また続いた
33食の好みというのは、生来の嗜好と幼少期の環境によって培われるという。
自分の場合はというと、少なくとも物心ついた時にはろくな食生活をしていなかった。とにかく少しでも食べられるならばたとえ残飯だろうが腐りかけであろうがむさぼった記憶がある。主食はといえばもっぱらカビの生えたパンだった。その地域がパンを主食としていたこともありゴミ捨て場でよく見かけた。カビが生えていようが腹が膨れるなら遠慮なく口にした。味もひどかったが、時々腹を壊してのたうち回ったことだってあった。
拾ってくれた人の家での主食は米だった。それは地域柄というよりその人自身の好みによる部分が大きかった。食べた経験があまりなかったのもあってそこに記憶からくる嫌悪感などはなく、いつの間にか米食になじんだ。
そしてその裏で、パンを忌避するようになった。もちろん船上…つまり食べ物の選り好みなどできるような余裕がないときは食べるが、選べるなら自分からは絶対選ばない、そういうタイプの好き嫌いだ。希望をを言える環境なのであれば一にも二にもそれを回避するだろう。
では、この子どもの場合はどうなのだろうか。
「……まあ、中佐のお食事のついでなので楽といえば楽ですが」
そう呆れたように言った給仕係の兵に礼を言って、ロシナンテは食堂の片隅に座る。その横には小さな子どもがやや身体を丸めながら座り、威嚇するように周囲の海兵たちを睨んでいる。ロシナンテが横に来るとその表情をほわりと崩したのでむず痒い気持ちにさせられた。
「おにぎりと簡単な味噌汁くらいだそうだが、いいのか?」
「うん」
その子ども……ローは素直にうなずいた。そしてふと、ロシナンテが羽織っている海軍のコートの袖を掴んだ。どこにもいかないでほしいと言わんばかりに。苦笑してその頭を撫でて、近くにいた海兵に声を出さず口の動きだけで伝える。
〈持ってきてもらっていいか〉
〈了解。また泣かれたら大変ですもんね〉
肩をすくめながら年配の海兵も口を動かした。ローとロシナンテが初めて出会ったときに、つまりはローがロシナンテに突撃して大泣きしていたところに鉢合わせた海兵の一人だった。その後のひっつき虫っぷりもふまえるとここで子どもの機嫌を損ねるのはよろしくないという判断をするのはむべなるかなと言ったところだろう。何せ彼の腕の中から離れることすらそれなりの時間がかかったのだから。
もう一言声を出さずにすまん、と告げるとお気になさらずという音のない返事が返ってきた。この船にいる海兵は、すなわちロシナンテの隊にいる者たちは全員読唇術の心得があるということを知る由もないローは、ずっと撫でくり回してくる手に身を委ねていたためそのやり取りを見ることはなかった。
「具はしゃけだそうだが、いけるか?」
「うん。魚は好きだから」
「魚はってことは、だめな具もあるのか?」
「……梅干し」
「あ~……そっか、酸っぱいのはだめか」
おれは好きなんだけどな、という言葉は飲み込んだ。食べ物の好き嫌いには何かしらの理由があるということは自身の体験で身をもって知っている。孤児だということから、もしかしたら自分と似た経験をしてきたのかもしれないと勝手ながら思った。
あらためてローをよく見てみると、身なりは綺麗だが受け答えの明瞭さから考えた年齢を思うとやや小柄にも思える。しっかり食べさせることは必要だろう。
やがてさきほどの海兵が二つの盆を持ってきた。それに今度はちゃんと声を出して礼を返す。
机に置かれたおにぎりと味噌汁を前にして、ローの腹がくぅっと鳴った。さっと顔の赤みが増したのを見ないふりをして、ロシナンテは静かに手を合わせる。
「じゃ、食べようぜ」
いただきます、という声からやや遅れて、隣からも小さくいただきますと呟かれたのが聞こえた。食事マナーというものを自分に教えてくれたのは養父だった。それまではそんなもの顧みない生活をしていたから。どうやらローはちゃんと教わっているようだ。孤児になったのはそう昔のことではないのかもしれない。
黙々とおにぎりをほおばるローに、なんだか胸が暖かくなる。遠い昔に、小さな自分が食事をしているのを眺めていた養父の眼差しを思い出した。ただ食べているだけの自分を嬉しそうに見守っていてくれた。あの人もあの時、こういう気持ちになったのだろうか。
そう物思いにふけていると、グスッと鼻をすする音が聞こえる。隣のローが泣いている。初対面の時のように叫んではいなかったが、大粒の涙をこぼしていた。ロシナンテは慌てて背中に手を添えた。
「ど、どうした!?」
「……………ずっと、」
「ん?」
「ずっと……………一緒に食事をしたかった……」
絞り出すようにつぶやかれた言葉に、またもロシナンテは過去の己の記憶を引き出されることになった。
独りの寂しさを知っている。誰かと食卓を囲むことの温かさも、独りで食べることのどうしようもない虚しさも。最初にその幸福を教えてくれた人たちとはもう二度とできなくなってしまったことを一緒にしてくれる人がいるという、泣きそうになるほどの幸福も。
きっとこの子も、その孤独を知っているのだろう。ならばこそ、養父にしてもらったことをこの子にしてあげたい。かつて自分が言ってもらったことを、この子にも言ってあげたい。ロシナンテは心からそう思った。
「ロー、いっぱい食って大きくなれよ!」
そう、ずっとずっと、何度も夢にまで見たことだった
あんたともう一度、一緒に食事をしたかったんだよ
コラさん