やり直し

やり直し


 紆余曲折を経て、私とルフィは夫婦になった。

 恋人すっ飛ばしていきなり夫婦になる(しかもデキ婚)とか我ながら相当ぶっ飛んでるとは思うが、過程が過程なのだから仕方ない。

 色々あったものの、最終的にはこの形に落ち着いて良かったと思う。


 しかし、さしあたって一つ問題がある。

 ルフィのことだ。

 それと言うのもどうにも彼は、私に触れることを避けている節がある。

 例えばこの間、夕食を食べている時に偶然同じタイミングで醤油を取ろうとして手が触れたことがあったのたが、大袈裟なくらいに飛び跳ねて『ごめん!!』と大声で謝り倒してきたことがあった(驚いて泣いたルーシーをあやすのに30分くらいかかった)。


 それだけじゃない。

 夜眠る時だって、一応は一緒のベッドで寝ているはずなのに、落ちるギリギリまで端っこに寄って私と身体が接触しないようにしているのだ。

 更に結構な割合で朝起きると、ベッドから抜け出して居間のソファで寝こけている時がある。


 夫のそんな奇行の数々に、私は言い様のない不安を覚えた。

 もしかしてまた気付かないうちに、私はルフィに何かしてしまったのだろうか。

 あの一件があってから、二度とあんな悲しいすれ違いが起きないように、ルフィの言動には細心の注意を払ってきたというのに。




 早急に探りを入れる必要がある。

 この、やっと手に入れた幸せな日々が、万が一にも壊れてしまわないように。




 そう確信した私は、早速ルーシーをシャンクスに預けて、緊急の夫婦会議をすることにした。

 テーブルを挟んで向かい合い、じっとお互いを見つめ合う。何かこうしてるとお見合いみたいだ。


「……それでウタ、話ってのは何なんだ」


 ルフィがおずおずと切り出した。

 不安そうに揺れる黒い瞳には、私だけが映り込んでいる。

 

「勿体ぶるのは好きじゃないから単刀直入に言うね。ルフィ、あんた私のこと避けてるでしょ」


 それを受けて、私も包み隠さず訊きたかったことを訊いた。

 一体どうしてルフィがあんな態度を取るのか、その理由を知りたくて。

 ルフィは私の質問に対して、声を荒くして叫び返してくる。


「さ、避けてなんかねえ! おれがウタのことを避けるなんて、そんなことあるはずがねえだろうが!!」


「でも私に触れようとしないじゃない。ちょっと手が当たっただけで飛び退くし、夜寝る時だってめちゃくちゃ距離取るしさ」


「うっ……」


 図星を突かれた様子で呻くルフィ。

 私は彼に悟られぬよう息を深くして、


「もしかしてさ、私またルフィに何かしちゃったのかな? 一応、そうならないように気をつけてたはずなんだけど」


 核心となる言葉を紡ぐ。

 ルフィに嫌われただなんて、安易な発想はしない。

 思い込みという厄介な魔物によって、私もルフィも大変なことになったのだから。

 疑わしいことがあったとしても、まずはしっかり事実確認を取る。ルフィのお父さんが書いた本に載ってた金言だ。


「そんなんじゃねえよ! ウタは何も悪くねえ! おれが勝手にそうしてるだけで……」


「じゃあどうしてそんな変な態度を取るのか教えて? 私、もうルフィとの仲が拗れたりするのは嫌なの。ルフィとはずっと仲良くしていたいから」


 諭すように語気を優しくするのを努めて、私は再度質問をする。

 ルフィは尚も言葉に詰まっていた様子だったけれど、やがて観念したように、ゆっくりと答えてくれた。


「……怖ぇんだ」


 搾り出したような声。


「怖い?」


「ああ」


 ルフィはコクリと頷いて、


「おれはウタに、とても酷いことをした。絶対に許されちゃいけないような酷いことを。あんなおぞましいこと、もう二度としたいだなんて思わねえけど、もしウタに触れたらまた、そんな気持ちが沸き上がってくるかも知れねえ。それが、怖い……」


 ぼそぼそとしたその言葉を聞いて、私はハッと息を呑んだ。

 脳裏に思い浮かぶのは、私たちの関係を大きく変える原因となった出来事。

 ルフィが私をレイプした時のことだった。


「あんた、まだ気にしてたの?」


「当たり前だろ! むしろ、お前が気にしなさ過ぎなんだよ!」


「だってあれに関しては私も同罪なとこあるし。それにシャンクスから一発殴られて、それでもうチャラってことになったでしょ」


「そう、だけどよ……」


 それきり、ルフィは黙り込んでしまう。

 俯きがちな彼の姿をじっと見据えながら、私は考えを巡らせる。


 ルフィが私を避ける理由。

 それは例の出来事を起因とする私に対する罪悪感によって、『私に触れること』そのものが半ばトラウマみたいになってると見ていいだろう。


 なら話は単純だ。

 それを払拭してあげれば良い。

 さて一体どうするべきか。しばらく頭を悩ませて、やがてある妙案を思いついた。


「よし、じゃあこうしよっか」


 パンッ、と両手で軽く拍子を打って、項垂れるルフィに切り出す。

 面を上げてくれたルフィをまっすぐに見つめて。


「ルフィ。今から私とエッチしよう」


 はっきりと、そう告げた。




「………………………………はぁっ!?」


 しばらくの間、ポカンとした顔をしていたルフィが唐突に大きな声を出した。


「うわビックリした。急に叫ばないでよ、近所迷惑でしょ」


「あ、わ、悪い……じゃなくて! お前いきなり何言ってんだよ!? 何で突然そんな話になるんだ!!?」


 分かりやすいくらいに顔を真っ赤にしながら、もだもだと狼狽えるルフィ。可愛い。

 おっと、いけないいけない。愛でてる場合じゃなかった。

 コホンと咳払いをひとつして、ルフィからの問いに答えることにする。


「だってルフィ、私をレイ……無理やり襲ったことがトラウマになってるんでしょ? ならそんな辛い記憶は、もっと楽しい記憶で塗り潰しちゃえば良い。二人でいっぱい気持ち良くなって、ぜーんぶ上書きしちゃおうよ。いいアイディアだと思わない?」


「い、いや! さすがにそれはやべえだろ! フジュンだフジュン!」


「私たちもう子供もいる夫婦なんだけど? 私たちがエッチするのが不純なら世の中の男女関係は全部不純ってことになるよ」


「そ、それはそうだけどよ……それとこれとは全然違うっていうか……」


 彼らしからぬ歯切れの悪さで、ルフィは口ごもる。

 しばらくの間、リビングに静寂が満ちた。




「……いいのか?」


 やがて、ルフィはポツリと呟く。


「おれは、ウタをレイプしたんだぞ? そんなおれとその……エッチするの、お前怖くねえのかよ? 辛くねえのかよ?」


「全然」


 きっぱりと答える。


「確かに、あの時は凄く怖かったし、しばらく思い悩んだりもした。でも、そもそもああなった原因はあんたの勇気を何度も踏みにじるようなことをした私にあるんだし、今のルフィは本当に誠実に私を愛してくれてるって伝わってきてる。だから、怖くも辛くもないよ」


「でもよ……」


「それにね、あんたに襲われたことも、今となってはむしろそうなって良かったって思ってるんだ」


「え?」


 私の発言が理解できない様子で、ルフィは間の抜けた声を出す。

 当然だろう。

 仮にもレイプ被害者が加害者に向かって『襲ってくれて良かった』なんて言い放つなんて、ちょっと正気の沙汰じゃない。

 だけど私は胸を張ってそう言える。

 それはもちろん、相手がルフィだったからって言うのもあるけど……


「だってあの出来事がなかったら、私たちの世界で一番大切な宝物は、この世に生まれて来なかったんだよ? だからきっと、あれで良かったの。少なくとも私はそう思ってる」


 目に入れても痛くない、可愛くて仕方がない息子のことを思い浮かべる。

 もしあの日のことを否定したら、生まれてきたあの子のことまで否定することになってしまう。

 それだけは絶対に嫌だった。


「ウタ……」


「でも、それはあくまで私の話」


 テーブルの上に置かれたルフィの手に、そっと手のひらを重ねる。


「ルフィがあの日のことがどうしても忘れられないなら、もう一度やり直そう。一人の男性として、夫として、あんたのことを私がどれだけ愛してるかっていうのを、ちゃんと教えてあげるから。怖がる必要なんて、どこにもないってことをさ」


 そうして、お互いの指を絡めるような形で、ぎゅっと握り込んだ。

 恋人繋ぎ。いや、夫婦なんだから夫婦繋ぎって言うべきかな。


「もちろん、ルフィが嫌だっていうなら無理強いはしない。後はあんたが決めること」


 二人の視線が交わる。


「ね、どうしたい?」


 囁くように尋ねる。

 まるでロリポップみたいに、自分でも驚くほど甘く蕩けそうな声だった。


「…………」


 ルフィは無言で、私の手を握り返してくれた。




 その日。

 私とルフィは、本当の意味で『夫婦』になった。


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