やはり野に置け蓮華草

やはり野に置け蓮華草


──幼い頃、父が黒い宝石を磨いているところを見たことがあった。


あれはエレメンタリースクールの夏休みで、避暑地にある別荘に家族で泊まりに行った日の事だった。

滅多にこない場所にワクワクが抑えられず、敷地内を探検していた僕は、隠すように建てられた決して小さな屋敷を見つけた。

管理人の説明になかったその屋敷に好奇心を擽られ、僕は一人そこに忍び込んだ。


正面玄関の鍵は開いていたから容易く入れた僕は、思った以上にキレイな内装に驚いた。

物置にしては綺麗に清掃され、内装も調えられている屋敷だった。

そして少人数の使用人たちもいることから、僕は誰かがここに住んでいるのかなと考えた。

しかし親族に避暑地で暮らしている人は居ただろうか?少なくとも聞いたことはない。

可能性のある管理人は別荘の一室を借りているから違う。

使用人たちから隠れながら、屋敷内を歩いていくうちに、一つのことに気付いた。


部屋が少ないのだ。

使用人部屋、調理室、……それらを抜きにして見ると、客間といった部屋が無いのだ。 それに異様に窓も少ない。

まるで見られたくない何かを隠すかのように、この屋敷は維持されていると感じた瞬間、僕はなんだか怖くなった。

一体誰がこの屋敷を作った?何のために維持している?


「(そういえば父さん、最近家を空けることが多くなったよね……)」


──いや、まさか、父がそんなことをするはずが……。


そして辿り着いた、屋敷の奥深くにあった部屋の一つ。

部屋の中には人がいるらしい。知らない人の──低さからして男だろう──が一つと、聞き慣れた父の声が一つの、二人分の声が扉越しにくぐもって聞こえる。


じっとりと嫌な汗が背中を伝う。

まさか、そんな、嫌だ、知りたくない、と頭の中で叫びつつも、僕の手は音を立てぬよう扉を少しだけ開いていた。


──薄暗い部屋の中、面積の大半を占めるベッドで、父は母ではない誰かを抱いていた。

ギシギシとスプリングが軋む音が、ぐちゃぐちゃと粘着質な音が、パンパンと肉と肉がぶつかり合う音が、色に塗れた男の喘ぎ声が、興奮した父の声が、その空間に絶えなく響いていた。


男は言葉にすらなっていない赤子のような声で啼いて父にされるがままにされていた。

そんな男を父は情欲が剥き出した瞳で見下ろし、男を貪っていた。


信じがたい光景に僕は動けず、ただ隙間から父の秘密をじっと見ていることしか出来なかった。

そして気がつけば僕は、屋敷から抜け出して別邸に帰っていた。

どうやって帰ったかは覚えていない。

でも男の漆黒の髪と黄金色の瞳は、やけに鮮明に記憶に残っていた。


いつまでも。そして、今もなお。


#


あれからかなりの月日が経ち、エレメンタリースクールを卒業した僕は、競走世界に入るためトレセン学園に入った。

そこで僕は終生のライバルにして、最愛の人となる少年──サンデーサイレンスと出会った。

初めに走りでたなびく黒い髪と、ギラギラと存在を示す黄金の瞳に目を奪われ、次に僕を負かしたレースの直後に僕に向けた勝者の笑みに心を奪われた。

それから周囲を巻き込んだりして、なんやかんやありつつ彼との交際に漕ぎ着けた。

彼と愛し合うようになってから、僕の世界は色鮮やかになった。とても楽しい日々が続いた。


その間、僕の家でも変わったことがあった。

外出先で大怪我を負った父は、治ってからは家にいることが多くなった。でもその笑みはどこか虚ろになっていた。

まるで大切なものを失ったかのように、父は窶れながらも生きていた。


そんなある日、父は僕を呼び出した。


「ゴア、これをあげよう」


目尻に濃いクマが出来て久しい父からの贈り物は、2つの鍵だった。


「覚えているかな?ゴアがエレメンタリースクールだった頃、別荘に行った夏休みを。……見てただろう。屋敷に忍び込んで、私の秘密を」


父の言葉に思わず息を呑む。

偶然とはいえ父の秘密を見てしまったことが、あの日僕が、異常な空間を覗き見していたことがバレていた。


「別に責めるつもりじゃない。それなら話が早いと思っただけさ」


「話が早い……?」


「あの屋敷は、代々我が家に受け継がれている宝箱だ。我が家の者──主に当主はそこに、表立って出せない宝石を仕舞い込み、一人愛でてきた。

 私もそうだった。自分の宝石を見つけたけど、彼は既に家庭を持っていた。……だから彼を攫って、あそこに閉じ込めた。

 ゴアもいつか、そうまでてして手に入れたい存在を見つけるだろう。そのときはそれを使うといい。多くの者がそうしてきたのだから」


そこで父は窓に視線を向けた。

綺麗な青空が広がっていて、太陽もさんさんと輝いている。


「大事にしたんだ。何よりも誰よりも、愛していたんだ。だから磨くのも……愛するのを忘れずに行っていた。

 でも、私の愛は彼に届かなかった。彼は屋敷から出ることを渇望して、それを実行した。

 ほら一年前、私は大怪我を追っただろう?表向きは不慮の事故だけど、そうじゃないんだ。私から逃げるために、牙を向いた彼が付けたんだ」


何故かふと、先日会ったサンデーの両親を思い出した。

彼にそっくりな父親は僕を見た瞬間、恐怖と驚愕が滲んだ表情をしたことも思い出した。

……そういえば僕も、サンデーのお父さんを見た瞬間、既視感を覚えたっけ。何処で会っただろうか。


「私の宝石は……彼はヘイローといったなぁ。見つからないんだけど、元気にしてるかなぁ」


瞬間、黒金の男とサンデーのお父さんが一致した。


#


「ニッポンにトレーナーとしてスカウトされた?」


「おう。卒業したらすぐ行くんだ」


お互い競走世界から引退し、卒業を待つ日々になってから暫く経ったある日、サンデーは卒業後の進路を教えてくれた。


「ねえサンデー」


──君は僕の宝石なんだよ。


──一生大事にするよ。僕の命ある限り君を磨き続けるし、愛し続けるよ。


──だから、君の父親みたいにあの宝箱に仕舞われてよ。


「ん?どしたゴア?」


「……ううん。毎日会えなくなるのは寂しいなぁ」


「子供みたいなこと言うなぁ。暇なときはそっちの時間なんて気にせず電話してやるから」


「本当?それは楽しみだなぁ!」


「だから、さ」


そこでサンデーは言葉を断った。言いにくそうにしている。どうしたんだろう?


「辛くなったらいつでも泊まりに来いよ。お前の部屋作っておくから……」


──ああ、君はそういう子だったな。


「もう、敵わないなぁ……」


「ん?なんか言ったか?」


「ううん。なんでも。その時はお言葉に甘えさせてもらうね」


不思議そうにする彼に、僕は笑って返す。

テーブルの下で僕は、ポケットの奥底に忍ばせていた2つの鍵を、壊す気持ちで強く握り締めた。

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