースの前だったりなんとなく不安な夜には臆病風の吹く隙間を埋めるくらいにぎゅうぎゅうとくっついていました。思い出したら胸がいっぱいになってなんだか泣いてしまいそうです。

「え……そんなに嫌でした?」

気付かれてしまいました。後輩はショックを受けた様子です。ここは先輩として安心させてあげなければいけません。

「ううん。懐かしくて。ふたりの頃はよくこうして寝ていたなって」

振り向いて後輩の背中をぽんぽんと叩きます。幼馴染よりひと回り大きくて、それでいて同じようにぽかぽかと温かいのです。


『ぼくは寂しかったんだ』

夢うつつの合間に悟りました。幼馴染が引退してもう1年が過ぎました。トレーニングから帰って暗く冷たい部屋に出迎えられることにも慣れたはずでした。ただ近ごろはお世話になった先輩や仲のいい同期の引退が重なって自分だけが取り残されていくような感覚がありました。でも今はもう大丈夫。



ぼくはとてもさわやかな気分で目覚めました。

「おはよう」

「おはようございます……」

「……あと5分」

積もった雪が朝の光できらきらと輝くまぶしい朝でした。



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