ぬくもり。 #和泉元エイミ
ある日のミレニアムの中庭で。
「前から思ってたんだけど……エイミ、あなた流石に肌を晒しすぎよ。もう少し露出を控えるべきなんじゃないかしら?」
たまたま出くわしたユウカに、そんな言葉を掛けられた。
……まただ。
この手のお小言をユウカから貰うのは初めてじゃない。
やれ肌を隠せだの、やれもう少し自分の格好が周りからどう見られるかを意識しろだの……特に、先生と一緒にいる時には煩わしいくらいに。
ユウカのことは嫌いじゃないけど、こういうお節介なところは少しだけ苦手。
「そりゃあ、あなたの体質的な問題だってことは知ってるけど……だからって何も好き好んでそんな痴女じみた格好をしなくたっていいじゃない。ミレニアムの技術があれば露出を抑えつつ放熱性を高めた衣服だって作れるはずだし、何なら私からエンジニア部にでも掛け合って……」
「いいよ別に。ただ服を脱げば解決する程度の問題に、わざわざ余計なコストをかけるのは非効率だと思うから」
「い、いや、そういう問題じゃなくて……その、そんな薄着だと色々、面倒事にも巻き込まれやすいだろうし……」
どこか歯切れが悪いユウカの口ぶり。
なんだかいつものユウカらしくなくて、私は少し疑問符を浮かべる。とにかく、私にユウカの提案を呑む気はない。
「……? 私は面倒だと思ったことないけど。そもそも、薄着することで巻き込まれる面倒事って、いったいどんな……」
……口にしてから、すぐに「しまった」って思った。
「……それは」
案の定、ユウカの顔がたちどころに曇る。……私のミスだ。
ユウカが言葉に詰まったのは、答えに窮しているからじゃない。むしろその逆。
……誰よりも、その"面倒事"を理解しているから。それを経験して、身に染みて理解させられちゃったから。
「……えっと、ごめん」
「ううん、私の方こそ、ごめん。無理強いすることじゃなかったわよね」
私でも分かるような作り笑い。胸の奥が、ずきずきと痛む。
私には、同年代の一般的な女の子が好むような趣味や話題が分からない。そのせいで友達との価値観のズレを感じたことだってある。
でも……今この時ほど、そんな自分の無神経さに怒りを覚えたことは無かった。
──"あの日"。
表沙汰に出来ない、それでも絶対に無かったことにはできない、ユウカの身に降りかかった理不尽。
……あの事件以来、ミレニアムの生徒たちの間でその話題は一種の禁句になっていた。
誰もが知っていて、だけど誰もあえて口には出さない。それでもどうしても触れなければいけない時は、単に"あの日"とだけ口にする。それだけで通じる。通じてしまう。
"あの日"、私たち特異現象捜査部は、ユウカのためにほとんど何もできなかった。
事件が起こった日、私と部長はデカグラマトンの調査のために数日ほど自治区を離れていた。……ミレニアムに戻ってきて、事件のことを知った時には何もかもが終わった後。全てが後の祭りだった。
……もしも部長や私がミレニアムにいたら、もしかしたら事件そのものを未然に防げていたかもしれないのに。
このミレニアムで……ううん、キヴォトスで普通に学生をやっているなら「性」というものを意識することは存外に少ない。
なにせ周りはみんな女の子ばっかりだし、日常的に触れ合う異性なんてそれこそ先生くらいだから。
もちろん、女の子が異性の前で素肌を晒すことがどういう意味を持つのかくらい、私だって知識としては知っている。……でも、それが具体的にどんな結果を招くのかを実感したことなんて、今まで無かったんだ。
"あの日"──その解(こたえ)が、最悪の形で私の目の前に示されるまでは。
「ユウカ、その」
「……ごめん。過敏になってるのは分かってる。でも、心配なの。エイミまで私みたいな目に遭ったら、って……ただのお節介。ごめんね、エイミ」
"あの日"から、ユウカは人前で素肌を晒さなくなった。私だったら暑くてすぐ脱いじゃいそうな厚手のタイツに、丈の長くなったスカート。傍目には分からないけど、たぶん制服の中のインナーの枚数も増えてる。
私とは真逆。真冬でもないのに凍えているみたい。寒がりといえば部長もだけど、それとも違う。極度のストレスに起因する自律神経の異常。──"あの日"から、寒気が止まらないってユウカは言ってた。
衣服の本質は防具だ。布面積を減らせば防御力は下がり、この世界に蔓延る悪意に容易く侵されてしまう。だから、身を守るために着込む。当たり前の理屈だった。
"あの日"から、ユウカは謝ることが増えた。なんてことない会話の中でも「ごめんね」って言葉を口にすることが多くなった
ユウカの口からその言葉を聞くたびに、どうしてだか私の方が悲しくなる。だって、ユウカは何も悪くないのに、まるでユウカが今の自分の不幸を「罰」だなんて思ってるような気がして。……もどかしかった。
どうしてユウカがこんな目に遭わなきゃいけなかったんだろう。私みたいな理屈一辺倒の頭でっかちじゃない、普通の女の子が。優しくて人間臭くて、体重がちょっと増えた減ったで一喜一憂していたような、私たちの大切な先輩が。
……悔しかった。ユウカにそんな理不尽を強いるこの世界が。ユウカのために何もできなかった自分たちが。
「ユウカ……困ってることがあったら、いつでも言ってね。私やヒマリ部長にできることなら何でも力になるから」
遅すぎる提案だって自分でも思う。ユウカが一番助けが必要だった時に何もできなかったくせに。償いにすらならないって分かってるはずなのに。
「ありがとう。でも、エイミのその気持ちだけで十分よ。私は大丈夫だから。……時間を取らせてごめんね。もう行かなきゃ」
硝子細工みたいな笑顔でそう口にして、そのままユウカは立ち去ろうとする。私は咄嗟に口を開こうとして……言葉が出なかった。
……だって。ユウカの痛みを想像することさえできなかった私が、今のユウカに、どんな言葉を掛ける資格があるって言うんだろう?
離れていくユウカの背中を、ただ見つめていた。
焦り。このままユウカを行かせちゃったら、二度とユウカの傍にいられないような気がして。非合理的な感情だって分かってるけど、それでも無視はできなかった。
言葉は、まだ見つからない。どうしよう。私は、どうしたらいいんだろう。
……先生だったら、どうするかな。
今のユウカに、先生ならどんな言葉を掛けて慰めてあげるのかな。
先生だったら、きっと……
「……ユウカ」
……うん。そうだよね。先生だったら迷わない。どんな小さな傷だって見て見ぬふりはしない。
時には理屈よりも、自分の素直な気持ちに従ったほうがいいこともある。私は先生からそう教わったから。
「どうしたのエイミ……きゃっ!?」
だから、言葉はいらない。私が今一番やりたいことをすればいいって、先生だったらそう言ってくれる。
離れていくユウカに追いすがって……その背後から、思いっきり抱き竦める。
「……え、エイミ?」
「ユウカの嘘つき。大丈夫だなんて言って……こんなに冷たくて、震えてる。寒くて、辛いんだったら、素直にそう言えばいいのに。でなきゃ……私たちもユウカのことを助けられないよ」
狼狽えるユウカだけど、離してなんかあげない。触れ合う素肌を通じてユウカの体温が、震えが、伝わってくる。体を密着させただけで心まで通じ合えるだなんて思わないけど。それでも。
「……あったかい」
ぽろりと、ユウカの口からそんな呟きが漏れる。きっと無意識の言葉だったのだろう。
……際限なく熱を溜め込んで、冷却もままならないこの体質を恨めしく思ったこともあった。でも、今だけは感謝したい。
こうやって……ほんの少しでも、あなたの心を暖めてあげられるのなら。
「何度でも言うよ。私は、私たちは、ユウカの味方だから」
……どんな関係、なんて聞かれたら。
きっと友達未満。ただの先輩と後輩の間柄でしかない。ノア先輩やゲーム開発部の子たちと比べたら、付き合いだってずっと浅いだろう。
だけど、それがどうした。
ただの先輩と後輩。私にとって大切な先輩。それだけで十分。大切な人のために何かしてあげたいって思うことの何が悪い。
結局……私には、こんなことしかできないけれど。
あなたの心は分からないし、あなたの傷を癒してはあげられない。
それでも、こうやってただ寄り添うことが、あなたにとっての温もりになるなら。
非効率でも。気休めにしかならなかったとしても。
きっと、それが最善手。
「……ありがとうね、エイミ」
そっと、手を握り返される。
背中越し。ちょっとだけ見えたユウカの横顔は……気のせいかもしれないけど、さっきまでより少しだけ憑き物が落ちたように見えて。
今度こそ……ほんの少しでも、あなたの助けになれたのかな。
ねえ、ユウカ。知ってる?
私は、私たちは。
いつだって、あなたのそばにいるよ。