めでたし、めでたし
現パロ 直義先生その3幸せな直義と軽音部、あと変わらずメンがヘラってる尊氏とその部下
※直義夫妻のNL描写含む
※ちょっと尊氏と師直が悪役チック
放課後、石塔は通いなれた軽音部の部室に足を運ぶ。もうここには1年半以上通っている。全メンバーとすっかり打ち解け、キーボードにもちょっとした自信が持てるようになった。いまでは作曲も手掛けるようになり、「鶴子ちゃんに捧げる曲」は先日ベスト盤を作成してコミケでそこそこ売れた。また、先月には軽音部に小生意気な後輩が入部し、早速直義先生に誑し込まれていた。超絶テクで鼻っ柱をへし折った後にセンスを誉め、慢心せず邁進すればお前はいずれ私を超えるだろう、などというのはずるいと石塔も思う。
相変わらず親には自分を理解してもらえないし、ほとんどのクラスメイトとは壁がある。何もかもうまくいっているわけではないが、それでも1年の頃に比べると、随分自分自身に胸を張れるようになった。何より、非常に理解のある顧問と、気の合うメンバーで構成されたこの軽音部にいるのは楽しい。中に入ると、既に渋川と岩松が準備を始めていた。
「やあ!お疲れ石塔!!」
「よ、よお石塔…よく来たな…」
妙にテンションの高い渋川とテンションの低い岩松だ。物静かで真面目な渋川と明るいチャラ男の岩松、二人ともこういうテンションなのは珍しい。
「やあ。渋川はずいぶんご機嫌じゃないか。どうしたんだ?」
「聞いてくれるか!!」
「もういいわ」
嬉しそうにはしゃぐ渋川とぐったりしている岩松。石塔は興味深げに先を促すと、こらえきれないように渋川が笑顔で叫んだ。
「直義先生が私のお義兄さんになるんだ!!」それから渋川は石塔に色々話してくれた。直義が渋川の姉にプロポーズをしたこと。姉がそれに喜んで応じたこと。直義が渋川の家にあいさつに来て、ご両親にも気に入られたこと。姉から婚約指輪を数時間見せびらかされたこと。今度の休みに籍を入れるらしいこと。
「…そうか、渋川のお姉さんは直義先生と付き合ってるんだったな。結婚か。それはめでたい!」
「そうだろうそうだろう!んふふふ。こんなにめでたいことはない!!」
「もう朝から何べん聞いたか。よく授業中は平静を保ててたな」
大喜びの渋川と対照的に岩松は疲れ切った顔をしている。もともと性格も正反対の二人だが、いつも一緒にいる。二人とも否定するだろうが、所謂親友同士という奴だ。通学下校もおおよそ一緒なので、朝からこのテンションの渋川に付き合わされてれば岩松もクタクタになるな、と石塔は少し同情した。
「いや、でも公民の授業中はにやつきを抑えられなかったかもしれない。直義先生に不気味に思われたかも」
渋川が少し赤く染めた頬を手で覆う。精悍な二枚目である渋川のその乙女のようなポーズに石塔は少し引いた。
「俺は不気味に思ってるケドな」
「岩松には別にどう思われてもいい」
岩松の軽口にスンとした真顔で渋川が応じた。先ほどの乙女とのギャップに石塔は笑いそうになるが、よく考えたら自分も渋川の立場ならそうかなと考え直す。
「コイツ酷くない?どう思う石塔」
「うむ、俺も直義先生に不気味に思われたらショックだが岩松なら別に…」
「俺に味方はいねえのか」
岩松ががっくり肩を落とすと、鶴子ちゃんが岩松を慰めに行くのが見えた。そうか。もともと鶴子ちゃんに曲を捧げれば、といったのは岩松だったものな。
「鶴子ちゃんはお前を慰めてくれてるぞ」
「そうか…鶴子はいい女だな…触れればなおいいんだがな……ま、鶴子に触れたらそれこそ石塔が結婚するか」
誤解である。鶴子ちゃんは天使なので触れられたとして触れる相手ではない。信仰の対象であり、守ってあげたいと思うような相手だ。訂正しなくては。
「いや、鶴子ちゃんは結婚とかそういうのではない。どちらかというと気持ち的には……そうだな、妹に近い」
「お前のそれは妹相手のそれじゃねえよ。そんなに妹に固執する兄貴いたらきめーわ」
「なんだと」
軽くにらみ合いをしていると部室のドアが開いた。上杉と新入部員の孫二郎だ。二人とも理系であるためか、馬が合うらしく学年は違うのによく一緒にいる。
「お疲れ様でーす先輩方」
「おや、今川君がまだですかな」
「やあ!!お疲れ孫二郎!上杉!!」
渋川のテンションは相変わらずだ。これはもう今日は下がるまい。ひょっとしたら数日後を引くかもしれない。上杉は若干引いていた。が、孫二郎は興味津々だ。
「…今日はまた一段とテンション高いですな、渋川君」
「聞いてくれるか!!」
「もういいもういい」
岩松がいくらもういいといっても今日の渋川はフルスロットルだ。直義が渋川の姉にプロポーズをしたこと。姉がそれに喜んで応じたこと。直義が渋川の家にあいさつに来て、ご両親にも気に入られたこと。姉から婚約指輪を数時間見せびらかされたこと。今度の休みに籍を入れるらしいこと。さっきと全く同じ内容を同じテンションで孫二郎と上杉に伝えた。話を聞き終えた孫二郎が地団太を踏む。
「えーーー!!直義先生が義兄になるんですか!!一生見守ってもらえるじゃん!!ずるい!ずるい!!」
「んっふっふっふっふ」
「俺は不気味に思ってるからな」
「…まあ、渋川君が嬉しそうで何より。直義先生もこれで幸せになってくれるといいですなあ」
上杉が意味深な物言いをすると、また部室のドアが開いた。今川だ。
「お疲れ様ーみんな揃ってたのか」
「お疲れ今川!!聞いて「マジでちょっと落ち着けって渋川君!!?」
恐らく今日4度目以上の渋川のハイテンション説明を岩松が羽交い絞めにして止める。まあ岩松は全部聞いてるんだから限界だろうな。石塔も2回聞いただけで若干疲れた。今川は少し困惑気味だ。
「なんだ、渋川はどうしたんだ?」
「いや、なんでも直義先生と渋川のお姉さんのご結婚が決まったそうだ」
「なんと。それはめでたいことじゃないか!」
石塔がPCに何やら打ち込みながら今川に教えると、今川の表情がパッと明るくなる。今川は今川で、馬が好きだから農大に進みたいとぼんやり考えていたところ、直義が細かく要望を具現化してやりたいことができる大学を調べてくれたとかで、渋川や孫二郎ほどではないが、直義のことを慕っている。それぞれのメンバーと何があったか、石塔はそのすべてを知るわけではないものの、軽音部のメンバー全員が直義のことを敬愛していることは把握していた。もちろん、石塔と鶴子ちゃんもそうだ。
「で、岩松はなんであんなにくたびれてるんだ?」
「なんせあのテンションの渋川に今日ずっと付き合ってたみたいでな」
「ははあ…一日付き合うのは確かに疲れそうだ。ところで石塔は何をやってるんだ?」
「鶴子ちゃんに捧ぐ曲を作ろうと思って。"淡い初恋の思い出"」
「ああ…鶴子ちゃんの初恋の人って直義先生なんだっけ……それもそれでなんか……いや……いいんだけど……」
今川はなんとなく微妙な笑みを石塔に向けた。何だその笑みは。あんな人が初恋なら素敵だろうが。鶴子ちゃんは男を見る目があるのだ。
石塔と今川の微妙な空気をよそに、孫二郎も渋川に負けないほどテンションを上げていた。全員に向けて、はしゃぎながら提案する。
「僕たち結婚式とか呼ばれますかね!?なんかウェディングソングとか練習しましょうよ!」
その提案を受けて渋川が少し申し訳なさそうに手を振った。
「あ、いや、内々の食事会で済ますそうだ。姉が言っていた。まあ私は呼ばれたけどな!!」
「ずるい!!!!」
また孫二郎が地団駄を踏む。部室は防音・振動対策がしっかりなされているとはいえ、そろそろ下の階から怒られないか心配だ。
「でもウェディングソング練習自体は別にいいんじゃないのか?部室でやろう。親愛なる我らが直義先生の門出を祝って」
「それはいい。腕が鳴りますな。私も本気を出さねば」
今川の賛同に上杉が大きくうなずいた。が、上杉の発奮に皆顔を青くする。上杉に本気を出されるとろくなことがない。何度ヤバい煙とか光とかで観客をトリップさせたり卒倒させたりしたと思っているのだ。直義はそのたびに青い顔で事態の収拾に努め割ときつめの叱責をしてるが、暖簾に腕押しというかどうも上杉に改める気配はない。冷や汗をかいた渋川が上杉の肩を掴み、最初に切り込んだ。
「……いや、上杉は本気を出さないでくれないか」
「なぜ?私も心から直義先生を祝いたいのですが」
「いや……だってなあ……」
「気持ちだけで十分ということもあるぞ。なあ」
他のメンバーもそれを援護する。いつもにこやかな上杉の顔がだんだんひきつってきた。
「直義先生に何かあったらどうするんです」
「渋川のねーちゃんだって結婚直後に未亡人になったらかわいそうじゃんか」
そうまで言われて、ついに上杉も爆発した。
「失礼な!!みな私をなんだと思っておいでか!!」
「「「「「マッドサイエンティスト」」」」」
「ひどい!!!」
別に示し合わせたわけではないが、全員の意見が一致した。ぎゃあぎゃあ騒いでいると職員会議が終わったのか、渦中の顧問が部室に顔を出した。
「なんだ、今日はいやに賑やかだな」
「あっ直義せんせーチィーッスおめっとー」
「おめでとうございます!!直義先生!!!」
直義は急に何を言い出すのか、という顔をしていたが、思い至ったのか渋川を見た。
「……??義季か!意外と口の軽い…」
「申し訳ありません義兄さん。あまりの嬉しさに黙っておれませんでした」
「つ、ついに義兄さんって呼びだした!!マウントじゃん!!」
直義と渋川の掛け合いを見て、実感がわいてきた。本当にこの二人が義理の兄弟になるのだ。何故だか石塔もうれしく感じた。岩松も、渋川のテンションには辟易していたものの、直義の結婚のことは純粋に気になるらしく、積極的に絡んでいる。
「で、せんせーどうよ、どんなプロポーズしたの?」
「お前には教えん」
「冷たくなーい!?あれでしょ!どうせせんせーのことだから冒険せずに夜景の見えるレストランとかでしょ」
「……言い当てられるのもムカつくな」
「Mr.無難って呼ぶわ」
「やめろ」
この二人も相変わらずだ。どう見ても仲がいいが二人とも認めないだろう。そうやって考えると直義と渋川は似ている。仲のいい義兄弟になるだろうな、と石塔はほほえましい気持ちになった。
「でも残念です。結婚式されないんですってね。僕も直義先生の晴れ姿見たかったなあ」
「まあまあ、孫二郎。食事会には渋川が出るみたいだし、あとで話を聞かせてもらおう」
わがままを言う孫二郎を今川がなだめていると、直義がキョトンとした顔をした。
「ああ、そんな話まで……よかったらお前たちも呼ぼうか?」
思いもよらぬ発言だった。自分たちはただの部員だ。結婚式代わりの食事会は親族の顔合わせの場だと聞く。そんな場に自分たちが行ったら思い切り浮くのではなかろうか。自分たちの困惑を察してか、直義は心配は無用だ、と微笑みながら言った。
「正式なご挨拶は終わっていて、食事会は別にそう堅い場じゃない。彼女もご友人を呼ぶつもりだ。もしお前たちが来て祝ってくれたら私も嬉しい」
途端に部室内が喜びで湧く。皆口々に直義に声をかける。
「つ、鶴子ちゃんも連れて行ってもいいですか!!」
「ああ、かまわないぞ石塔。折角だから鶴子にもうんとおめかしさせてやれ」
「瑪瑙も連れて行っても!?」
「め、瑪瑙は流石にスペースが足りなそうだ。すまん今川。代わりに何か瑪瑙も喜びそうな土産を考えておく」
「……直義先生、私は行かぬ方がよろしいのでは」
「いや。是非お前も来てくれ、上杉。学友とともにちょっとした食事会に招待されても何らおかしくあるまい」
「私が祝わないと寂しいですか?困りましたなあ」
「そうだな、寂しい」
「……」
「おーーい上杉君が赤面してるぞーー!!」
「やっやめてください」
「やめろ。岩松、彼女のご友人につまらん声掛けしたらつまみ出すからな。行儀良くしろよ」
「ええーー結婚式の二次会ってそれ目当てでしょ。食事会だってそういうもんじゃないんですか!?人権の侵害…」
「岩松の席はなし、と。わかった」
「すいません、おとなしくしますから俺も呼んでください」
「ふっふっふ、僕ら新郎友人扱いでの招待ですからね渋川先輩。渋川先輩は新婦側で寂しくしててください」
「ウッ」
「いや、肩を落とすな義季。お前達を離さないように席次を組む。そんな風に先輩をいじめるな孫二郎。……もうこの話はいいだろう。部活動に移ろう」
「はーーい」
賑々しい会話を終え、みな自分のパートの準備を始めた。
* * *
「ただいま」
「お帰りなさい直義さん」
業務を終え、家に帰りつく頃にはもう22時を回っていた。既に渋川の姉とは住まいを共にしている。直義は毎日、遅くなるので先に休んでて構わない、と連絡しているが、それでもこうして帰りを待ち、すぐに温かい食事を準備してくれる彼女には感謝の念を禁じ得ない。5月になり昼時はずいぶん暖かくなったが、夜はまだ冷える。野菜のたっぷり入ったスープは直義の冷えた体を温めてくれるし、しっかりと味の染みた具材には作り手の掛けた手間と愛情が感じられた。思わず「うまい」とこぼすと、彼女は嬉しそうにはにかんだ。
「よかった。それで、今日は学校はどうでした?」
「……ああ、思いのほか義季の口が軽くて参ったものだ。軽音部に結婚のことがバレて随分質問攻めにあってしまった」
「まあ。私のせいかしら。随分あの子に自慢しちゃったから。指輪なんて見せびらかしすぎて手首を痛めちゃった」
「大丈夫か?…まあそんなに喜んでくれたなら良かった。それで、軽音部の部員らを食事会に招きたいのだが、かまわないか?」
「勿論です。じゃあお店に連絡しておきますね」
「ありがとう。だがそれには及ばない。私の都合だし、私から連絡しておく。6人分の追加だがまだ日程には余裕もあるし、問題ないだろう」
「あら、部員は6人でしょう。義季も計上してませんか?」
「いや、石塔の連れだ」
「ああ、なるほど。賑やかになりそう。楽しみですね。………本当はあなたのお母様とお兄様もお呼びできたらよかったけど……」
その言葉に、直義は目を閉じて首を横に振った。彼女も「ごめんなさい」と一度口を閉じ、彼女の一日へと話題を移す。また、和やかな会話が再開した。
直義は、自分の過去について同僚にも生徒にも話さないが、唯一彼女にだけは包み隠さずすべて話した。それまでの生い立ちも、兄への敬愛も、自分の力不足で遁走したことも、今もなお慕っていることもすべて。自分は随分と歪な人間だから別れた方がいいのでは、と提案したこともあったが、頬を引っ叩かれて泣かれたので断念した。今でも結婚に対して迷いはある。過去のことで彼女や周りのものに迷惑をかけてしまうかもしれないし、また自分が何か仕出かしてしまうかもしれないという恐怖もあった。相変わらず、「人を誑し込む」と周囲の人間から言われることもある。それでも己を理解し、寄り添ってくれる彼女の手は放しがたかった。
(お前が、どうしても尊氏や私の前から消えたいというのなら…もう止めません。でも幸せになると約束なさい。この老いた母親に愛する子の訃報を届けるような不孝だけはしないと、どうか誓って)
母の涙交じりの懇願は、当時完全に折れていた直義の心を何とか押しとどめた。兄を支え、尽くすことだけが望みだった二十何年間と、にもかかわらず自分の存在が兄の妨げになっているという現実。あの当時、自死が過らなかったと言えば嘘になる。それでも何とか周囲に助けられて生きてこられた。兄の支えになるという責務を達成できなかったことは未だに苦く罪の意識として直義の胸に去来するが、それでも。
――母上、今私は幸せにしております。母上と兄上もどうかご多幸であられますよう。
* * *
夜の帳が下り月の光が差し込む役員室内で、尊氏は電気もつけずに夢中になってPCに向かっていた。尊氏の社長としての業務はとっくに完了しており、今はそれよりも重要度の高い業務を遂行中だ。様々なSNS投稿を恐るべきスピードで流し見していた時、ある1件の投稿が目に留まった。
「親友のSちゃんが結婚!旦那さんすーっごいイケメンでめっちゃ裏山!!お幸せに!!」
豪勢な料理をメインに、背景に肩を寄せ合う男女の写真。顔は絵文字で隠れており、髪型も格好の風情も違うが、尊氏には一目で誰だか分かった。
SNSには本当に何でも転がっている。まずはこの女のアカウントを調べ、場合によっては接触し、「親友のS」とやらを特定しよう。もう本当にあと少しだ。
「やっと会えるな、直義」
まったく、切っても切り離せない関係だというのに、弟に触れるのは実に5年ぶりになる。尊氏より一回り小さくて柔らかい、まるで尊氏のために誂えたかのように腕の中にすっぽりと納まる弟。腕に閉じ込めて5年分愛でたい。いや5年分程度では足りない。どこもかしこも愛でて愛でて、もう二度と尊氏から離れられないようにしなくては。
平素の誰からも愛されるような笑顔ではなく、月に中てられたかのような狂気的な笑みが尊氏の整った顔に浮かんだ。
* * *
尊氏が手掛かりを見つけて数日。
師泰は業務を終え、自宅に帰ろうとしたところを兄の師直に呼び止められた。
「直義様が見つかった。今からお迎えする。お前が車を出せ」
師泰がうんざりした顔で師直に返す。
「どこよ」
「やはり鎌倉だった」
「冗談じゃねえよ!!今何時だと思ってんだ、フルタイムで働いた後に鎌倉くんだり運転できっか!!!」
師直がドスのきいた顔で睨みつけると師泰は黙った。
「役に立たんのなら弟でも要らん」
「…わかったよ兄者。でもよ、今からだと鎌倉についたらもう真夜中だぜ。新婚夫婦だろ、事の真っ最中だったらどうすんだ?明日の方がいいんじゃねーか」
「別にどのような状況だろうが来て頂く。…あの方が見初めたのならさぞかし貞淑な妻なのだろうな」
兄が喉を鳴らすのを見て師泰は隠しもせず顔を顰める。流石に悪趣味だと感じた。
「ちっと便所だけ行かせてくれや」
「急げよ。尊氏様がお待ちだ。直義様の捜索のせいで随分業務に支障が出た。責任を取ってもらわねば」
兄のそんな言葉を背に受けつつ、師泰はトイレに向かった。
――それってさあ。ちょっと勝手なんじゃねえの。
5年前、直義を会社から追い出すことに関しては師泰も賛成した。しかし、会社が割れれば直義様のせいと言って追い出し、いなくなって業務が滞れば直義様のせいと言って連れ戻すのは、あまりにもエゴイスティックな考えだと感じる。恐らく先ほど偉そうに長時間運転を命令されたこともこの思いに繋がっていた。
――弟は兄のための都合のいい手駒じゃねえぞ、兄者。
直義に緊急連絡を送り、送付したメールを消す。すぐに「恩に着る」とだけ返ってきたのでそれもまた―やや惜しみつつ―消した。
うまく逃げろよ直義様。今俺は兄者が吠え面かくのが見てーんだ。
師泰はそう念じながら、車のキーを握りこんだ。