★【××の記憶】を再生します。

★【××の記憶】を再生します。



――××は白い町で育ちました。

 そして今はとある男の人に買われてお屋敷の中で暮らしています。

 ここに来てから××は世界の見え方が変わりました。あれだけ恐ろしかった、色が変わっていく肌のことも気にならなくなりました。

 おじさんはそんな××を見て、何故か悲しそうな顔をします。

 少しして初めて名前を訊かれましたが、理由がわかりません。しかし××は困りました。

 教えてあげようにも自分の名前が何だったのか、思い出せないのです。

 まるで虫に食われた本のページのように、そこだけ抜け落ちています。でも、問題はありません。

 『物』に名前は必要がないからです。好きに呼んで大丈夫だと笑えば、やはりおじさんは悲しそうな顔をしました。


 そんなある日、××は初めてそのお屋敷に暮らすひとりの女の子に出会いました。

 酷く緊張した面持ちの女の子はお人形みたいにキラキラとしていました。どうやら彼女が男の人の娘のようです。

 それから××は女の子の『友達役』になりました。

 彼女はたったひとりで大きな書庫にいつも籠っているのだそうです。

 ろくに外に出たこともないという彼女は本の世界しか知りません。だから普通の人が知っているようなこともわからないのです。

 ××は彼女にひとつひとつ、丁寧に外のお話をしました。

 ――動物の毛並みの柔らかさだとか。

 ――空を飛ぶ鳥の色んな鳴き声だとか。

 ――生物はみんな心臓を動かして生きていることだとか。

 すると、彼女の赤い瞳が楽しそうに輝いて、もっと、もっと、と××に話をせがみます。

 友達というよりも妹ができたような気持ちになりました。


 女の子は純粋で、真っすぐで、幼い心を持っていました。

 ただ、おじさんは彼女が苦手なようでした。というよりも、このお屋敷にいる人たちがみんな嫌いだと言っていました。

 ××には女の子と遊ぶ『仕事』以外、ほとんど寝ていました。

 他の人たちに比べれば良い物も食べさせてもらえていたと思います。でも、他の人たちはそれをずるいとは言いません。

 肌に増えていく白色に目を逸らすだけです。おじさんも××の肌の色を確かめて、溜息をつく日が多くなっていきます。


 ××の肌が白くなると男の人はとても喜んで、嬉しそうに『進捗』を確認します。

 かつて同じ地で暮らしていた『人々』に囲まれた部屋で××は肌を見せます。

 いつか、この部屋で永遠になる予行練習でもしている気分です。

 そうやって白い部屋で過ごしてから与えられている場所に戻れば、××を待っていたおじさんがいつも頭を撫でてくれます。

 そして何故か小さな声で謝るのです。おじさんは別に悪いことなんかしていません。変なの、といつも思っていました。


 お屋敷に来てから随分経ちました。

 徐々に白い毒は××の体を蝕んでいきます。その頃には女のことは随分親しくなっていました。

 彼女はこの世界の中で不思議なくらい澄んでいました。最初は怖がっていたおじさんにも懸命に話しかけ、少し会話ができるだけで大喜びするのです。

 おじさんは戸惑いと嫌悪を織り交ぜつつ、それでも少しずつ彼女とお話をするようになりました。

 ××はなんとなく、それを嬉しく感じました。


 お屋敷には色んな人がいました。

 体が大きな女の人――巨人だそうです――手が長い男の子、穏やかな笑顔が素敵な茶髪の女の子、おじさんと同じ種族だという男の人ふたり、そして、元海兵だという男の人。

 巨人の女の人はいつだってぐったりとして庭に繋ぎ止められています。時々、他の人と戦わされたり、誰かを背に乗せて歩き回ったりする役目があるそうです。

 体はとても大きいけれど××や、他の子供たちにとても優しい人です。横を通り過ぎる時があればいつもこっそり、人差し指で頭を撫でてくれます。


 手が長い男の子はよく獣と戦わされています。あとは長い手を生かして踊って色んな人を楽しませます。

 でも、豪華に着飾った人たちに叩かれたり、指を差されて笑われたりする彼は、いつも辛そうに泣いています。

 そんな彼と仲が良いのは、よく笑っている女の子です。長い茶髪と白い顔が美しい子です。

 ただ、服から見える手足にはいつだって新しい怪我があります。彼女は男の人の『お気に入り』のひとつだと聞きました。××は彼女が笑っている顔以外、見たことがありません。

 彼女は遠く離れた場所にいる妹と文通しているそうです。その手紙が唯一の拠り所なのだと言っていました。彼女の妹は××と似たような、肌がおかしくなる病気なのだそうです。

 ここには郵便屋さんがいないので、他の人たちが外に連れられて行く時に手紙もこっそり運び出すと言っていました。


 おじさんと同じ種族のふたりはいつだって一緒にいます。どうやら人間が嫌いらしく、××も最初は邪険にされました。

 だけど空いている時間で話をしている内に、徐々に顔を見て話をしてくれるようになりました。話してみればふたりとも気の良い人たちでした。

 人間と違う肌の色も××には親近感を覚えます。だって自分も普通とは違う色に染まっていくのですから。そんな話をすると困った顔をする人が多いので、あまり口に出すことはありませんでしたが。


 元海兵さんともお話をよくしました。おじさんと同じくらいの歳の男の人です。

 難しいことはわかりませんでしたが、どうやらどうしても我慢できずに『神様』に逆らってしまってここに連れてこられたようです。

 ××もここに来た理由を話しましたが、××を連れてきた海兵のお兄さんのお話を聞いて、彼は何故か泣いてしまいました。そして××の手を握ってずっと謝るのです。

 どうして謝るのかわかりませんが、あまりに辛そうだったので××は彼の頭を撫でました。いつもおじさんがそうしてくれるので真似をしたのです。すると、彼はもっともっと泣いてしまいました。

 茶髪の女の子が来るまで、そうしていたような気がします。


 不思議でした。白い町から逃げ出してからの一年間は、誰もが××のことを化け物として追い払いました。殺されそうになりました。

 でもここでは皆が××に優しくしてくれます。病気のことであれこれ言ってきません。もう病気のことがどうでもよくなっていたとはいえ、××にとって、ここは居心地の良い場所になっていました。

 女の子と一緒に本を読んだり、お話をしたりするのも『楽しい』のです。

 彼女が笑うと××も自然と笑顔になれます。本の中のヒーローや騎士様に胸を高鳴らせる彼女が微笑ましく思えます。

 気づけば、彼女のことがとても大切な『友達』になっていました。このままずっと話して暮らしたいと思うほどに。

 それくらい、彼女との時間が宝物のように感じられたのです。


 おかげでもう、いつ死んでも怖くありません。白色は××の肌をほとんど覆ってしまいました。髪の毛だって一部を残して真っ白です。目の色も少しだけ変わりました。

 死んでしまったらきっと意識は保てないのでしょうが、××は××のままでいられます。

 男の人が××を永遠にしてくれます。きっと彼女ともずっと一緒にいられます。

 それはこの白色に塗れた人生の最期にしては、幸福なのだと思います。


 だから――女の子が泣くなんて、思わなかったのです。

 ××は毒のせいで熱に浮かされながら、泣いている女の子や皆を眺めました。何もわかりません。何も理解できません。

 死んでも一緒にいられると言ったのに、それは間違っていると言われました。

 どうやら彼女の思う『一緒』と××の思う『一緒』は違うようでした。

 ここは狂っているらしいのです。ここは地獄だというのです。ここで人間は生きていけないらしいのです。

 なら、そうなのでしょう。考えることもやめてしまった××よりも、今は彼女のほうが合っている気がしました。


 ××と一緒にいるために色んな方法を探る彼女を見て、××は久しぶりに考えました。

 どうしたら彼女が笑ってくれるのか。どうしたら一緒にいられるのか。どうしたら――ここから彼女を出してあげられるのか。

 白くなってしまっただろう脳みそで一生懸命考えました。

 考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて。やっと思いつきました。

 どうしてすぐに思いつかなかったのでしょう。鳥籠に入れられた鳥を外に出す方法と同じです。

 ××は熱に浮かされながら、おじさんに笑いかけて言いました。


「ねェ、おじさん……外に出たいなら、籠を壊せばいいんだよね?」


 おじさんは驚いた顔をして少し苦しそうにした後、熱くなっている××の頭を撫でました。

 そして、優しい声で言いました。


「ああ……その通りだ」


 やっぱり、と××は笑いました。

 本当にそんな、簡単なことだったのです。

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【再生終了しました】



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