はれときどきほね

はれときどきほね

Name?

 かつて音楽王国と呼ばれた島の崖に、一人の少女が佇んでいた。

 茜色の太陽から吹き付ける海風に、赤と白のツートンカラーの髪が、黒いシャツが揺れる。

 崖に当たり弾けた波しぶきが頬にかかるが、しかしその少女──ウタはそれをぬぐおうともしない。

 本日は快晴なり。並みいる芸術家が見れば、彼女の見る景色を何かしらの形に残そうとするほどの絶景だった。

 しかし、ぼんやりと夕焼けを見つめるウタの瞳はどこかうつろで、悲しく、そして寂さがにじんでいる。

 そんな彼女の様子は、見る人によっては危機感を抱かせるものだった。まるで、自殺をする前の人のような。

 しかし、それは杞憂だろう。ウタには自殺のできない理由があるのだから。

 おもむろに、ウタは左手を上げて、空色のアームカバーに刺繍したマークを見る。

 かつての幼い日に、たった一人の幼馴染が描いてくれた、ヘタクソな麦わら帽子の絵。ウタと幼馴染だけの、新時代の誓いの印。

 そのマークを見たウタの瞳に、若干の生気が戻ってくる。

「…………よし」

 ウタは両手を顔の高さまで上げると、目を閉じてからぴしゃりと両頬を叩いた。

 わたしは大丈夫、と心の中で唱えてから、ウタは目を開いた。

 先ほどまで瞳にあった憂いは、小さくなっていた。しかし……

(…………正直、重いなぁ……)

 小さく溜め息を吐く。

 重いというのは、最近の世間の評価についてだった。

 一年ほど前に拾った電伝虫を使い、ウタは音楽を世界に向かって発信していた。そしてそれはわずか半年ほどで世間を駆け巡り、ついたあだ名は“歌姫”。

 それは、良かったのだ。

 ウタとしても、自分の音楽を認めてもらえることは、とても喜ばしいことだったから。

 しかし、最近の風潮は少しだけいただけなかった。

 “救世主”。

 ウタの歌を聞くと元気が出る、明日の活力になるなんて感想が、彼女の海賊嫌いと相まって『私たちを救ってくれる』『大海賊時代に終止符を打つ女』と変化していき、そして“歌姫”は“救世主”として崇められ始めていた。

(…………わたしだって、みんなを救いたい)

 そうは思う。けれど。

 では、いったいどうすればいいのか。

 かつての幼いウタは、幼馴染に「歌で平和で幸せな世界を作る。それが私の新時代」だと語ったことがある。

 もちろん、今でもその思いは変わらない。

 しかし、このまま音楽を供給するだけで、世界を救うことができるのだろうか。皆を助けることができるのだろうか。

 考えてみても、答えは出ない。

 夕日を見るたびに思い出す、愛しい日々。歌うだけで世界を救えるのだと信じ切っていた、幼い記憶。想像の世界と、現実の世界が地続きだった、幸せな日常。

「…………どうして」

 俯いた唇から、小さな声が漏れた。

 すぐにウタは頭を振る。

 脳裏に浮かんだ裏切りの記憶をかき消して、ウタは踵を返した。

 ウタは背の低い草を踏みながら、夕食後は新曲のブラッシュアップでもしようかと考える。そういえば、あの小節のピアノが少し浮いてしまっていたっけ。

「ん?」

 一瞬だけ視界が暗くなり、ウタは鳥でも飛んでいるのかと思い空を仰ぐ。

「へ?」

 ウタの瞳に一瞬、すごい勢いで何かが飛んでいくのが映った。

 ……と言うよりも、落ちてきた?

 ウタの思考が追いつく前に、エレジアの廃墟街の方から、べゴン! という大きな破壊音が聞こえてきた。

「──っ!」

 ウタはその音に一瞬だけ身を竦めてから、拳を握って音のした方向へと駆けだした。

(見間違いなら、いい……!)

 ウタの視界の端にちらりと映ったのは、黒い人影のようなもの。

 何故人が空を飛んでいる?

 何故エレジアに来る必要がある?

 考えられるとしたら、海賊が何かを企んでいるとか、近くで戦闘があったとか?

 だが、ウタからしたら原因なんて些末なことだ。問題なのは、それが人であれ物であれ、このエレジアに害をなすかそうでないか。

 ただでさえ、一度居場所を失ったウタにとって、エレジアという居場所までを追われることはは耐えがたいことだった。

 だから、もし害のあるものであれば、どんな形であれ排除しなくては。

「はっ……はっ……!」

 息を切らして廃墟の隙間を駆け抜け、そしてウタはそれの墜落地点を発見する。

(何、これ……?)

 廃墟の天井を突き破り、瓦礫を押しのけるように、巨大なクレーターができていた。いや、それはクレーターというよりも……。

(肉、球……?)

 直径四メートルほどのくぼみの上に、小さなくぼみが四つ並んでいる。まるで、熊などの肉食動物を思わせる形だった。

 そしてウタは、そのくぼみの中心に横たわる者を見つけた。

「…………骨、だよね?」

 黒い服を身に纏った、人骨。

 ウタは恐る恐る、その骨に近づいていく。

 この人は、いつどこで死んだのだろう。何故ここへ飛ばされてきたのだろう。なぜこれほどまでに、骨とは対照的に髪の毛が茂っているのだろう。

 様々な疑問は尽きないが、しかし、きっと骨であれば大丈夫だ。さすがに起きて襲ってくるようなことはないだろう。だって骨だし。

(ただなぁ……)

 ウタは下唇に人差し指を当てて思案する。

 危害がないからといって、このまま亡骸を放置していいものなのか。

 仮にも人骨である。

 彼が生前、善人だったのか悪人だったのかはウタには判別がつかない。つかないならつかないなりに、きちんと弔ってあげる必要があるのではないだろうかと、ウタは考える。

「……ゴードンに相談しよっか」

 ゴードンの許可が下りれば、共同墓地に埋葬させてもらおうかなんて考えながら、ウタはその骨に歩み寄る。

 相談するにあたって、どこか骨の一部を持って行った方が、ゴードンも理解しやすいだろうと考えての行動だった。

 ウタは身軽にくぼみへと入ると、腰をかがめて手を伸ばした。

 ウタは、ちょうど彼女の方へ向かって伸びていた前腕の骨を掴んで引っ張る。

「あれ……?」

 骨を拾ったはずなのに、カシャリと音がして、その骸骨がその身を起こした。

 ウタの脳みそが状況の処理を放棄し、ウタは呆けた表情で固まる。

 死骸だと思われていた骸骨が、ヨホホと笑い声をあげた。

「まさかこんなに遠くまで飛ばされるとは……。うっかり眠ってしまいましたよ」

「…………???」

 ホネのどこから声が出ているのかはわからないが、低い男の声が、その頭蓋骨の奥から聞こえてきた。

 骸骨が顎関節を動かして、明るい声で続ける。

「いやー、それにしてもお優しいんですねお嬢さん、初対面の骸骨の手を取って起こしてくださるなんて!」

ところでお嬢さん、と骸骨が首を傾げて言う。

「パンツ見せてもらってもよろしいですか?」

「……………うわぁあああ!!」

 ゴツン!!

 ウタの思考は、現実に追いつくどころか追い越してしまったようで、ウタが気付いた時には、十年以上振るうことのなかったウタの拳(左フック)が、骸骨のこめかみを正確に打ち抜いていた。

「あ」

 よって、ウタが気付いた時にはもう遅い。

 ウタの会心の一撃によって、その生きた骸骨──“死んで骨だけ”ブルックは、再び地面へと倒れ伏した。

「ご、ごめんなさい! ゴードン!! ゴードーン!! いる!? 骸骨が死んじゃってないか──違う! えっと……ゴードン!!!」

 ウタは泡を食って、育ての親が近くにいないかと声を張り上げながら、自分たちの住まいへと向かって駆けだした。

 これが、後にこの世の音楽界に革命を引き起こす“歌姫(プリンセス)”と“魂王(ソウル・キング)”の邂逅である。

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