ふねづくり
「ヒョウ太ー!」
「はァ~い!どしたのパウリーさん」
槌と鑿の音がとんから踊るガレーラカンパニーの作業部屋。名前を呼ばれ、雑用係として馴染んできた少年──服部ヒョウ太はすぐに笑顔で飛んでいく。
声の主であるパウリーは机に向かい船の図面をがりがりと描き出していた。なんとはなしに少し覗き込んでみるが、造船技術なんぞは持ち合わせていないヒョウ太にはさっぱり判らない。
「今からさっき任された分を一番ドックに持ってこうとしてたんだけど……追加とかある感じ?」
「んにゃ、そういう訳じゃねえ。ただちょーっと悩んでてな、アドバイスくれねえか?」
時間は掛からねえから、と言いながらとんとん人差し指で線の引かれた紙を叩くパウリーに、ヒョウ太は首を傾げる。
「アドバイス?ぼくが、パウリーさんにィ?船のこととか全然わかんないんだけど」
「あー別に技術のいることじゃねえって!新しい企画でな、子どもでも出来る小型船の製作キットを作ろうって話が出たんだ。そんで試作品の図面をいくつか引いてるんだが、おれは子どもウケするデザインなんざ知らねェからな……」
言いながらパウリーがちらと目線を遣った先には、彼自身が描いたのであろう設計図がある。紙の端に描かれているのは何隻かの船の完成図で、それぞれ少しずつ形が異なっていた。
「見栄えと人気を考えて帆船に決まったはいいんだが、それからがどん詰まりしちまってよ。これがキャラヴェル船で、こっちがガレオン、んでこれが……」
「ストップストップ!名称言われてもぼくわかんないから!」
「んあ、あーそうだったな。悪ィ悪ィ」
放っておけば延々解説を始めそうなパウリーの言葉を遮れば、軽い返事と共にばさりと図面を目の前に突き出される。
「ま、結局最年少の意見が何より参考になるって訳だ!お前の直感でいいぜ、選んでくれ!」
「いいけどォ~……文句言わないでね?」
ヒョウ太は渋々といった様子で受け取って眺め始めるがしかし、流石は本職の描いた図面というべきか、素人目でもこれが完成した所を現実で見てみたいと思えるような格好良さがある。
船というのはいつの時代でも浪漫足り得るモノ。ヒョウ太という明るい外面を取り繕っている心根は冷徹寄りなルッチも結局は中学二年の男の子であるからして、心を動かさずにはいられないというものだ。
「な、悩むなァこれ!……ねーパウリーさん、さっき言ってたガレオンとキャラヴェル?ってどう違うの?」
「ヒョウ太も遂に船に興味持ってくれたか?船大工冥利に尽きるなァ!そーだな、一番の違いは何より大きさが……」
そして、きらりと光った好奇心の種を見逃すパウリーではない。
製図台を挟んで向かい合いながらあれやこれやと楽しく語る二人を微笑ましく見守りながら、職人たちは通り過ぎていく。
アレ?ヒョウ太、ドックに荷物持ってく用事あるって言ってなかったっけ?などと思う者は一人もいないまま。
「いつになってもヒョウ太が来ねェと思ったら……お前ら!」
「ぎゃあっ!?」
「どわあっ!?」
……仕事中であることを忘れ話し込む二人に拳骨が落とされたのは、この数十分後のことであった。
────────────────
「ヒョウ太ー!」
「はァ~い!」
デジャブである。
二人揃って怒られたあの日から数日が経つ。日も傾き、仕事も締める時間だと伸びをしてさあ寮へと帰ろうとしているヒョウ太の元へ歩きながら、機嫌の良さそうなパウリーが声をかける。その腕にはそこそこの大きさの箱が収まっていた。
「ほいこれ、試作品!」
なんだと首を傾げていれば、軽く箱を差し出される。まっさらな表面は正にこれからデザインが追加されることを思わせた。ヒョウ太は頭の中で過去の記憶と今言われたことを瞬時に繋げ、納得する。
「試作品って……ああ、前言ってた船のキット?完成したんだ」
「おう!材料と一緒に小さめの工具と説明書が入ってる。試しに組み上げて、出来たら見せてくれ!感想とかも聞きてェな、参考にするからよ」
「えェ~そんな簡単に言われてもォ……」
「ンな気負わなくてもいいって!どんだけ時間かかってもいいからよ」
後ろ向きな発言をしながらもしっかりと受け取る辺り、少なからずヒョウ太も興味を惹かれているのだろう。ずっしりと重い無地の箱を抱え、小さく笑みを浮かべる。
「ま、やるだけやってみよっかな」
─────
普段は至って静寂を保っているヒョウ太の自室に、かたかたと作業音が鳴る。
帰宅してすぐに渡された箱を開け製作に取り掛かったのは、仕事に繋がることだからという根の真面目さ故か、それとも純粋な好奇心故か。
「なるほど、ここはこう組んでいるのか。案外難しいが……できないことはない」
度の入っていない眼鏡も意味を成していないマスクも今は邪魔でしかないと外して戦闘時のように髪を一つに括った彼は、ヒョウ太ではなくロブ・ルッチの姿をしていた。一人でいる時まで演技など、気が滅入るにも程があるのだから。
「これを、こうして……随分説明書が不親切だな」
説明書には抜けがあり、更にところどころに専門用語が使われている。書いたのがプロであるから彼らにとっての当然を入れることを忘れたのだろう。自他ともに認めるほどに万能なルッチであっても手間取るならば、普通の子どもには更に難しいことは明白。改善点をメモして報告する必要があるなと考えながら立ち上がり、隙間の空いた本棚を漁る。
「……確かこの本の……112ページか」
ある程度は自分で調べなければ完成は程遠いと判断し、前の住人が残していったらしい技術書をぱらぱらと捲る。
求めている内容がどこにあるかを覚えているのは、ルッチが此方へ来たときに一通り暇潰しの手段として眺めていたからだ。それを大まかとはいえ記憶しているのは流石と言う他ないが。
「しかし……船作りというのも悪くない。カクが聞けば羨ましがるだろうな」
ぱた、と本を閉じて棚へと戻しながら元の世界の友人の顔を思い浮かべ、失笑する。幼い頃から共に居た彼は確か船の模型を良く携えていた。此方の大人の姿をした同じ顔は本職こそ別にあれど、船大工としての仕事を心底楽しんでいるように見えることだし。もう一人の自分とは違って。
「帰ったら、あいつにも作り方を教えてやるか」
ふっと息を吐き、椅子へと戻る。
こつこつと木材の音が響く中、いつの間にか外は完全に闇へと閉じていた。
「あとは帆を張れば……よし、これでいい筈だ」
両手に収まるほどの船の模型を前にルッチは一人頷く。すっかり凝り固まった肩に手を当てればごきりと鈍い音。
ふと窓を見ればぼんやりとした青紫の朝焼けが空を覆っていて、もうこんな時間かと呟いた。
一日程度の徹夜にやられるほど軟弱ではないし、今更寝ても寝坊することになるだろう。そう考えて、ルッチは出勤時間まで完成した船を眺めていた。どういう思いであったのかなど、知る由もない。
─────
小鳥がさえずる爽やかな朝の空気の中、ルッチはヒョウ太としての姿を整えバックの中に出来たての小さな船を入れてガレーラへと向かう。徹夜明けの目には潮風がよく染みた。
「うおおお!ヒョウ太ァ!今日はいつにも増して早いな!!」
一番ドック職長の一人、タイルストンから声をかけられ、音圧に仰け反りながらも挨拶を返す。
「おはようタイルストンさん!ぬはは~、朝早いというか、なんというか。実は徹夜しちゃって……」
抜けた笑いを零しながら頭を搔く。たった一日の徹夜など別に隠すようなことでもなく、むしろ話のタネになる。そう軽い調子で言ったことだったが少しだけ眉を顰められた。
「徹夜?お前、その歳からそんなことやってたら身長伸びないぞ!!?」
「うわわっ」
ぐいと遥か上から頭頂部に手を置かれ、くしゃりと髪を撫でられた。此方に来てから子ども扱いされるのは慣れたものである。
「だいじょーぶだいじょーぶ!ぼくは将来2メートルは越えること確定してるんだから!」
「なァに根拠に言ってんだか!」
呵呵と笑う彼にむくれるフリをして拗ねてみれば、楽しげな声が響く。根拠はこちらの世界の大人になった自分だ、などとは当然言えない、言う気もない。
「あ、そうだ!徹夜したのは船の模型仕上げたからなんだ~、ちょっと見てみてよ!」
先刻作ったばかりの小さな船を鞄から取り出し見せびらかす。
体格の大きなタイルストンからすれば片手に収まるサイズのそれをしげしげと注視され、少しばかり居心地の悪さを感じる。相当の腕を持つ職長相手に見せるには拙かったかと一瞬不安になったが、大笑いとともに背中をバシンと叩かれた。
「あいたァッ!?」
「こりゃあ上出来じゃねェかヒョウ太!!これで初めてなら相当だぞ!!職長目指すか!?」
いつも以上の大声になんだなんだと職人たちが集まってきた。
ヒョウ太の船を眺めては雑用させてるには勿体ないだの、でもドジ過ぎて仕事は任せられねえだの好き勝手言いながら、わっしゃわしゃと髪が乱暴に掻き回されて褒めてくる。職人という人種は皆豪快なのだ。
「寄って集ってどうしたんじゃお前さんらー!」
「ヒョウ太が縮こまってるぞ、散れ散れ」
日の光を後ろに浴びながら二人の職長が作業場へと入ってくる。しっしと手を払えば、最年少に構いたいだけの職人たちはからからと笑いながら持ち場へと戻っていった。
「カクさん、ルルさんー!」
元から癖の付いた長い髪をぼさぼさにしたヒョウ太が救世主と言わんばかりの目を向ければ、微笑ましさを湛えた顔を返された。少々気恥しいものがある。
「おお、おはようさん」
「おはよう。で、なんの騒ぎだったんだ?」
揃って首を傾げる二人に船を見せ、経緯を説明する。一通り聞いた彼らは頷いて納得し、先程の人集りと同じように船を検分し始める。
「なるほどのォ……確かに見事なもんじゃ、職人たちが騒ぐのも分かるわい」
「そうだな。まァ少しの綻びはあるが十分に及第点、丁寧なモンだ」
「だろ!?よォしさしものの方にヒョウ太引き抜いていいか!?」
「いやそれはダメじゃろ」
飛び出てきたタイルストンの提案をカクがばっさりと切り捨てる。そりゃそうだろう、本人の意思を置いていくなとヒョウ太は心中で考える。
「こんだけ将来有望ならわしんとこにも欲しい!独り占めしようとするんじゃないわい!」
「そっちィ!?」
わちゃわちゃと騒ぐ三人の職長達の声を聞き付けてか、ゴーグルを付けた金髪と鳩を連れたシルクハットの黒髪が近づいてきた。
「テメェら朝っぱらから騒がしいぞ、ぽっぽー」
「んなこと言ってもガレーラが騒がしくねェときがあったかよ!まァ今日は特段だけどよ。どうした?」
「おお、お主らもほれ見てみい!ヒョウ太が作った船の模型じゃと」
にこにこと爽やかな笑みを浮かべながらカクが促すと、二人は対照的に、怪訝そうな顔を見合わせた。
「模型、って……」
「昨日のアレだよなっポー」
その不思議そうな表情に奇妙な沈黙が一瞬満ち───
「ッお前ヒョウ太!めちゃくちゃに天才じゃねェかッ!?!?」
パウリーの大声ですぐに弾けた。
察していたのか事前に耳を塞いでいたルッチとハットリ以外モロに大音量を食らい、あまりの煩さにパウリーを睨む視線が集まる。だがそれを気にすることもなく、ヒョウ太の両肩に手を置き揺さぶり始めた。
「マジで完成させたのかよアレ!つか出来たのかよ!?昨日の今日で!?」
「ちょ、わ、わ、うわァ~ッ!?」
お前が造れと言ったんだろう、一体全体なんなのかとがっくんがっくん揺さぶられるヒョウ太は困惑し、事情を知っているような顔をしたもう一人の自分に目線を投げかける。
半ば呆れたような引いたような表情で溜め息を一つ吐いてからパウリーの首根っこを掴んで引き離し、ルッチは話し始めた。
「フルッフー、いいかヒョウ太。まず一つ、このバカがお前に渡した説明書は試作の前段階、改良も校正もしてねェ原本だった」
「う、うん?」
いまいち分かっていないような返事をする少年にもう一度溜息を重ね、更に続ける。相棒の思考に合わせているのかそれとも本鳥も同じ考えなのか、ハットリが頭に手を当てる仕草をした。
「そもそもあのマニュアル通りに造れるのはおれたちみてェな現職の船大工くらいだってことだ」
「……あっ」
思い当たる節は、ある。
こんなもの子どもが読んで理解出来るわけが無いだろうと思いながらも、即興で専門書を読み漁って埋めた隙間が脳裏に浮かんだ。
「ポー、まァそれに関しちゃ個別に調べりゃどうにでもなる。問題は二つ目。……ヒョウ太、これを造るのにどの程度の時間を掛けた?」
「え?ええっと……昨日の夜から今日の朝までだから、ざっと八時間……?」
目をきょときょとと彷徨わせながら数えれば、別のところから声が上がる。
「八時間じゃと!?ううむ、これが才能か」
「これを、一人で八時間?……本当に経験者じゃないんだよな?」
「小さいとはいえ本格的な模型で、これだけ丁寧な作業なら!その何倍の時間が掛かってもおかしくないぞ!!?」
まあ大体察した。
「……という訳だっポー。いいかヒョウ太、これの作成目安日数は、初心者一人でやるなら丸三日だ」
「え゛」
カクの言葉を皮切りに上がった驚きの声と淡々と告げられた言葉。それを聞いて、ヒョウ太は完全に自分がやらかしたことを自覚する。
本来ならば良い事だろう、ガレーラの見習いの少年が将来有望にも程があるという話であるのだから。
だがしかしヒョウ太にはガレーラに永住するつもりがそもそも微塵もない上に、服部ヒョウ太はドジであるという地盤がある中でこのやらかしである。正体を隠している彼にとっては不都合極まりない行為に自分から足を突っ込んだのだ。
「……よし、ヒョウ太」
打って変わって静かになったパウリーが口を開き、それにヒョウ太が肩を震わせおずおずと聞き返す。
「なん、何かなパウリーさん……?」
「お前はドジだが船大工の天才だ、おれが、おれらが立派に育て上げてやるからな!!」
「結構ですッッ!!!!」
ヒョウ太にとってはとんでもないパウリーの真剣な宣言に、思わず敬語で叫んだのだった。
─────
可哀想(可哀想でもない)な生徒会長……ひとえにお前が才能の塊であったからだが……っていう話
なんだかんだ気を抜いて才能露呈とかいうボロ出してるこの世界線のヒョウ太は結構絆されてる
この後ルッチ達でひそひそ話してるやつ
「テメェすっとろい演技してる癖に何やってんだ正体バラしてェのか?」
「ンな訳ねェだろ普通造船に掛かる時間なんざ知るかバカヤロウッ!」
「おれより弱い代わりに器用なようだな」
「フン……生徒会長なんだ、造船程度やれなきゃ務まらねェ」
「学校に通ったことはないがその認識は間違ってると思うぞおれは」