まほろばたられば

まほろばたられば











──戦いは終わった。

大聖杯が起動し、災害を振りまくことは二度とないだろう。

テスカトリポカは早々に武装を解く。姿に相応しい相手はもう居ないからだ。

あっという間にべちゃりと水分を吸って、汚い色に染まった一張羅が肌に張り付いた。

女のけして巧いとは言えないハジメテの殺し捌きは、相対した相手からシャワーのように体液を吹き出させてしまい、それをふたりしてまともに被ってしまっていた。

テスカトリポカにとっては魔力の充填になる上、この程度の流血沙汰なぞアステカの日常にも劣る生温さであるという認識だったので特に思うところはなかったが、女の方はそうもいかないだろう。

こと殺し合いにおいては、ジャパニーズ・マフィアの孫娘とは思えない初心さを持ち合わせている女だ。

テスカトリポカのお得意様であるあの爺が、組の血生臭い部分に関わらせないよう細心の注意を払ってきたのだろうと察する。

それに最後、大空洞で行く手を阻んで来たのは──。

……。

テスカトリポカは最悪卒倒するだろうと思って女の様子を観察していたが、特にそういった気配は無く、無事武器を握ったまま2本足で地を踏みしめて立ち続けている。


「藤村大河」


とはいえ、これで打ち止めか。それとも晴れて見習いを卒業し立派な戦士に成るか。

テスカトリポカは、濡れ鼠になりながら俯く女を見定めるべくその名を呼ぶ。


「──。」


ぼたり。ぼたり。

女の髪から滴る、まだ僅かに温度を纏った液が、無様な音を立てる。

ゆっくりと顔が上がり、こちらを向く。

戦士の覚悟が宿った面立ちだった。

彷徨っていた目線が、薄らと雲が張った日の空のようなテスカトリポカの瞳の色を捉えて、にっこりと笑う。


「──よかった、」


そう呟いた声は、咥内に満ちる唾液の湿度をそのまま乗せたかのように、ひどく重苦しい。

弧を描いた目にはめ込まれている、若木の肌のように瑞々しい彩りをしている筈の茶色は、目の前の景色を映し混ぜ込んで、底なし沼のように濁っていた。

それを認識した瞬間、己が権能の囁きが聞こえた。


「私で、よかった。」


──今、この女は、決定的に誤った。

そうか。と、テスカトリポカは思う。

テスカトリポカと女で切り開いた道の果て、確固とした意思で選び取られた数々の選択の帰結だ。

結果、凄惨な光景を前に亡霊のように立ち尽くすことになろうが、テスカトリポカが干渉することではない。

それによってもたらされる恩恵があろうが、降り掛かる災いがあろうが、最終的にその道を選んだのは女自身なのだから。


「あれっ。テスカトリポカさん、靴、どうしたんですか?」

「……ああ」


唐突に声色を明るく戻した女の指摘に、テスカトリポカが足元を見る。

靴を生成し忘れていたらしい。砂利を踏み締めた素の足裏が、ちりちりとした痛みを訴えていた。


「折角着替えられるのにぐっしょりのままだし。もしかして、テスカトリポカさんって、結構うっかりさん?服、持って来て貰おうと思ったのに」


女の間抜けな揶揄いにもテスカトリポカは一切返答せず、靴を履く。


「……その前に、お別れかな?」


相手が黙ったままなのを他所に、軒先に営巣した燕が成鳥になり飛んでいくのを見届けるような軽やかさを以って、女は過ぎ去ろうとしている背へと手を振り、見送ろうとしている。

聖杯戦争が終われば、サーヴァントは座に還る。

それは一部例外はさておき当たり前の事実であるが、女にとってもそうだっただろうか?

数週間前まで、戦争とも魔術とも何の関わりもない世界に生きていたというのに。


「あーあ、どうしよ。聖杯にシャワールームとお洋服下さーい!って願っちゃえれたら楽だったのにな〜」


この異常があふれる状況下で、女は日常に転がっているような言葉を、わざとらしく選んで投げる。

とはいえ、そんなチグハグな様相になるのも当たり前だ。

女は、姉であり教師であることより戦士であることを優先し、日々の平和を置き去りにした。

それは、今までの藤村大河の人生を裏切り、捨てたのにも等しい行為。

──つまり、日常の象徴だった女、藤村大河は、致命的に壊されてしまったのだ。

今の彼女は、一度懐に入れた存在の全てに同様置き去りにされたとしても、同じように未練無く微笑んで送り出すのだろう。

例えば、剣の少年、虚数の少女のような、家族と言える者たちですら。

壊れた自分、そして、自分を壊した神ですら笑顔で見送れてしまった者が、大切な存在との離別を惜しんで引き止められる訳もない。

姉(教師)の仮面を被り、家族(生徒)の巣立ちを見送ったのち、静かに、孤独な戦士として歩んで往くのだろう。

ひとり。ひとごろしの誉を、咎を、細い背にそっと負ったまま。

そうして生き抜いた末に我等の冥界へたどり着き、やっとそこで僅かな報い……休息を手にするのだ。

戦士になるとは、そういうことだ。

……まあ。選ばれたからには、いつかその時が来たら目一杯歓迎してやろう。

戦士ならば、屑でも怪物でも構わな違うオマエはこちら側ではいいや最も輝く筈の日常の中へ戻れなくなったもう二度とあの日光のような屈託のない暖かな笑顔を咲かせることは無い一生痂皮を抱えて生きなければならないならば戦士だろうそれが彼女の選択の違う!■■■はただの人間だ!テスカトリポカが求めるのは戦士のみの原則に則るのだからそこに選択肢なんぞ無かっただろうが少年の覚悟を折るような真似をしてでも戦いへ身を投じる決意をするように導いたのはテスカトリポカだそれ以外の道を塞いで開けず幼い面影を残し憂い憤る赤い弓兵の声が届く前にねじ伏せた戦士を育てる為にならば■■が血に染まった手を握ってオマエの知らない遥か彼方へ連れ出してしまってもいいんじゃないかこの地はオマエの乾かない傷を抉るものが多過ぎていけない行こう来てくれコれに気付いてしまえそうしたら■■と■■■は平オイ、この支離滅裂な情報群はなん「──なあ、タイガ。オレは、」なんだ。


「えっ?」


誤処理(バグ)発生。修正(トラブルシューティング)。完了。異常は検出されませんでした(オールグリーン)。

オレはなんなんだって?

決まってるだろう、テスカトリポカだ。


「……、……いや。深い意味は無い。気にするな」

「そっか。名前呼び、初めてじゃない?びっくりしちゃった!テスカトリポカさんってば、お別れ際にダ・イ・タ・ン!」


無意味な会話。無味な内容。そうでなくてはならない。

水面に到達し、空気に溶けて霧散するあぶくのように。

テスカトリポカはそう判断した。そして何に対しての判断だったかすら、消し去ることにした。

そうして一方的な痕跡だけを遺して、藤村大河の側から去っていく。

干渉しても干渉されてはならない。テスカトリポカは、絶対のシステム。王。理。ルール。そういう神だ。

それ以外の何でもない。

……それ以外の何にもなれやしない。


「それじゃ、元気でね。心配しないで!おっそろしい戦争を大解決しちゃった立役者な私なので、今まで以上に先生もお姉ちゃんも戦士もバリバリこなしちゃうのデース!……なんだかどこかの誰かと口調被ってる気配がするわー。ま、いっか!」

「……だからさ。私に言われるまでもないだろうけどさ。テスカトリポカさんも、頑張ってね。」




「神様。」






──テスカトリポカは女を壊したが、女はテスカトリポカを壊し返さなかった。

その甘さ/厳しさが、■■は、■■しい。


END

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