のど拓
なんだか眠れない。
ベッドに入ってからかれこれ1時間は経つのに瞼を閉じても意識ははっきりとしています。
「う~ん…」
何度も寝返りをうって、枕に顔をうずめてみたり、体勢を変えながら眠れないか試してみるもののやっぱり眠れません。
「どうしよう…」
どこか具合が悪いとかじゃなく、ただなんとなく眠れない。こういう時は温かい飲み物を飲んだり本を読んだりするといいと聞くけど、なんとなくそこまでする必要も感じない。
ぼーっと真っ暗な天井を見上げてしばし考えます。
「拓海くん起きてるかな……」
なんとなく、拓海くんの顔が浮かび上がりました。
「…………」おもむろに近くに置いてあったスマホを手に取ります。
ぽちぽちと画面を操作して電話帳の中から拓海くんの電話番号が載っているページまでたどり着きます。だけどそこで指は止まり、わたしはその先からはずっと画面と睨めっこ。
「こんな遅くにかけたら迷惑だよね……」
時刻は夜中。普通だったらもう眠っている時間だと思います。そこにいきなり電話を掛けたら相手は眠っていたところを起こされたと気分が悪くなるのは少し考えればわかることでした。
「……でも」
今のわたしはなぜかとても拓海くんの声が聴きたくて仕方がなかったのです。もし拓海くんの声を聴けたなら安心して眠ることができそうな気がしました。
「う~ん……」だからと言って電話をするまでの勇気はなくて、持ち上げたスマホを見つめながら唸ります。
どうしよう。やめようかな。やめたほうがいいよね。でもやっぱり……。
考えてるうちに意識を手元から少しだけ離してしまったせいか、手にしていたスマホを落としてしまいそうになります。
「わわっ!?」慌てて持ち直そうとしても間に合わず、ストンとわたしの胸のあたりに落っこちるスマホ。
急いで画面を確認すると一連の流れの中で通話ボタンを押してしまったらしく、呼び出し中の文字が画面に映し出されていました。
「あわわわ…!」
突然のことに思考が追い付かず電話を止めようかどうしようか一瞬悩んでしまいます。
かけてしまった以上途中で止めるべきじゃないかもしれない。でも、それでは拓海くんが眠っていた場合理由もなく起こしてしまうことになる。ここですぐに切ればその心配もなくなるし、次の日にちゃんと事情を説明すれば問題はないはず。
なんてことをこの僅かな時間で判断できるほどの余裕はわたしにはありませんでした。
とにかく急いで電話を切ろう。そう判断できたのはワンテンポ遅れてからでした。そして、そのワンテンポ遅れたばっかりに……
『—————もしもし?』
スマホの画面は通話中の文字に切り替わってしまいました。
『花寺?どうしたんだこんな遅くに?』
「た、拓海くん……!?あの、ごめんね……!間違ってかけちゃって……!」わたしは慌てて弁解しようとします。
『何かあったのか?大丈夫か?』
電話の向こうで拓海くんは少しだけ声色を変えます。こんな時間にわたしが電話したことはやっぱり何かあるんじゃないかと考えてしまうようです。
「ううん!本当にただ間違っちゃっただけで……!ごめんね!すぐ切るから……!」
そう言ってわたしは通話を切ってしまいました。
「あ……」さすがにまずいことをしたと思い、ハッとします。
いきなり電話をかけて、謝りながら突然切るような行為は相手からすればすごく気まずく、最悪不快感を覚えてしまうかもしれない。ましてやこんな遅い時間帯での事。拓海くんからしたら本当にいい迷惑行為だと思います。
「……はぁ……」思わずため息がでます。
数秒後、目の前のスマホの画面が呼び出されている画面を表示して着信音を鳴らしました。相手は拓海くんでした。
わたしは慌てて通話ボタンを押しました。
「拓海…くん……?」怒られるかもしれない。嫌われたかもしれない。そんな感情を抑えきれない声で向こう側に話しかけます。
だけど拓海くんの声色はすごく優しいものでした。
『もしかして眠れないのか?』
「え……」
『怖い夢でも見たとか?それとも昼間に昼寝しすぎたとか?』
「怒らないの…?こんな時間に電話したのに…いきなり切ったのに……?」
質問されてるのに質問で返してしまいます。それぐらい、拓海くんの声は優しかったのです。
『びっくりはしたな』
「うっ…ごめんなさい……」
『でも気にしてない。それよりもこんな時間に花寺が電話してくるなんて珍しいからそっちのほうが気になる』
「それは……」
単純に眠れなくて、単純に拓海くんの声を聴きたかったから。なんて言えるわけもなくて、わたしが口ごもっていたら拓海くんは小さく笑いました。
『何もないならいいんだ。花寺に何かあったら大変だからな』
「寝てたよね?ごめんね、起こすような真似しちゃって……」
『いや、起きてたから大丈夫だ。今日はなんだか眠れなくてな。ベッドに入ってもなかなか寝れてなかったところなんだ』
「拓海くんも?」
意外な偶然に少しだけ驚きます。
『そういう日ってあるよな。なんとなく寝付けないの。……少し、話でもするか?』
「いいの?」
『お互い眠れない者同士。眠れるまでだけどな』
「……うん」拓海くんのお誘いにわたしは嬉しさのあまり胸が弾みます。そしてその高揚を抑えきれず、ちょっとだけ大胆になってしまいました。
「そしたら、テレビ電話にしてもいい?顔を見てお話できたらいいなって…」
ベッドの中に潜り、思い切って言ってしまう。
『まぁ…いいけど…』
小さな逡巡から拓海くんの了承を得て、わたしたちはそれぞれスマホの画面を操作してテレビ通話にモードを切り替えます。
『……よっ』
少し気恥ずかしさを見せる拓海くんの顔が画面に映し出されます。
画面全体はほの暗く、わずかに拓海くんの顔が判別できるのと、おそらく拓海くんもベッドに寝転がっている状態なのがわかりました。
当たり前だけどお互いにパジャマ姿なのを思い出して、ちょっとだけ恥ずかしくなったわたしは掛け布団をさらに深く羽織りながら画面に向き直ります。
「なんだか変な感じだね」
『そうかもな』
周りには誰もいない。部屋も真っ暗。一緒の空間にいるわけでもなく、ベッドの中でこうして画面越しに拓海くんを見るのは少しだけいつもとは違う、いうならば非日常のような雰囲気を感じます。
薄暗くてはっきりとはしないけど拓海くんの顔は少しだけ赤くなっているように見えました。きっとわたしもおんなじように赤くなってるんだと思います。
「こういう時はなに話せばいいのかな?」
『なんでも。今日あったことでも。昨日あったことでも。明日やろうと思ってることでも。花寺の話を聞かせてくれ』
「わたしの……。じゃあその後に拓海くんの今日あったこと、昨日あったこと、明日やろうと思ってること、聞いてもいい?」
『おう。いっぱいあるぞ』
「ふふっ、楽しみ」
それからわたしたちはたくさんお話をしました。わたしのことも。拓海くんのことも。お互いにあったこと、これからすること。周りのお友達についてもいっぱいいろんな話をしました。
いつしかわたしは夢中になって時間も忘れてずっと話をしていたら、画面の向こう側から小さな寝息が聞こえてくることに気が付きました。
「拓海くん?」返事は返ってきません。
画面を確認するとスマホを枕元に横向きで置いたであろうことがわかるように、横から見た拓海くんの寝顔がありました。瞼を閉じてゆっくりと呼吸をしながら静かに眠っていて、どうやらわたしが話に熱中しているあいだに眠気が来てそのまま意識が落ちてしまったみたいです。
「…………」
目の前にある拓海くんの寝顔を思わず見つめてしまいます。ちょうどこちらに体を向けて眠っているおかげで拓海くんの顔がよく見えます。
どれだけそうしていたでしょうか。できることならずっと見ていたいと思いながらいると、
「……ふわぁ…」と、わたしにも眠気が訪れたあくびの合図が現れました。
少し惜しいけれど今日のこの素敵な時間に終わりの時が来たようです。
「…………」
わたしはスマホ画面の通話終了ボタンに指をかけます。けれど指は途中で止まり、じっくり考えた後。わたしは両手でスマホを包み込むように握りしめました。
今日はこのまま、あなたの寝顔の隣で眠りたい。そう思ってしまったのです。
「今日はありがとう。おやすみなさい、拓海くん」
スマホ画面に映る向こう側の拓海くんの顔を抱きしめるように、どこまでも愛おしく思えるその寝顔に寄り添うようにわたしも深い眠りにつくのでした。