もしものもしかしたら、のもしもの話
頭を抱えた。
ログが溜まったので出発準備をし、別れる前だからと最後の宴の許可を出し、騒ぐクルー達を見ながら少ないながら酒を煽ったのはいい。
これくらいはいいだろうと気が緩んでいたのも確かだし、麦わら達との別れにほんの少し寂しいような気があったのも確かだからこれに関して誰かを責めるつもりはない。
想定外だったのは宴の終盤で漸く情報を得たらしい海軍からの砲撃を受けた事で、潰れはしないが酔った奴らを運んで御馳走になった分の礼として食料やチョッパーが読みたがっていた医学書を麦わらの船へと届けたローが残ったまま出航せねばならなくなってしまった事だ。
幸い操舵に必要な奴らは素面だし、電伝虫も互いに持っているからそのまま次の島へと進むようにと連絡は取れたが彼らに振り回されるのも終いだと思っていたローからしてみれば肩を落とす結果となったのは間違いない。
何故か麦わらの一味からは好意的に受け入れられているのも一端か。
「すまないが世話になる。この分の食料は次の島に着いたら返す」
「気にすんなよトラ男!」
「いや気にしなさいよ、あんたの食べる分だけでも足りないんだから有難く受け取っときなさい」
懐の日誌と奇襲に備えて手元にあった鬼哭だけでも持ってこれた事にそっと息をつく。
いくら信頼をおけるクルー達であっても日誌と離れているのは落ち着かないし、鬼哭も……。
「そうだゾロ屋、少しいいか」
「あ?」
宴で残った酒を煽っていたゾロが訝し気にローを見る。
酔ってはいないと判断して近づき、鬼哭を目の前に立てて見せれば隻眼が鋭くなった。
「…随分と『騒がしく』なってんな、何した?」
「それが判らないから聞きにきた。そっちの妖刀に同じような症状はないのか?」
「俺のは最初からこうだからな。変なモン斬ったりは……いや、この数日でそんな気配なかったな」
そう言って腰元の刀の柄頭に掌を触れれば僅かな唸りのような気配が伝わってくる。
呼応するように鬼哭からも同じような気配が伝わるが、今までよりも獣に近いそれに揃って顔を顰める。
「違和感はあるがお前に牙を剥くでも無し、今の所は平気だろうが一回そういうのに詳しい奴捕まえて聞いた方がいいだろうな」
「いれば、の話だがな。悪いないきなりこんな話して」
柄に添えていた手を鞘に滑らせ、肩に引き上げる。
話が終わったと判断したのかルフィがその背に飛び乗る。
「なあなあ、次の島に着くまではトラ男も一緒なんだろ?じゃあ歓迎の宴をしなきゃだな!」
「今さっき別れの宴やってたよな?しかも食料的にも無駄遣い出来ないだろ」
引き剥がそうにもみょいんと伸びた腕に諦めてサンジへと視線を向ける。
この船の食糧事情なら彼に聞けば確実だ。
「ん、さっきローが持ってきてくれた分で簡単なモンは作れるから出来なくはないが」
「ならやろう!トラ男の歓迎の宴!」
「お前が騒ぎたいだけだろうが!というか今あんだけ食ってまだ食う気か!?」
「明日ならいいのか?」
「そういう問題じゃ……」
間近にあるルフィの目がきらきらと輝いているのを見るとどうにも断り辛い。
絆されているのを自覚してローは深く息を吐いた。
「…わかった、ただし明日だけだぞ」
「よっしゃー!」
がっくりと肩を落としたローの背でルフィが両手を上げて快哉を叫ぶ。
それを見たナミが呆れたように笑った。
「相変わらず押しに弱いわね」
「ルフィのあれに勝てる奴はそういねえからな」
返る苦笑に悪戯な笑みを向ける。
「そういうサンジくんもトラ男が乗るの嬉しいでしょ?」
「…まあ、悪くはないと思ってるよ」
目を細め、ルフィを剥がそうと四苦八苦しているローを見つめる。
懐に手を当て安堵の表情を見せていたのを考えればあの日誌はちゃんと手元にあるらしい。
触れられる事を嫌うなら部屋を割り当てなければならないと騒ぐ二人へと近づけば漸く剥がれたルフィが床に放り出された所だった。
「ルフィ、部屋なんだが」
「男子部屋に簡易ベッドでいいんじゃねえか?」
「歩く隙間がねえ」
「毛布でも貰えれば甲板の端借りるが」
頓着がないのかそういうローの耳元で声を潜める。
「日誌、あんまり潮風に晒さない方がいいだろ」
「……悪い」
「というわけで広さ的には展望室辺りに寝床作りてえんだが…」
顔を離してそう視線で問えば主にトレーニング室として使っているゾロが意図を汲んで頷く。
「端っこにならいいだろ、ただ俺は好きな時間に使うぞ」
「置いてもらう身だ、贅沢は言わない」
「えー!トラ男一緒に寝ないのか?」
「お前と一緒の部屋だと寝れなそうだしな」
不満げなルフィには悪いが納得の理由だ。
実際うるさいのでローには合わないだろう。
「決まりね、場所は行きたい所聞いてくれれば誰でも教えてくれるから」
「とりあえず今日はもう休みましょう。ベッドはゾロが運んでくれるそうだし」
「あ?それくらい自分で」
「もう取りに行っちゃったわよ、チョッパーも連れて」
ふふ、と笑うロビンに罰の悪い顔をする。
「悪いと思うなら明日から手合わせでも医学の意見交換でもやってあげればいいのよ」
「まあ、それくらいなら…」
「二人とも喜ぶわよ」
なにせこの船のクルーはローに対して随分と好意的だから。
それを判っていないローだけがこの反応に首を傾げる羽目になるが、指摘する人はいなかった。
『おめぇよぉ……』
『違うんだよ……威嚇されたから威嚇し返しただけなんだよ……』
『明らかに違和感悟られてんじゃねえか!』
『だってローに対して威嚇したから!そういうあんただって覇気出してたじゃん!』
『俺はいいんだよローに対して威嚇する方が悪いんだから』
『理不尽!』
何を言っているのかは判らないが、不思議と懐かしい雰囲気に腕に抱いたままの鬼哭を抱き直す。
ふわふわとした鍔に額を当てれば優しい気配が増した。
『…今度こそちゃんと守るからな、ロー』
頬を撫でられる。
もう二度と触れ合う事のない筈の気配に滲んだ涙が零れた。
「こら…さ、ん」
夢うつつのまま呟いた声が夜明け前の展望室に溶け、そのまま寝息に変わる。
それを見届けた気配が霧散し、何事も無かったかのように静寂が戻った部屋の外で佇む男の腰元から唸り声が響いた。