まよなか。 #角楯カリン、室笠アカネ

まよなか。 #角楯カリン、室笠アカネ



「何か異常はありましたか、カリン?」


 ある日の真夜中。

 愛銃である巨大な対物ライフルを携え、ビルの屋上で周辺を監視していた私──角楯カリンは、ふいに背後から響いた声に振り向いた。


 視線の先にいたのは、クラシカルなメイド服を優雅に着こなした眼鏡の少女。

 およそ荒事とは無縁に思える出で立ちだが、見た目に惑わされては痛い目を見るだろう。そもそも、仮にもプロの狙撃手である私に気取られずにこの距離まで接近できる時点で、声の主が只者ではないことは明白だ。

 それでも私が動揺しなかったのは、彼女の正体が私の同僚……私と同じくC&Cに所属するエージェントの一人・室笠アカネだったからだ。


「ご苦労様ですカリン。そろそろ交代の時間ですよ」

「……ああ、もうそんな時間か。今のところ、この建物を狙っているような不審者の影は見当たらない。異常なしだ」

「そうですか。それは何よりです」


 今回、私たちC&Cに与えられたミッションは、このビルに宿泊している要人を昼夜問わずに警護すること……いわゆる不寝番だ。

 私たちが普段やっているような潜入や破壊工作といった大仰な任務と比べたら一見地味とも思える仕事だけど、その重要度においては勝るとも劣らない。


 なぜなら──今回の私たちの警護対象は、ミレニアムサイエンススクールの首脳陣であるセミナーの会計・早瀬ユウカ。

 ミレニアムで行われている最先端の研究や技術開発の全てを統括する……事実上、今のミレニアムのトップに等しい人間だからだ。


「ユウカの様子はどう?」

「ええ。今のところはみんなと楽しそうに過ごしていますよ。今日は先生以外にも、モモイちゃんやミドリちゃんたちも一緒ですし。あちらは念のためリーダーとアスナ先輩が警護しているので問題はないかと」

「そっか。……よかった」


 私たちが警護しているのは連邦捜査部・シャーレのオフィスビル。かのシャーレの先生の事務所だ。

 現在、ユウカは週に一度のペースで「当番」という名目でこのシャーレに通い詰めて、先生とトリニティ救護騎士団のカウンセリングを受けている。

 今日のユウカの宿泊もその延長……「どうせだったら思いっきり楽しいことをしようよ!」という、モモイたちゲーム開発部の発案によるシャーレでのお泊り会。

 階下の休憩室で繰り広げられているのは、夜の静寂には似つかわしくない、わちゃわちゃとしたパジャマパーティーだ。

 ……あの日から酷い不眠症と男性恐怖症に悩まされるようになったユウカも、今日ばかりは先生や仲の良い皆に囲まれて、穏やかな時間を過ごせているようだった。


「ですが、油断はできません。……あの事件の首謀者が、まだユウカを狙っている可能性も低くはありませんから」

「……うん。分かってる」


 神妙な顔で告げるアカネに、私も改めて気持ちを引き締める。


 ──"あの日"。

 ミレニアムの中枢で、厳重なセキュリティと警備体制によって守られていたはずのユウカが、いとも簡単に拉致監禁された、思い出したくもないようなあの事件。

 それは疑いようもなく……ミレニアムの矛であり盾でもある最強のエージェント集団・C&Cの名にあるまじき大失態だった。


 リオ会長が失踪した今、実質的に生徒会長業を代行しているユウカは、ミレニアムにとってなくてはならない要石だ。

 その要人中の要人をみすみす害意ある人間に拐かされ、下劣な欲望のままに嬲られ、辱められ……あまつさえその様子をミレニアムの全校生徒に生配信までされて。

 そんな悪夢みたいな悲劇を阻止どころか察知することすらできず、私たちは完全に出し抜かれて後手に回った。……セミナー直属のエージェント集団としての、私たちC&Cの完全敗北に等しかった。


 だからこそ、先生の主導のもとユウカの救出作戦が立案された時、私たちは真っ先にその実働部隊として名乗りを上げた。

 私たちにとっての名誉挽回の最後のチャンス……そして何より、私たちの不甲斐なさのせいで辛い目に遭ってしまったユウカを、一分一秒でも早く助けなきゃって思ったから。


 結果として、ユウカの救出は取り返しのつかないことになるギリギリ手前で間に合って、今は何とか日常生活を送れるくらいには立ち直れている。

 ……だからといって私たちの失点の全てが帳消しになるわけじゃない。……下手をすればユウカはあの時、命を奪われていたっておかしくなかったんだから。


「もう二度と、あの日みたいなことにはさせない。……ユウカの心を、頑張りを、誰にも踏み躙らせない」


 それが、陰ながらユウカを守り続けている私の……私たちの決意。

 ……"あの日"を境に、ユウカの身辺は私たちC&Cやセミナーの保安部によって二十四時間体制で護衛されている。

 ユウカがシャーレの当番……という名目のカウンセリングのために自治区を離れる際も、必ず私たちのうちの誰かがユウカの護衛として隠れて同行している。

 ……ユウカがシャーレ前でパニックを起こしてしまったあの日も、本当はこっそりユウカのことを監視してた。……隠密行動中だったから、声を掛けてあげることすらできなかったけど。

 ユウカが負った傷の深さ……そこから一日でも早く立ち直ろうと誰よりも努力している姿を、私たちはずっと近くで見ていたから。


 ノアの配慮で、私たちがユウカを隠れて警護しているという事実はユウカ本人には知らされていない。

 ……あの子の性格上、知ってしまえばきっとまた自分を責めてしまうだろうから。


 今、私たちがこうしてユウカの警護に当たっているのは、セミナーの書記であり、ユウカの親友でもあるノアからの正式な依頼によるものだ。

 だけどきっと、依頼なんかされなくたって、私たちは同じことをしていただろう。


 もしかしたら、また誰かがユウカに危害を加えようとするかもしれない。そんな心配は決して杞憂なんかじゃない。

 だって……あの日の事件は間違っても有象無象のチンピラ共の無軌道な犯行なんかじゃなかった。

 周到に準備された計画犯罪であり……そして、明確に「早瀬ユウカ」という個人を狙い定めたものだ。

 救出作戦の中で実行犯の三下を捕えることはできたけど、その裏で糸を引いていた黒幕の正体や目的は依然として掴めないまま。

 ……事件はまだ、何も終わってなんかいない。


 だからこそ、ユウカを一人にはしておけなかった。

 あの事件の黒幕がユウカのことを諦めただなんて保証はどこにもない。きっと今もまだ、どこかで良からぬことを企んでいる。

 何より……ただでさえ精神的なダメージの大きいユウカにこれ以上もしものことがあったら、今度こそ立ち直れないかもしれないから。


 同じミスは繰り返さない。

 あの日から陰ってしまったあの子の顔を……もうこれ以上、曇らせたくなんかないんだ。

 それはきっと私だけじゃなく、アカネやリーダーも含めたC&Cの皆だって気持ちは一緒だと思う。


 ……正直、私たちC&Cと、セミナーの顔役とも言えるユウカとの関係性は微妙なところだ。

 私やアカネにとっては同級生だけど……友達、と言えるかどうかは分からない。プライベートではあまり話したこともないし。

 ビジネスの上での付き合い。雇用主と部下。依頼人とエージェント。言ってしまえば、ただそれだけのドライな関係だ。

 任務のたびに口煩く苦情や注文を入れてくるユウカのことを……正直、疎んでいたところもあったかもしれない。


 それでも……それでも、ユウカのこと、嫌ってたわけじゃない。こんな目に遭ってほしいだなんて思ってたわけじゃ断じてない!

 ……ユウカがいてくれるから、私たちは私たちでいられるんだってこと……本当は、ちゃんと分かってるから。私たちも……リーダーだって、皆。


 感謝してるんだ。みんな、大好きなんだよ。あなたのことが。



 ──ふと顔を上げれば、私に向かって穏やかな笑みを浮かべるアカネがいて。


「ですが、気を張り詰めてばかりでもいざという時に動けませんよ。ここの警備は私が引き継ぎますので、カリンは少し仮眠を。……何でしたら、ユウカたちの所に顔を出して頂いても大丈夫ですよ」

「……ううん、遠慮しとく。余計な気を遣わせたくないし。少し休んでくる」


 私たちは、あそこにはいられない。

 だって──私たちの役目は、戦うこと。

 先生やモモイたちみたいに、傷ついたユウカの心を癒してあげることはできない。ユウカを笑顔にしてあげることはできない。

 だから今は、私たちにできることを。私たちにしかできないことを。


「アカネ」


 月明かりの下、決意を新たに言葉を紡ぐ。

 目の前のアカネに……そして自分自身に、改めて言い聞かせるように。


「守ろう。今度こそ」

「……ええ。私たちの、C&Cの全てを懸けて」


 やっぱりアカネも──みんな、気持ちは一緒。



 ……安心して、ユウカ。

 今度こそ、あなたの平穏は私たちが守る。守ってみせるから。

 だから、どうか。


 もう一度、あなたに笑顔が戻りますように。

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