もしも帝国に潜入したのがヴィアベルとゼンゼだったら

 もしも帝国に潜入したのがヴィアベルとゼンゼだったら


帝国領・帝都アイスベルク内、とある屋敷のパーティ会場に、一台の馬車が停まった。

「お手をどうぞ、お嬢さん」

「……似合わないな」

降り立った一組の男女――ヴィアベルとゼンゼは、大陸魔法協会の一級魔法使いである。

三日後に宮廷が主催する舞踏会で、大魔法使いゼーリエの暗殺が行われる――そんな不穏な報告を受けて、密命でやってきていたのだった。

帝国で諜報活動中の一級魔法使いリネアールからの指定で、彼女が屋敷の倉庫に隠した報告文書でもって情報の受け渡しがなされる手筈となっている。

潜入のために地方貴族に身を扮した二人は、いかにも正式な来賓然とした態度で屋敷に入っていった。


「ん」

ヴィアベルが自身の脇を少し開け、ゼンゼに目で促す。ゼンゼはそっと身を寄せ、彼の二の腕に手をかけた。

会場の様子をみると、同じように腕を組んだ男女がめいめいに談笑したり、軽食を楽しんだりしている。

自分たちが周りから浮いてしないか最低限の気を払いつつも、倉庫のある屋敷の奥に向かう。

「そっちは随分サマになってるぜ。どこからどう見ても立派な貴族の若奥様だ」

「……」

ふとヴィアベルが呟いた。予期せぬ言葉に、ゼンゼは一瞬呆気にとられたようにポカンと口を開いたが、すぐに表情を引き締めた。

「……世辞を言わなくていい。こういう格好が似合うたちじゃない事は、自分でよくわかっている」

ゼンゼはイブニングドレスに身を包み、長い髪はアップヘアの形にまとめられていた。

「こんな風に髪を結わえておくのも、どうも気持ちが落ち着かないし」

「あー、もしかして髪型が違うと魔法を使うのに支障が出るのか?」

「いや、それは問題ない。単に気分的な問題だ」

「それを聞いて安心したぜ。でもまあ、俺たちは下手をすりゃ既に面が割れているかもしれないからな、装いはなるべく普段と変わってた方が都合いいんじゃねぇか」

そういうヴィアベルは、タキシードを纏って髪はオールバックにしている。普段の彼らをよく知る者が見ても、すぐには誰か分からないだろう。

「……そうだな」

そんな彼の姿を改めて見やり、やっぱり似合わないな、とゼンゼは呟いた。



ほどなくして倉庫に行き着いた二人は、すぐさま文書の捜索を開始した。

幸い、倉庫周辺に人気は全くない。広さも想定していたほどではなかったが、とかく物品は多かった。文書の隠し場所の詳細は知らされていなかったため(ゼンゼは「あの女の嫌がらせだ」と不機嫌を隠すこともなく言った)、二人は手早く分担を決め、物音を立てないよう黙々と作業を進めていったが――不意に、手を止めた。

「ヴィアベル」

「――ああ」

耳を澄ませる。静寂の中、わずかな軍靴の音が聞こえた。

「見つかったみたいだな。この足音――相手は二人か」

「そのようだ。相当な手練れだな。気付かずこれほど接近されるとは」

「一貴族の屋敷警護としては想像しがたい人員だな。……どうする。俺は退いた方が無難と思うが」

言いつつ、ヴィアベルは立ち上がって窓にさっと視線を走らすと、ゼンゼに目配せした。敵が想定外の時は、深追いせずに引いて体勢を立て直すのが最良――それが彼の判断だった。

だが、ゼンゼはしゃがみ込んだ姿勢のまま、動こうとしない。

「そうだな、尤もな意見だ。……だが、ここで一度引いてしまうと再侵入は難しくなる。任務を完遂できない」

「このまま迎え撃つつもりか」

「……私と君なら、制圧できると思う」

「やってくる二人はどうにかしたとしても、その後に増援が来るかもしれねぇだろ」

「まとめてギタギタにしてやるさ」

「おっかねぇな……」

ヴィアベルは翻意を促すが、ゼンゼは応じない。

ゼーリエの身を案じての事なのだろう、とヴィアベルは思った。

ゼンゼは一級魔法使いの中でも、特にゼーリエを敬愛しているようだった。是が非でも暗殺を阻止しようと意気込んでいるに違いない。

そうこうしている間にも、足音はまっすぐこちらに向かってくる。

「……わかった。付き合うぜ」

観念したように、ヴィアベルは溜息をつく。それを見てゼンゼはふっと微笑み、自身の髪留めに手をかける。

「ただし――」

髪を解こうするゼンゼの手を取って制止するヴィアベル。

「その前にちょっと悪あがきをさせてもらう。戦うのは、それからだ」

「ヴィアベル……?」

ゼンゼが怪訝な表情を浮かべる。

「あー、先に謝っとくぜ、ゼンゼ――すまん」

早口にそういうと、ヴィアベルは空いた方の手でゼンゼの肩を掴み、そのまま壁に押し付けた。



――ドンッ

倉庫の入り口が開かれるのと、反対側の壁際にヴィアベルがゼンゼの身体を押し付けたのは、ほぼ同時だった。

「これは失礼」

入り口を開けた警護の男は、部屋の中で一組の男女が身体を密着させている光景を認めるや、すぐに扉を閉めた。

「どうしますかカノーネ?」

男はもう一人の警護の者に判断を仰ぐ。カノーネと呼ばれた、男と同じ制服を身に着けた女性は、「放っておけ」と一喝したが、

「それが、魔法使いのようで。おそらく、かなりの手練れです」

という男の言葉を聞き、「やれやれ」ため息をついた。

「部屋には他に異状はなかったか? 魔法を使った痕跡や、散らかっていたり、埃が立っていたり」

「ざっと見た限りでは何も」

「厄介だな」

カノーネは思案顔になり、言葉を続けた。

「来賓には魔法学校出身の貴族もいる。魔法使いである事のみをもって、招かれざる客と断じる事はできない。こんな人目のつかない所に忍び込むのも、色事であれば説明はつくからな」

「では、二人に話を聞いて身分を確認しますか?」

「できると思うか? 事によっては貴族に非常な恥をかかせることになる。辺境の地へ無期限で赴任したいというなら話は別だが」

「では、どうします」

「――少し、このまま様子を窺うとしよう。ボロを出すかもしれん」

二人は息を殺し、入り口の扉に耳をそばだてた。


(……まだ、居やがるな)

倉庫内。壁際でゼンゼに覆いかぶさるように立ちながら、ヴィアベルは入り口に意識を集中していた。

情事と見せかけて警備をやり過ごそうという作戦は、咄嗟の思い付きだった。

ゼンゼに伝える暇もなく敢行したが、幸い意図が通じたのか、彼女は特に抵抗したりすることはなく、警備の眼も一旦は欺くことができた。

しかし、相手もさるもので、まだ入り口の向こうからこちらを監視しているようだった。

(――このまま何の動きも見せなければ、却って怪しまれるな)

ヴィアベルは、ふと視線を落とした。

彼の腕の中で、ゼンゼは金縛りにあったかのように微動だにせず、されるがままになっている。白い肌が、かすかに上気していた。

ヴィアベルは思案する。ゼンゼに作戦を伝えたいが、警備に聞かれる恐れがある。――このまま続けるほか、ない。

掴んでいたゼンゼの手首を離して、そのまま頬に触れ――緩やかに指先を滑らせて顎に添えると、彼女の顔を自分と向き合わせるよう、軽く上向かせた。



「……っ」

ゼンゼは壁際へ押しやられてから、自身の鼓動を鎮めるのに苦心していた。

ヴィアベルの行動の意図は、すぐにわかった。情事の最中に見せかけて警備の者達の目を欺き、戦闘を回避しようとしたのだろう。そう、合理的な手段だ。今こうしてヴィアベルと密着しているのは、あくまで任務を円滑に遂行するためであって――そう言い聞かせても、不意をうたれたその瞬間に大きく跳ねあがった心臓は、早鐘のように鳴りつづけている。

何も考えず無心になろうとしても、直に触れ合いそうな体や掴まれた手首から感じる体熱が、彼の存在をいやがうえにも意識させる。

「んぁぅ……」

上ずった調子はずれの声が漏れた。自分の喉から出たとは思えない音に、思わず手で口を押さえる。その拍子に目が合い――また、息が詰まった。

ヴィアベルは、微笑んでいた。良く見せるニヒルな笑みではなく、屈託のない笑み。

目が合ったのを合図に、ヴィアベルの手がゼンゼの頬に向かって伸び、柔らかに触れた。

「ぁ……」

声が掠れてうまく喋れない。顔全体が熱くなり、頭もぼんやりして、夢か現実か分からないままに、いつの間にかヴィアベルの双眸だけが視界に映っていた。

「なぁ……いいだろ?」

ヴィアベルの囁きが耳をくすぐる。ゼンゼは堪らず、眼を閉じた。


「……これ以上は馬に蹴られかねんな」

カノーネはそう呟き、倉庫の入り口から身を遠ざけた。もう一人の男も、それに倣って扉にくっ付けていた耳を離す。

「今のところ、シロクロで言えばシロだろうな。少なくとも、女性の方の反応は本物だろう」

「そういうの、分かるんですね」

「失礼な事を言うな君は」

二人は、ようやく倉庫の入り口から離れた。

「しかし、別の意味で心配になってきましたね」

警備の男が呟く。

「何が?」

「いや、婦女暴行とかそういった意味で。男の方はいかにも女性を泣かせそうな面構えをしていましたからね」

「まあそこは我々の管轄ではないさ。それに、魔法使いなら本気で拒みたければ魔法を使うだろう。そうなれば調べる大義名分もできるさ」

そう言うと、二人は連れ立って歩き出し、ようやく倉庫から離れていった。



「ゼンゼ、もう済んだぜ。やっと撒けたみたいだ」

ゼンゼから身を離しながら、ヴィアベルが言った。

「えっ、あ、え……?」

ゼンゼはおそるおそる眼を開け、自分の唇を確かめた……キスをされた感触は、なかった。思わずへたり込む。

ヴィアベルはというと、既に文書の捜索を再開し始めていた。先ほど、ゼンゼに迫っていた時の雰囲気は、余韻すらもない。

ゼンゼが呆気に取られていると、ヴィアベルは不意に「すまなかったな」と呟いた。

「……なぜ謝る」

ゼンゼが問い返す。

「敵を欺くためとはいえ、好きでもない男にキスを迫られるのは嫌だったろ。こっちは役得だったけどな」

「……」

ゼンゼは顔を顰めた。俄然、腹立たしくなってきた。いかに演技とはいえ、あれだけ無遠慮に迫ってきておいて。

「今は君をギッタギタにしたい気分だ」

ヴィアベルをじっとりと半眼で見据えながら、ゼンゼが言う。ヴィアベルは思わず、「おっかねぇな」と首をすくめた。



文書はすぐに見つかり、果たして二人は無事任務を終えて帰還した。

その後、髪型を弄るゼンゼの姿が頻繁に目撃されるようになったり、ゼンゼがリネアールと再会した際にかつてない大喧嘩が繰り広げられたりしたが、それらはまた別のお話。

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