またしても救われてしまった……

またしても救われてしまった……


※自分語り

※劣情含む

(媚薬風呂・モブレされるショタニセルフィ・水責めなど)

※宗教について触れています

※特定の宗派、団体、人間を否定するわけではありません

※私はキリスト教を受容しています

※良識・倫理観がありません

※クリスチャンは絶対見ないで!










最初に、少しでも免罪にあがかせてほしい


私は、キリスト教という宗教を、あくまで一つの宗教として尊重している。


キリスト教は世界三大宗教の一角に名を連ねる歴史と伝統の宗教である。日本ではキリスト教は主流ではないが、その存在を知らない人はほぼいないだろう。それほどの浸透力である。

また、古くから建築や美術にも多大な影響を与えていて、欧米圏の映像作品などのバックボーンにもなっている

私は今でもキリスト教の文化的功績を素晴らしいと思うし、何かしら文学を解釈する時に聖書には何度も助けられた。


けれど、尊重と信仰の間には絶望的なまでに高い壁が聳え立っていた。


私は幼いころからキリスト教に関わっており、かつては真剣に神を信じていたこともあった。だけど大きくなるにつれ聖書を読むにつれ私は考えすぎてしまった。疑ってしまった。ついには信仰心を持ち続けることができなくなってしまった。群れからはぐれた子羊は、トマスにはなれなかったのだ。


私が通っていた教会はカルトではなく厳しい規律もなく、日曜日に集まって歌を歌って聖書を勉強する、ごく普通の教会だった。キリスト教から離れた今でも客観的にまともなところだったと思う。

結局のところ誰も悪くなくて、ただ相性の問題だったのだ。最大限ぼかして言うと雑食の人間に一神教は向いてない。


無論、一神教自体も否定する気は全くない。世界でメジャーな宗教は一神教が多いし、信徒もその性質から妥協を許さない高潔な人柄を持つ。尊敬するがどだい真似できることではなかったので雑食にしては珍しく「自衛」させてもらうことにした。



ただ、それで万事解決!という訳にはいかなかった。クリスチャンからしたら信じることをやめるのは死と同義なのだ。「天国で再会できないんだよ?」と真剣な目で言われたことがある。イカれた狂信者だからでも金づるが惜しい詐欺集団でもない。クリスチャンとはそれほどに純粋で心優しい存在なのだ。だからこそ私は苦しんだ。かつて、人間宣言の後に下界に下りた天竜人の一家がいたそうだが、彼らも同じように引き止められたのだろうか。尊重して受容して手伝えることがあれば力を貸すことが私にとっての最大限の譲歩だったが、彼らにとっては信仰こそ全て。信じるか信じないかなのだ。


けれど言葉ではいくらでも繕えても自分の心に嘘はつけない。私は罪悪感という十字架を背負い、終わりのない坂を登り続けていた。とっくの昔に日曜礼拝はやめて、道端のお地蔵様に会釈するような、いわゆる普通の日本人の宗教観を得ていたが坂の頂上は見えなかった。せめて頂上まで登り切って罰を受けてすっきりしたいのに。私はいつまで宣告を待たなくてはいけないのだろう。


さらに悲しいのは消すことのない知識である。幼少期からの経験はすっかり頭に染みついていて忘れたくても忘れられない。私は今でも主の祈り(天ににまします~から始まるやつ)を完璧に暗唱できる。信じられるか?ドスケベめざましじゃんけんの舌の根が乾かぬうちに聖なる言葉を唱えられる人間がここにいることを。


私には自信があった。どれだけ苦しかろうと、善良で寛容的で多様性を重んじる良識ある人間…その理想を追いかけ坂を登り続けることを。でも、本スレで突然ニセルフィのドスケベ神父服イラストを目に入れてしまって、私はついに膝をついた。


もう 楽になりたい どうせ 肩の荷なんだ こんな知識なんて いらないものなんだから推しのために使ってしまいたい 国と力と栄はあげられないけど これならいくらでもくれてやる これ以上は無理だ









は~すっきりしたえ~!!!自らの意志で堕落するのクソ気持ちいいえ!!

これはもう実質マリージョアからのバンジーだえ!!楽しくないわけないえ!!!


というかわちきニセルフィに出会う前から…










清楚なムチムチお姉さんシスターのオホ声同人ボイスでシコってたえ!?

あれいきなり「やっべえ♡ピストン礼拝お願いしましゅぅう♡」とか言い出してクソ抜けたえ そんな礼拝あってたまるか





ということで今までの知識と経験と葛藤を元にしたネタをメモしとくので教会パロの参考にしてくれたら嬉しいです(フリー素材)

※自分でも作品にしたいけど他にいろいろ放置してるのがあるため時間かかるかも



ネタまとめ

①洗礼(バプテスマ)と媚薬風呂の悪魔合体

キリスト教には洗礼という大事な儀式があって、これは水に浸かって再び浮かぶことで一度死んでクリスチャンとして生まれ変わるという意味合いがあります。クリスチャンにとって洗礼はとてもとても重たいもので、これを受けなければ真のクリスチャンとは呼べないとすら言われています(わちきはバプテスマ童貞だから逃げきれたえ)


本来のバプテスマは聖なる存在への変容だけど、逆にドスケベ堕ちするときの儀式に使えるんじゃないかな?例えばローション媚薬風呂とかで


さらに、洗礼前は洗礼者による「証」(スピーチのようなもの)をするんだけどこれって無様エロと相性いいんじゃないかな?


例えばボコボコ煮えるローション媚薬風呂釜の前でアヘりながら「今から♡♡ドスケベマゾとして生まれ変わりますっ♡♡♡」って宣言させるのエロくない?


場合分け

洗礼前に調教済→洗礼受ける前にドスケベスピーチして笑顔の入水

洗礼前に調教できてない→無理やり入水 「信仰心があれば媚薬ごときでイカないはずだろ?」って諭され頑張るも結局連続絶頂の後堕落




②悪徳聖職者にこっそり手を出されるショタニセルフィ

この概念好きだから勝手に膨らませてみた


まず教会に通う子供たちは孤児であろうとなかろうと「教会学校」と呼ばれる、聖書の内容を子供向けに易しく説明するクラスに参加します。結構しっかり勉強するし、聖書を元にした絵本とかもいっぱいあるので精通してないような低年齢でも内容把握してたりする。少なくともイエス誕生~十字架~復活の流れはクリスチャンの子どもなら誰でも知ってると思う。


だから孤児として教会で育てられてた場合なおさらそういう教えが染みついてるはず。


キリスト教って古来奴隷たちの希望と勇気の宗教だったのね(出エジプトとかそんな感じ)だから「辛くてもいつか神様が救ってくださる」という物語が多い。素晴らしいことだね。可哀そうなニセルフィ少年もきっとそんな物語に目を輝かせるだろう。


でもこれって、時の為政者が弱者を絞るときにも利用できてしまうんだよな…苦境の中の光って庶民から受けがいいし思考停止状態にできてしまうし…どれだけ聖なる書でもそれを利用する者の心が汚いと悲劇が起きてしまう


だからニセルフィが聖職者に上手いこと言いくるめられて「勉強」というレイプを受けてしまうのも仕方ないんだ……ガン突きされながら「今日習ったみことば暗唱してみ?」って言われてバカなのと喘ぎ声が止まらないので全然言えなくてさらに罰を受けるニセルフィ…


ヨブ記(興味深いので調べてみてね!)を都合よく解釈して「ガマンだガマン そしたらいつか自分だって救われる!」って無い希望に縋り子供ながらに淫らな生活に甘んじるニセルフィ…


かみさまは全知全能なはずなのになんでおれのこと救ってくださらないのかな…おれが悪いこだからかな…って不安になるニセルフィ…


洗礼という名の水責めで強制的に心肺機能が鍛えられてのちの泳ぎに繋がってくるニセルフィ…


無限にえっちだえ~!!




③過去に苛まれる海賊ニセルフィ

自分もそうなのでニセルフィもきっとふと思い出しちゃうんだろうな

船にかき分けられる波からモーゼを、甲板に遊びに来た鳥からノアの箱舟を


ついに昔自分を散々弄んだ悪徳聖職者を襲って、一歩一歩近づきながら

「祈れよ 神サマが救ってくださるんだろ?」

「”我々を試みに会わせず 悪より救い出したまえ” だっけか?」

って相手を詰めてほしい


教会に火をつけて略奪の限りを尽くしてマリア像と共に船に帰る復讐者ニセルフィはいい顔してくれるはずだ








そんなに恐いか?堕落した元クリスチャンによるドスケベ教会パロが!!!

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