不快な言葉

不快な言葉


「にょいっす!」


 このクソみたいな言葉をよく聞く様になったのは、何時の事だったか。恐らくはクオンツ族を滅ぼした少し後くらいからだ。

 俺──ドレッドノート──は舌打ちしながらそんな事を考える。

 ハイバニア殿による指揮の元、帝国軍人である俺はクオンツ族の里に侵攻し、手練れの戦士であるコハクを苦戦の末に殺した。彼女は育ての親を殺した敵だったが……殺した時の喜びよりもむしろ、虚しさが勝った。まあ、復讐なんてそんなモノなのだろう。

 俺は虚しさを胸に抱えつつも、部下と共に残りのクオンツ族も皆殺しにした。クオンツ族は人間とほぼ見た目が変わらないが、彼らは帝国に対し種族ぐるみでテロ行為を働いていた過去がある。なのでしょうがない。

 テロに関係のない子供世代は可哀想だと思うが……それで情けをかければ今度は俺が謀反人として殺される。我ながら調子のいい自己正当化だと思うが、そういう『逃げ』のできないマトモな人間は皆とっくに軍を辞めている。


「にょいっす! にょいっす! にょいっす!」


 夜の帝都。最新式の魔導灯に照らされた石畳の大通り、その脇に例の言葉を叫びながら転がっている男がいた。濁った瞳、剝がれた爪、荒れ放題の髪、ヒトから人らしさを全て奪い去ればああなるのだろう。

 今この場にほとんど人はいない。その僅かにいる人たちも、その男を見ようとしない。見ない様に努力している。


「にょにょにょ! にょいっす!」


 異様な言葉を叫ぶ男と、それに関わろうとしない周囲の人間……ここ最近の帝国で半ば日常となった光景だ。

 俺は男から顔を逸らし────「助けて……っす!」

 喉から声を絞り出し、男が俺に向かって手を伸ばす。


「お前……」


 よく見てみればその男は俺の元部下だった。名前はサイキィだったか。

 少々品性にかけるきらいはあったが、実力に関しては中々見どころのある奴であった。クオンツ族討伐の後に失踪していたので何事かと思っていたが……そうか、こんな事になっていたのか。

 10秒か20秒か、いずれにせよ長い逡巡の後に俺はサイキィの手を取り、彼を立ち上がらせた。


「にょ……助けて! あの猫畜生の言葉が拡散して、固着して消えない!」

「猫畜生、ああ、お前はクオンツ族の事をそう呼んでいたな。しかし……猫畜生の言葉、か。一体何のことを言っているんだ?」

「あるけどない言葉! 終わりと始まりの境に記された禁句……米の章……いっす! 正気を蝕むあの言葉! 忌む目の同類! 静寂に耳を傾けちゃダメです! 目を閉じちゃダメです!」

「……なあ、本当に何を言って────」


 俺の言葉が不意に詰まる。

 サイキィの眼球がグリンと裏返り、倒れたのだ。

 彼の口からは『にょいっす』という言葉が壊れた蓄音魔道具のようにひたすら繰り返されている。俺は頭がどうにかなってしまいそうで、思わず吐いた。

 石畳の上で吐しゃ物が跳ね、流れ、不愉快な匂いと共に模様を描く。その模様は『にょいっす』という文字列に見えなくもなかった。



「……っす」


 気が付くと俺は自分の部屋にいた。壁掛け時計が義務的に針の音を刻んでいる。

 普段はどうとも思わない自分の部屋。しかし今だけはどうにも薄暗く感じられた。一瞬、魔道具店に行って照明を買い足してこようとも思ったが、今は深夜だ。どこも開いてはいまい。

 俺は深くため息をついて椅子に腰掛け、鼻歌を歌う。少し前に帝都で流行った曲。どこぞの貴族が好んだというだけで流行った、笑ってしまう程にチープな曲。今はそんなチープさが欲しい。


「にょ…………にょい……っす……にょいっす」


 耳元で響いて離れない、この音を搔き消す為に。


 瞬きをする度に浮かび上がってくる、この不快な絵を遠ざけるために。


「にょ~いっす!」


 鼻歌を歌う。鼻歌に『にょ』という音が混じる。気がつけば『にょいっす』と口ずさんでいた。

 壁掛け時計はいつの間にか動きを止め、三本の針はそれぞれ『にょ』『いっ』『す』の三文字を指差していた。部屋の照明が不意に落ちる。


「にょいっす! にょいっす!」


 あのふざけた言葉と共に、赤髪のクオンツ族が闇の中に浮かび上がる。光もないのにクッキリと。


「オイラはクオンツ族の怨霊っす! クオンツ族を滅ぼした憎き帝国へ復讐しにきたっす!」

「……そうか、そうか」


 その言葉を聞いた時、俺はある種の安堵を覚えた。人が真に恐れるのは未知である。仮にそれが対処不可能なモノであったとしても、既知になってしまえば恐怖は減じるモノだ。


「なあどうすか? 滅ぼしたはずの存在に蝕まれる気持ちは!」怨霊は道化師のようにクルクル回る。

「ああそうだな、怖いな。それでお前の名前……いや、生前の名前は何だったんだ?」


 自慢じゃないが、俺は帝国でも有数の戦士だ。こういった霊的存在を討伐したことは何度かある。

 アイツらを倒す最初のステップは『名を知る』事。

 クオンツ族を滅ぼしたのは比較的最近の事なので、怨霊としての経験もそう長くはあるまい。名を隠す知恵はないだろう。

 ……しかしあの姿、どうにも引っかかる。具体的にこう、とは言えないが。


「オイラは『ジャスパー』! 殺した相手の名くらいは覚えてて欲しかったっす!」

「そうか、ジャスパーか。今度は忘れないようにしておく。ではまた」


 俺はそれだけ言うと席を立ち、身支度を始める。

 帝国を襲う異変の正体が解った以上、今すぐにでも上告せねば。今は深夜だがそんなことは些末な────


「……待て、ジャスパーだと?」


 部屋を出ようとドアノブに手を掛けた瞬間。先程まで抱いていた違和感が明確な像を結ぶ。


「俺はクオンツ族を滅ぼすにあたり討ち漏らしが無いよう、彼らの名前と顔を全て把握していたんだが……その中にジャスパーなんてのはいなかった」

「……」

「そもそもお前のような顔をした赤髪のクオンツ族も居なかったはずだ。お前は…………なんだ?」


 ドアノブに手を掛けたままそう聞くと、ジャスパー────否、正体不明のナニカはニンマリと笑みを浮かべ、どこかへ消えた。

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