もしもの話、ウタとゴードン

もしもの話、ウタとゴードン


「ゴードン、大丈夫?」

「あ、ああ……何とか」


一気に駆け出したせいで乱れた衣服を整え、ゴードンは目の前の少女に応える。ゴードンが少女の表情を伺うと、彼にとって見慣れた笑顔がそこにあった。息も整え、今度はゴードンから少女に問いかける。


「……君が私のよく知るウタ、かね?」

「んー、そうだけど、ちょっと違うかな」


ウタの答えに、ゴードンはううむ、と唸り難しい顔をした。無理のない話だ、夕食を済ませ、椅子に腰掛け、増えてきた音楽学校の生徒達の為に音楽院の再建を考えあれこれ思案していた所までは覚えている。

そして気付いたら、この不思議な空間に突然飛ばされていたのだから。


「それにしても、ビックリしたでしょ? あたしがいっぱいいたから」

「それだけじゃない……皆、本当に君と同じ『ウタ』なのか、正直未だに信じられんよ」

「あはは! 確かに!」


かつての日々と変わらない笑顔で応えるウタに、ゴードンはようやく安堵を覚えた。

ゴードンがこの美しくも不思議な空間に突然降り立ち、誰か居ないかと探し歩いて最初に出会ったのは、誰であろうウタだった。かつて赤髪のシャンクスからゴードンに託され、世界を平和にする歌声を手にした少女、ウタ……但し、サングラスをして、上はアロハシャツ一枚、下は海パン一丁という出で立ちの、だが。

どうやら目の前のウタ?にとって客人は珍しい事だったらしく、そのウタが声を掛けると、後ろからもう二人ウタが現れた。開いた口が塞がらないゴードンに対し、一方のウタはやけにねっとりとした口調で語りかけ、もう一方のウタは自分が一番偉いといったような事を矢継ぎ早にまくし立てた。

いよいよどうして良いか分からなくなっていた所に、更にもう三人程ウタが現れた。色々言っていた最初の三人を二人が宥めている内に手を引いて駆け出したのが、今目の前に居るウタだった。


「ここは、ウタウタの実の能力で作ったウタワールド! 本当はあたしの歌を聴いた人が集まるんだけど、何かの間違いで、色んな世界で暮らしてるあたしが集まっちゃったんだ」


俄には信じられない話を繰り広げる目の前のウタに、ゴードンは怪訝な表情を浮かべたが、それには構わず目の前のウタはあちこちを指さす。その先には、幾人ものウタが思い思いに過ごしているようだった。


「さっきゴードンを助けてくれたのが、海軍に入隊したあたしと、海賊が大嫌いなあたし。あそこにいるのが結婚して5人の子持ちになったあたしで、その膝の上にいる人形もあたし。んでえっと……あそこでなんか大喧嘩してるのが、トットムジカに身体を乗っ取られたあたしと、あたしよりずっと覚悟決めて新時代を作ろうとしたあたし、あとルフィの船に乗って今新世界を冒険してるあたしね」

「う、うむ……」


ゴードンは未だに混乱気味ではあったが、ファーストコンタクトよりは多少冷静になれた。目の前のウタが説明する通り、出で立ちは違うが、皆同じ顔をしている。確かに皆、"ウタ"だった。


「この距離だとあの喧嘩に巻き込まれかねないし……ちょっと離れよっか」


そう言って手を引くウタに導かれるまま、足を進める。その手から感じる暖かさが、ゴードンの思考に光を差した。それは確かに、生前のウタと同じ暖かさだったのだから。



「ここまで来れば大丈夫かな? まあそろそろ子持ちのあたしがキレて止める頃だろうし、大丈夫でしょ!」


うん、と背伸びをしたウタに、ゴードンは少し考えつつ、静かに問いかける。


「ウタ、君は違うと言ったが……やはり君が、私のよく知るウタに思えてならない。君は一体、どんな道を歩んだ『ウタ』なのかね?」

「あたしは確かに、あのライブを開いてみんなを道連れに死のうとして、ルフィとシャンクスに助けて貰った『ウタ』だよ。けど、皆と違うのはコレ!」


そう言って、指をパチンと鳴らすと、ウタの側を漂っていた音符が山積みにされた漫画本と何かのパッケージに変わった。ゴードンが山の上の一冊を手に取ると、表紙にはかつて魔王に取り込まれたウタを救ってくれた少年、モンキー・D・ルフィが最も目立つように描かれている。


「これは……ルフィ君を題材にした本かね?」

「題材って言うか、ルフィの冒険そのものが記録されてる本って所かな? フーシャ村を旅立って、エレジアに来るすぐ前までの冒険がこの本全部に記録されてるの。あたしはこれを隅から隅まで読んで、ルフィが冒険してきた世界を知ったウタだよ。だから、あの時のウタっていうのも正解!」


目の前のウタに薦められるまま何冊か手に取って、パラパラとめくってみる。その中で、生き生きと動き回るルフィと仲間達の姿は、ゴードンにとっても感慨深いものだった。あの日、ウタを救ってくれた少年とその仲間達が、確かにそこにいた。


「楽しそうだよね、ルフィ!」

「ああ、そうだな……」


その時、何かが刺さったかのような痛みがゴードンの心を襲った。今でも彼の胸に残り続ける罪悪感や自責の念、そして後悔。先程見てきた沢山のウタの表情が脳裏に蘇る。

もしかしたら、もっと別の道があったのではないか。ルフィ君達と広い世界を見て周り、本当に世界を幸せにする歌姫になれる道が、あったのではないか。


「……すまない」


不意に、その想いが言葉になって零れた。ハッとしてウタに視線をやると、ウタは優しく微笑んでいた。


「もう謝らないで、ゴードン。むしろ謝らないといけないのは、あたしの方だよ。世界の事、ライブの事、あの楽譜の事、全部黙って決めちゃって……ごめんなさい」

「ウタ……だが、私は」


一度口にしたせいで溢れて止まらなくなったのか、ゴードンが言葉を続けようとすると、ウタはそれを遮った。


「でもね、ゴードン。あたしは確かに間違ってたかもしれない。他に色んなやり方があったかもしれない。でもあの時、最後にルフィとシャンクスが、あたしを助けてくれた。あたしは最後の最後に、『世界を導く歌姫』じゃなくて、赤髪海賊団の音楽家・ウタでいられた。ルフィと一緒に新時代を誓った、あの頃のあたしでいられた。それが、本当に嬉しかった」


感慨深く空を仰ぎ、再び笑顔でゴードンを見つめる。


「だから、って言うのも変だけど。ゴードンには、もうあたしの事で悔やんでほしくないって思ってたんだ。だからね、本当に安心したの」


そう言うと、ウタは指先をパチンと弾き、何かのフィルムが入ったパッケージを一つ取り出した。表にはウタを中心にルフィとシャンクスが描かれている。


「『FILM RED』……?」

「これ、あたしの映画。知ってる? あのエレジアのライブ、映画になってるんだよ? トットムジカをやっつけて、ルフィ達が帰るまでね! この場合あたし達が映画の中だったのかな?」

「あの時の事が……」


パッケージを眺めながら静かに回想するゴードンに、ウタが続ける。


「ゴードン、また音楽学校始めたんだよね。その映画の最後に出てたよ」


思わず、目を見開いた。あの事件の後のエレジアを、ウタが知る由もない。驚愕の表情を浮かべるゴードンを見つめながら、ウタは嬉しそうに語りかける。


「あたしね、ゴードンがもう一度、音楽と、音楽が好きな子供達に向き合えるようになったって知って、本当に嬉しかったし、安心したんだ。あたしはもう居ないけど……きっとまた、あたしみたいに世界を音楽で平和にしてくれる子がゴードンのところに来てくれる。あたしはそう信じてるよ!」


ゴードンの胸に、先程の負の感情とは全く別の思いが溢れ出した。

ウタ、君は。ずっと見守っていてくれたのか。あの歌と共に。

思わず溢れ出しそうになる感情を抑え込み、ゴードンは力強くウタに向き合った。


「……ウタ、私は、私は改めて誓おう! 今度こそ……!?」


ゴードンが胸に灯した決意を言い切る前に、その身体が光で包まれ始める。足下から少しずつ、ゴードンの身体が光になって消えていく。


「ありゃ、もう終わりか。ごめんねゴードン、あたし以外の人がこの世界に居られる時間は決まってるみたい。多分、目が覚めたら元の世界に帰ってるよ」

「ウタ……!!」


言いたい事はまだ沢山あった。けれど、光はあっという間にゴードンを包んでいく。それを見守りながら、ウタはにこりと笑った。


「ここでの記憶が残るかどうかまでは分からないけど、最後に言わせて。今まで本当にありがとう、ゴードン……あたしの、もう一人のお父さん!」


ウタの最後の言葉を聞いて、ゴードンの視界は光に包まれて消えていった。

そこには、山積みの漫画本とウタだけが残され、まるで初めから一人だったかのよう静けさが辺りを包んでいた。


「話はできた?」


不意の問いかけにウタが振り返ると、別のウタが人形のウタを抱え、静かに微笑みながらウタを見つめていた。


「うん。言いたかった事全部言えて、スッキリした!」

「それは良かった。でも、せっかく会えたのに、寂しくなるね」


小さくため息をつきながら言ったもう一人のウタに対し、ウタは軽やかに足を動かし、ゴードンがいた方を改めて見つめる。


「そんな事ないよ。もしそうだったとしても、ゴードンにとっては、これから音楽学校を作るっていう、新しい道を、歩くための……別れなんだから……え、笑顔で……笑顔で、別れなきゃ……! 門出の別れに……涙はいらないっ!!」


もう一人のウタは、そうだね、と優しく呟くと、身体を震わせるウタを後ろから静かに抱きしめ、肩に乗った人形のウタと一緒に、そっとウタの頭を撫でた。



ゴードンが目を覚ますと、元いた自室の椅子に腰掛けていた。あれは夢だったのだろうか、そう思ったゴードンが水を飲もうと立ち上がると、手元に何かがあった。ランプに照らしてみると、あの時受け取った映画のフィルムがそこにあった。

ゴードンはそれを両の手でそっと持ち上げると、あの時言い切れなかった決意を、もう一度胸に灯した。


それから十数年後、エレジアは再び音楽の都として再建を果たした。エレジアの中心部にある音楽院には、創始者であるゴードンの言葉を載せた碑文と、かつて音楽で世界を救おうとした歌姫とその仲間達を称えて、という言葉と共に、どんな機械でも再生できない一本の映画のフィルムが展示されているという。

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