はつこいのきみ、或いは今はなき少女の為の(前)

はつこいのきみ、或いは今はなき少女の為の(前)




「むかしむかし、あるところに一人ぼっちのちいさな魔女がいました」

「魔女はあるとき、けがをした子ぎつねと出会います。子ぎつねは魔女にけがをなおしてもらい、なかよく暮らしはじめました。」

「けれども子ぎつねは、たびたび空を見上げてためいきをつきます。『ぼくは月から落っこちてしまったの』子ぎつねはしくしく泣きました」



「……寝ちゃった?」

目を閉じて彼女の声に耳を傾けていたら、赤い髪の少女は反応がないことを不満に思ったのか俺を揺さぶった。渋々目を開ける。


「エリー、その本読むの一体何回目なんだよ。よく飽きないよな」

別に寝ていたわけではない。ただちょっと、繰り返し繰り返し聞かされたその小説に飽きが来ているだけで。


「だって、地球のみんながお別れにっていってくれたんだよ!」

エランのわからずや!と彼女は頬を膨らませた。


本当に怒っているわけではないが、エリーはよく何かに腹を立てている。

もっともそんなことはすぐに忘れて笑顔になっているし、笑っているときの方がずっと多い。くるくると変わるその表情は見ていて飽きない。

彼女が一声発すると皆がつられて笑ってしまう、その明るさは今は隠れて暮らさねばならない人々にとって大きな救いとなっていた。


地球でも彼女は腫れ物に触るように扱われていたエランにも物おじせず声を掛けてきて。

鬱陶しく隣に居ようとしてくれたおかげで孤独なんか感じる暇もなく、エランのことをカルド博士の直系だと意識する人も随分減った。


だから、地球に留まるよりも自分の利用価値を主張して彼女と共にこの宇宙に浮かぶフロントに来たのだ。

『計画』がなんなのかは知らないが、エリーがその中心にいることは分かっている。


彼女が宇宙へ行くと聞いた後、あの襲撃で家族も親しかった人もすべてをなくして、これ以上失うのは耐えられなかったから、わがままを言ってみたつもりだった。

だけど婆さん達は理由も言わないまま渡りに船とばかりに俺を『計画』とやらに組み込んだらしく、あっさりとここに来ることが決まって、傍にいることが許されている。


エリーは、はじめてのともだち。はじめての気を張らずに話せるひと。

ただ明るいだけじゃなくて、忙しいお母さんに構ってもらえなくてさみしいことや、お父さんが居なくなってしまったことを表に出さないようにしているのも知っている、ずっと傍に居たい人。

ちょっとだけ生まれが早いからってお姉ちゃんぶるのはやめてほしい、と思っていることは口には出さないけど。

エランは彼女に気付かれないようにこっそり微笑むと、握っていた手にぎゅうと力を込めた。



落成されたばかりの真新しいフロント、何もないペイル社で、地球からやってきた少女と少年は忙しい大人たちに放っておかれて日々を過ごしていた。

ここが新しいヴァナディースになるのだと皆は意気込んでいるものの、かつてのフォールクヴァングとは違う悲しみと希望の入り混じる空気は、まだ生々しい傷跡を感じさせる。

その中心にあるのが、エリーの呼び覚ましたルブリスであることなど、その時のエランはまだ知る由もなく少女の声に耳を傾けていた。



  ◆ ◆ ◆



「魔女は子ぎつねに魔法をかけてこう言いました『さあお行き、月にはおまえの仲間が待っているよ』 子ぎつねは、いくども、いくども振り返りながら宙へ駆けてゆきます」

「魔女はだんだん小さくなって、しまいには見えなくなりました。子ぎつねはたまらなくなって大粒の涙をこぼします」


「……起きてる?」

掛け布団から出ていた手にそっと自身の手を重ねると、小さなそれは思っていたよりも熱い。

「はい…起きて、ます…」

やわやわと重ねた手を握り返されたが、やはり元気がなくてエランは不安になった。


「ねえ、大丈夫なの、本当に」

辛くないの、と重ねて尋ねる。

「大丈夫、です。起きてますから、つづき、よんでくださ……」

返事は返ってきたものの、スレッタはすぐにまたうつらうつらと船を漕ぎ、若干苦しそうな寝息を立て始めた。

彼女は読んでほしいと言ったけれど、朗読を続けたら起きてしまうかもしれない。

本を閉じてじっと顔を眺める。



エランがここにきて、もう一年が経とうとしていた。

最初はその無感情な振る舞いに周囲も接しあぐねていた様子だったが、今ではペイル社にもすっかり馴染んで、スレッタほど溺愛されているとは言えないが大人たちも優しい。

部屋中が本に埋もれてしまったため二回ほど部屋の移動を余儀なくされて、結局蔵書室と私室を分けるということで落ち着き、スレッタとオリジナルの自室の並びに部屋を与えられた。


一年が経ってもペイル社の機密空間に子供は増えることはなく、スレッタとはたった二人の子供、テストパイロットとして一緒に勉強して、食事をして、戦闘訓練をして、遊んでと接するうちに、随分と彼女のことに詳しくなったと思う。

スレッタが「ライバル」だと言ってくれたことが何より嬉しくて、ただ何も考えずこなしているだけだったMSの操縦も上手くなりたいと願うようになった。

彼女が分からないことがあったら教えられるように、勉強も頑張った。


何より、彼女やほかの人の言う「楽しい」がどんな感情なのか、今のエランは理解できるような気がするのだ。

君が教えてくれた通り、何もないなんてことはなくて、目を逸らさずに見つめれば笑顔が返ってくることを知った。


握っていた手を放し、昏々と眠るスレッタの赤い髪に恐る恐る触れる。

一緒に『調整』を受けた後、スレッタが熱を出して寝付いてしまうことは今回が初めてではなかった。

自分とは違うその反動を不審に思うものの、誰に聞いてみてもそれとなくはぐらかされてしまう。


周囲の人々の反応からすると病気ではないようで、治療を受けることなく自室に寝かされているスレッタのことを不安に思う気持ちはあるものの、

あれだけ彼女を気に掛けているCEO達が何も言わないのだから、命に関わるようなものではないのだろうとエランは自分を納得させていた。


──けれど、いつも元気な彼女が熱を出すのは『調整』の後だけ。


スレッタが苦しむならGUND‐ARMになど乗らなくていい、そう思っているのは自分だけなのだろうか?

それに…寝付いてしまった彼女は決して苦しい、辛いなどと弱音を吐かない。

これだけ高い熱が出ていたら、きっととても辛いのに。

エアリアルが彼女にとってそれだけ大切な存在だということは分かっているが、スレッタを溺愛している大人たちがこれを許容しているのがちぐはぐに感じられて、エランは頭を振った。


ペイル社は何を彼女に求めている?


随分と昔に居なくなったらしい前任のテストパイロット達、カテドラルに滅ぼされたパーメット研究機関ヴァナディース、スレッタの母親であるエルノラのエアリアルを見つめる眼差し、そして『調整』を受けると体調を崩すスレッタ。



───大人たちは何かを隠している。



  ◆ ◆ ◆



結局、次の日になってもスレッタはまだ熱があってベッドから出られなかった。

エランは1人ファラクトに乗り込みいつも通りに訓練をこなしていたが、彼女と一緒ではない勉強も訓練も久しぶりで、どうやっていたのかがうまく思い出せない。

いつになく低いスコアを示している戦闘シミュレーターの結果を眺め、やっぱり競争相手がいないと張り合いがないな、とエランはため息を吐いた。


「ねえ、今日はスレッタはいないんだ。君には…わかるのかな」

ぽつりと話しかけると、モニターの光が点滅しファラクトのAIが微弱な反応を示す。

しかし、それきり答えることなく光は弱々しいものに変わって、戦闘シミュレーターの画面からもAIの残滓は消えてしまった。


シミュレーターのログから導き出される許容パーメットスコアは2。

スレッタも手伝ってくれているのに、一年間掛かって3にすら達していない。

こんなものではスコア4に達するなんて現実的ではないな、とエランは苦々しく呟いて顔を歪めた。


『たくさんお話しするのがエアリアルと仲良くなる方法だって、ちっちゃい頃にお兄ちゃんが教えてくれたんです』

『……だからきっとファラクトも、お話ししたい、と思ってエランさんのこと待ってるんじゃないでしょうか』

ここに来たばかりの時とは違い、エランはいろんな人と話すようになった。

でも、いつも話しかけられたことに返事をするばかりで、自分から話しかけることはない。

どんな話をしても楽しそうに聞いてくれるスレッタと違って、他の人が好む話題を推察することができないから、ペイル社の職員に話し掛けられてもいつも黙って話を聞いているだけ。


…だから、ファラクトに掛ける言葉が見つからないのか。

「ファラクト。君と、仲良くしたい。それで……」

違う。言葉が上滑りしていくのを感じて目を伏せた。


仲良くしたい?そんなものはただの彼女の受け売りで、本当の自分の思いではない。

本当は、反応がないAIを会話できる相手だと思うことすら難しい。

そんな本心でない言葉に、対話を求めるファラクトが答えないのも当然だった。

でも、どうしたらいいのかわからない。

仲良くならないといけないのに。


エランはただ、スレッタに追いつきたいだけだ。

彼女の「ライバル」だから。たった1人の「もう一人のGUND‐ARMパイロット」だから。


学園に行くまであと4年しかない。

それまでに彼女に…彼女とエアリアルに追いつけるだろうか。

完全に沈黙してしまったファラクトの画面を見ながらエランは唇を噛んだ。



  ◆ ◆ ◆



「次はこっちの赤い瓶を持ってみてくれる?」

言われた通りに機械の腕を操作して瓶を壊さないように摘まみ上げる。


次の瞬間、熱さに近い感覚がパーメットを通じて神経に送られ、エランは驚いて指示を出している研究員──ベルメリアを見つめた。

「熱い」

「えっ?温度は40度に設定してあったはずよ」


ぶつぶつと何かを呟きながら、ベルメリアはモニターの数値を確認し始める。

「多分、義肢の表面温度と瓶の温度の差が皮膚の感覚にそのままフィードバックされてしまったのね。他の感覚はどう?固いとかつるつるしているとか、感じる?」

「あんまり。でも、固いものが触れ合ってるような…そんな感じがする」

「そう…再調整するわね」


エランは背負っていた機械の腕を手渡し、研究室の椅子に腰かけた。

カタカタとキーを鳴らしてモニターにコードを打ち込んでいる後ろ姿を眺めていると、ふいにベルメリアが口を開く。

「珍しいわね、一人で来るなんて」


スレッタが実験に協力したいと言うので、二人はテストパイロットとして定期的にテストを行っているが、エランが1人でこの研究室を訪れるのは初めてだった。

「……今日はMSのテスト、しないの?」

いつもの採掘用遠距離操作の小型MSではなく、義肢のテストをするのも初めてである。

「あなたたちのお蔭で採掘用のMSは実用段階に入ったの。使うのはまだまだ先だから、この義肢の開発はもう少しゆっくりでもいいんだけど、趣味と実益を兼ねてってところかしら」


「この腕、何で感覚をフィードバックさせてるの」

荷物の運搬に使うならこんな機能は要らないどころか邪魔になるだろう。

何らかの事情で手足を失った人の為の義肢なのかもしれないが、ペイル・テクノロジーズ本社が医療分野に進出する話は聞いていない。


ベルメリアは「まだまだ先」と言っているが、既に誰かが使用するのが確定しているかの言い様だ。

しかしエランの知る限りでは研究員に手足のいずれかを失った人物はいないはず。


「再調整したわ。もう一回接続してちょうだい」

質問に答えないままベルメリアはテストを再開した。

しかし、答える気がないというよりは目を伏せながらどう告げようかと考え込んでいるように見える。


今度はこっちのボールを持ってみてと指示されて、エランは落とさないようにアームを操作してそれを掴んだ。なんだかぐにゃりとしている。それに温かい。

「…今度は上手くいったみたいね」

何か言いたげなベルメリアの顔を、エランはじっと見つめる。


彼女は困ったように目線を彷徨わせ息を吐くと、意を決したように話し始めた。


「『赤子が服を着るようにGUNDを纏うことで、脆弱な人間は初めて宇宙に出ていける』これが先生、ううん、パーメット研究機関ヴァナディースの理想だった」


「…それは、体を機械に置換する、ということ?」

この義肢みたいに、とアームを持ち上げながら尋ねる。

肉の身体を捨て、機械の体に受肉する為に、人間の腕を模したMSの開発をしているのだろうか。


「そうね、究極の理想はそうだった。人間の体は無重力や紫外線に耐えるように作られてはいないの。GUND技術が、誰でも宇宙で生活できるようになるための唯一の道だって」

インプラントアプリやワクチンは高額でアーシアンには手が出ないし、施術を受けたとしても細胞寿命の減少は避けられない問題だ。


「でも、ペイルはその『究極の理想』とは違うことをしようとしている。違う?」

鎌をかけた。途端にベルメリアの目線が忙しなく動き出す。どうやら当たりだったらしい。


「ペイルは何をしたいの? スレッタを使って」

「使うだなんて、そんなこと言わないで。彼女は…」

「教えて」

狼狽した様子で目を逸らそうとするベルメリアをぐっと睨みつけた。

言えない?誤魔化そうとしたってそうはいかない。そんな答えは求めていない。

「パーメットスコアをあげることは聞いている。でも何の為に…」


だが、彼女の口から出てきたのは謝罪の言葉だった。

「ごめんなさい。私の口からはとても……」

その後もベルメリアはごめんなさいと繰り返すばかりで、頑なに回答を拒む。


スレッタが熱を出していることについても尋ねてみたが、尋常でない慌てようの彼女から情報は何も引き出すことができなかった。

当てが外れてしまった。手掛かりはすぐそこにあるのに、どうやら手を伸ばすことは許されないらしい。


黙ってボールを握りしめる。

どうやらこの柔らかいボールは精巧に人間の肌を模しているようだ。

温かさや柔らかさに似通ったものがある。


だがスレッタの握った手の熱さを想い起すと、今感じている感覚はそれとは全く違うと言わざるを得ない。

…彼女の手はもっと燃えるように熱くて、でもそれを不快には思わないどころかずっと握っていたかった。

柔らかいもの同士が触れ合って体温が混じり合う。

その温もりを手放してでも寿命を伸ばしたいなどとは、ひとかけらも願わない。




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