"タイヨウ"と逆光
"とある島" 森の中 ───
『最後に人に優しくされたのはいつだろう?』
存在しない、あるいは忘れてしまった記憶を辿りながら私は一人、座り込んでいた。奴隷生活から解放されて何日、何年経っただろう。ただ理由も無く、生きるのに必死だった。いつ死ぬかも解らない、周りから人間だと見られていない視線にはもう、慣れてしまった。
両親は私が小さかった頃に死んだ。身寄りのなかった私は、一人になった。私は運が悪いのだろう。その後、派手な赤い髪色の私を神様はとても気に入った。
それからは地獄だった。人を人とも思わない扱いをされている人たちを沢山見た。とても怖かった。あんな風になりたくなかった。そう思った私は神様の機嫌を損ねないように、どんな物にもなれるように努力した。何もできない自分を嫌悪しながら。
しかし、そんな生活は突然終わりを告げた。逃げ出すことの出来ない鳥カゴの中、誰かが神様に立ち向かった。その戦いの最中、私は混乱に乗じて逃げ出す事ができた。
私はがむしゃらに逃げた。生きていても何も残っていないのに。親を亡くした動物の子供がどうなったのか、それを知っていたはずなのに。その後の事はよく覚えていない。
楽しかったことを思い出そうとしていたはずが、嫌な思い出ばかり泉のように湧き出してくる。
『私は……生まれてきてよかったのかな…?』
煌々と光る太陽とは違く暗い、陰鬱な事ばかりを考えた始めた。しかし、そんな思考を邪魔するように、私一人だけしかいないはずの場所に突然、物音が響いた。
ガサッ ガサッ
「あいつらとはぐれちまった」
「ここ、どこだ?」
麦わら帽子に赤いシャツ、手配書で見た事がある。確か……「麦わらのルフィ』だ。五番目の皇帝。懸賞金15億。何故こんなところに悪名高い海賊が?先程までの考えていた記憶を思い出す。目を付けられれば何をされるか、嫌でも想像できた。きっとあの時と同じ目に遭う。
『逃げなきゃ…‼︎』
早くここから逃げなければ。そう思い、後退りをする。
だが、
────バキッ
「……‼︎」
やっぱり私は運が悪い。足元にある枝に気づかず、音を立ててしまった。よくこんなドシをするような生き物が生きてこれたものだと、私は自分を嘲笑した。
物音に気づいた"麦わら"が近づいてくる。奴隷から解放されたと言うのに、またあんな生活に戻るのか。嫌だ。もうあんな事をしたくない。そう思い、怯えながら私は身構えた。
だが予想していた事とは違う、明るく他人を照らす様な快活な声が響いた。
「ウタ⁉︎お前ウタだろ‼︎」
「…え?」
そう言うと、"麦わら"は私に抱きついてきた。この時、何か光るものが落ちた気がした。だがそれよりも、この行動の意味がわからなかった。何故会ったことのない海賊がこんな事を?
それにウタ?…どこかで聞いた事がある気がする。…町の映像電伝虫で聞いた事がある……そうだ、世間を賑わせていた歌姫だ。容姿と声が似ていたせいか、間違えられた事が何度かある。本物ではないとわかった途端、身なりも相まって罵倒されることもあったが。
「よかったー、あの後どうなったのか心配だったんだ‼︎」
「えっと…その…」
「そういえばシャンクス達はどこ行ったんだ?」
シャンクス……海の皇帝、四皇の名前だ。目の前の海賊と四皇にどんな繋がりがあるかは知らない。ただ、下手に刺激しない方がいいだろう。
「……?」
「ウタ、お前どうしちまったんだ?元気ないぞ?それになんでそんなにボロボロなんだ?」
私はこの場を切り抜ける為の嘘を必死に考えた。この男が話しかけているのはあの歌姫だろう。それなら映像電伝で見た事がある「ウタ」を思い出しながら話そう。そして隙を見て逃げ出そう。
「……あのね…私、記憶が無くなっちゃってて……自分が誰か忘れちゃったの」
こんな話し方だっただろうか。しかし、今まで自分に嘘をついて生きてきた私が、咄嗟に吐いた言葉は酷かった。何故こんな嘘をついたのだろうか。苦し紛れの嘘にしてもマシな物はもっとある。そうやって生きてきたはずだ。こんな嘘で海賊を騙せるわけがない。
「………」
「えぇーーーー!!??」
「じゃあ、おれのことも覚えてないのか⁉︎」
『信じるんだ……』
心の中でツッコんでしまった。この男と話していると、どうも調子が狂う。何故だろう。だが相手は海賊、信用はできない。一瞬緩みかけた心を引き締め、この嘘を突き通す。
「シャンクス達の事もか⁉︎」
「うん…それで怖くなって逃げてる途中で転んで怪我しちゃったの」
「…詳しいことはわかんねェけどよ、とりあえずここで話してても仕方ねェ‼︎チョッパーに見てもらおう‼︎あいつに診てもらえばすぐ治る‼︎」
「…ってそもそもおれ、あいつらと逸れてんだった…」
目の前の男は腕を組みながら、何か必死に考え事をしている。
「…よし、とりあえず肉とってくる‼︎メシ食えば元気出るだろ?」
ここで待ってろよー‼︎ ──────
遠ざかりながらここに待つよう言い残し、あの男は去っていった。去り際に、腕が伸びた気がするがきっと気のせいだ。
しかし不幸中の幸いだろうか。どうやら仲間達とは逸れているようだ。あの男もいなくなった。今のうちに逃げよう。
………『"麦わらのルフィ"』
「8メートルの巨漢である」などと、いい噂は聞かなかった。だが実際にあってみるとどうだろうか。私よりも年下で、ただの好青年にしか見えなかった。あれで五番目の皇帝?世の中よくわからないものだ。生きていく過程で、海賊になるしか選択肢がなかったのだろうか。そんな根拠のない仮説を立てながら、走し始めた。
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鬱蒼とした森の中を駆け抜ける。
すると変わり映えのしない景色の中、ふと違う風景が見えた。ウサギが怪我でもしたのだろうか、うずくまっている。その近くには、獲物を運良く見つけた大きな獣が近づいていた。私の身長の倍近くある大きなクマだ。
『可哀想に』
他人事のように考え、私はその場から立ち去ろうとした。
────だが私は無意識のうちに、その場所へと足を踏み込んでいた。
自分でもわからなかった。何故自分の身を危険に晒したのか。前にも同じ様な光景を見たはずだ。強者が弱者を踏み躙る。当たり前のことだ。
いや、理由はそれかもしれない。あの時、目の前にいながら何もできなかったからこそ、私はこんな行動を取ったのだろうか。それとも、このウサギと自分を重ね合わせたからか。理由はどうであれ、目の前の命を無碍にすることは出来なかった。助けなければ。その考えに体が支配された。
しかし、私に何ができる?非力で何も持たない私が?この子の身代わりぐらいにはなれるだろうか。そんな考えの中、私はウサギを庇う様に覆いかぶさった。
…クマが涎を垂らしながら近づく音がする。きっと私は死ぬだろう。こんな私だ。だけどこのか弱い命を守ることはできる。誰かの役に立って死ぬのならそれで、良い。
……どれくらい時間が流れただろうか。音が止んだ。何も起こらない。
私はそっと、顔を上げる。
クマと私の間には、太陽の光のような小麦色をした、麦わら帽子を被る青年がいた。
青年に恐れを成したのだろう。クマは怯えながら一目散に逃げていった。
「大丈夫か、ウタ」
太陽を背に、怯える私を覗きながら青年は聞いてくる。
優しい笑顔を向ける青年を見て、私は思い出した。今まで忘れていた、ヘドロの様な忌々しい記憶に塗りつぶされていた、朧げながら覚えている楽しかった幼い頃の思い出。私の大切な宝物。
それと同時に私はこの青年が、大好きだった父のように大きく、温かな、
─────“タイヨウ"に見えた。