なんちゃって後宮パロ2

なんちゃって後宮パロ2


「ここに水を置いておきます」

「ありがとう、ございます。もう今日は、昼ごはんも、夕ごはんも大丈夫、です。すみませんが一人に……してください」

「かしこまりました」

扉の奥に侍女が消える。

仮病を使ってはいないが、罪悪感はある。しかし、一人にして欲しかったのは事実だ。

昨日の夜は泣きながら窓辺でそのまま眠っていたようだ。そして朝日で目が覚め、また彼が残していった紙を見て布団に入り、枕を濡らしていた。

部屋の窓を閉めると、昼間だが、存外暗い。布団にくるまると、真っ暗になったが、今はその方がよかった。

一晩経つと、彼になんてことを言ってしまったのだろう、という後悔しか浮かんでこない。頭が整理されると、余計にそう思うのだ。また喉から、ひっくひっくと嗚咽が漏れ始めた。

昨日の夜、彼が言ったことは何一つ間違っていない。

私は、彼に図星をつかれて、八つ当たりをしたに過ぎないのだ。

「ぅ、う……、エラン、さん……」


本当は、気付いていた。

国も母も、私に期待などしていないと。私は捨てられたのだと。

私は、皇后になるように言われた。しかし、エランの言う通り、エランを殺せとも命じられていた。直接そう言われた訳では無い。国を発つ際に、母に毒を持たされたのだ。この国でも採れる植物から作られた毒。おかげで容易に持ち込むことが出来た。この国では毒として今は使われていないが、母国が開発した方法により、毒として作用するものを。持ち込んだ際は、お茶か香り袋の類いだとでも思われたのだろう。

いっその事、今自分が飲んでやろうかと思ってしまう。

だって、私は彼に謝ることも出来ない。皇帝にこちらから出向くことは出来ない。ただ、待つしか出来ないのだ。これほどまで彼の立場と、自分の立場を恨んだことは無い。

后など、本当はどうでもいい。だから、彼に謝らせて欲しい。もう一度、会わせてほしい。


エランを殺せば、おそらく国は滅びる。滅ばずとも、弱体化は免れないだろう。この国の権力は、現在エランに集中していると学んだのだ。エランを殺せということはつまり、この地でエランと共に死ねということだ。もし毒殺がばれたらもちろん処刑される。しかし毒殺が露呈せずとも皇帝が死ねば国は傾いて、私はどうなるか分からない。他の人がこの国の皇帝になっても、前皇帝の女に次は無いだろう。変なところに飛ばされればマシな方で、最悪適当に殺されるかもしれない。ペイルとは、そういう歴史の国だったのだ。もしエランとの間に子どもができ、皇后となれば、皇后の母国だということで母国への扱いが少し良くなるかもしれない。

エランを殺して国を滅ぼすか、皇后となって母国を支援させるか。

スレッタがどう転ぼうが、敵国である辰星には利益しかない。どちらも成せないまま後宮で私が人生を終えても、国に損失は無い。何故なら、姉がいるから。

国の後継者として、姉は母からの愛も、国民からの期待も受け取っていた。

気付いていた。

国を発つ時の声は応援なんかじゃない。厄介者を追い払えたとよろこぶ声だと。

「やっとアイツが国の役に立つ時が来たな。辰星との和平の為に女を寄越せなんて、胡散臭いったら。ペイルが平和を望むなんて有り得ない。何が目的なんだか」「役立たずの姫だったが、本当にちょうど良かったな。エリクト様があの国に行くはめにならずにすんで良かった」

ぐわんぐわんと声が頭に響く。母は、私のことを全く愛していなかった訳ではない。ただ、姉の次に、ということは間違いがなかった。だから、悲しみつつもこの国に私を送り出したのだ。最後まで後宮行きに反対してくれたのは、その姉だけだった。

嬉しかった。

惨めだった。

姉を好きな気持ちと、よりにもよって、私の欲しかったものを持っている、母と皆に一番に愛された姉が反対するなと、怒りたくなるようなやるせない気持ちがあった。だから、笑顔で任せて、と必死に見栄を張って、私はここに来ると決めたのだった。

国からも、母からも見捨てられ、初めて好きになったエランを愚かにも自分から突き放してしまった。

これからどう生きればよいか、分からない。やり直せるなら、やり直したい。謝れるなら謝りたい。

もう、エランを好きになる前の、空っぽなやる気を持った自分には戻れない。捨てられた事実とエランに嫌われた事実に、耐えられそうに無い。

エランは、ほかの宮にもたまに通っていると聞く。本当はすごく嫌だった。ここには来なくなって、ほかの女の人のところに行って……子供を作って……私なんか忘れるのかな。

嫌だ。嫌だ。いやだ。


頭の中が、毒で満たされる。


とんとんとん、と扉を叩く音が聞こえた。今日は放っておいてほしいと言ったのに、と思ったところで、もう夜になっていることに気付いた。この時間では、侍女も自分の部屋に戻っているだろう。

そうしたら、今、そこにいるのは──

布団をほとんど蹴るようにして、飛び出た。心臓がばくばくと音を立てていて、痛い。裸足で扉に駆け寄り、勢いよく開ける。


エランが、いた。

「エランさん……っ」

考える前に、彼の胸元にすがりついて顔を押し付ける。腕を背に回して、もう二度とここから行かないでほしいと勝手に願うように、きつくきつく抱きしめた。

「……スレッタ」

じわりと、涙が滲む。エランの声だ。もう、一生そばで聞くことはできないと思っていた、彼の声だ。

私の背に、そっと腕が回される。きつくはないけれど、どこまでも優しくて、安心して、胸がいっぱいになった。

「スレッタ。少し……離れて」

「嫌です!いや、いや……エランさん、どこにも、行かないで……。謝りたかったんです。ずっと、だから……だから……」

「君と話がしたくて来たんだ。どこにも行かないよ。あそこに行って話そう、スレッタ。だから、ね」

恐る恐る顔を上げると、眉を下げて少し困ったような、けれど唇の端を少し上げ、私を慈しむような瞳に、また胸が締め付けられた。

「わっ、え……!」

そのまま動かなかった私にやきもきしたのか、エランはがばりと私を抱き上げて、窓辺の方に歩き出した。すとんと床に下ろし、私を膝の中に入れたまま、彼が口を開いた。白い着物から、彼の脚が覗いている。

「正面から君と話すつもりだったけど……、この方がいい?」

「はい……」

「スレッタ。昨日は本当に、すまなかった。君を侮辱するようなことを言って、ごめん」

すぐ後ろのエランを振り返る。

「違います!エランさんは、何も悪くない、です!私が、エランさんに当たっただけで……本当に、ごめんなさい」

身体を回し、もう一度エランにすがりついた。首に腕を回して、ぎゅっと身体を押し付ける。すっぽりとエランに収まって、こんな時なのに心地が良いと感じてしまう。今度はエランに強く抱きしめられ、心臓が熱を持った。

「昨日……エランさんが言ったこと、ぜんぶ本当です。何も間違ってないです。お母さんたちに捨てられたの、認めたくない自分がいて、捨てられたなんて、かっこ悪い私を見ないでほしくて……あなたに、八つ当たりしてしまったんです。本当に、ごめんなさい。エランさん、来てくれて、ありがとう……謝れないと、思ってました。もう二度と、会えないかもしれない、って、思って……」

「今日は、もっとちゃんと謝ろうと思って来たんだ。ごめん、もっと早く来るべきだったのに、遅くなってしまって……言い訳だけれど、仕事があったから」

「もう、来てくれただけで嬉しいです。遅いなんて、だいじょぶ、です」

「でも君を、泣かせてしまった。どうお詫びすればいい?」

「お詫びなんて、」

ぐ〜〜〜。

間抜けな音が響く。バッとお腹を手で押さえるがもう遅かった。しっかり聞かれているはずだ。今度は羞恥で涙が出てきた。安心したせいで、空腹を思い出したのだろう。

「ちょっと待ってて」

エランが立ち上がり、熱が離れていってしまった。扉の方に向かうと、床に置いてある風呂敷を取って戻ってくる。多分、私が抱きついたせいで、手に持っていたのを下ろしたのだろう。私の隣に座り直して、風呂敷を解き、黒い箱を開けるとそこには色々なお菓子が入っていた。箱は数段あるから、かなりの量がありそうだ。初めての夜と同じように、お茶もいれてくれた。

「これ、どうぞ。物で機嫌を取ってしまって悪いけど……、やっぱり君に喜んでほしくて」

「ありがとう、ございます。いただきます」

ぱく、と口に含むと、やはり甘くて美味しかった。食べながら、ぽろぽろと涙が出てくる。

「おいしい、です」

「よかった」

声がどこまでもどこまでも優しくて、余計に涙が止まらない。

「ぅう〜〜……、エランさん、ほんとに、ごめんなさい……」

「君は謝らなくていいのに。ごめんね……でも、君がそこまで言うなら、おあいこにしよう」

「はい……」

エランを見上げると、本当にすぐ近くに顔があって、心臓から口が飛び出そうになった。あやうく誤飲しそうになっていると、肩をもっと近づけられたので、途端にまた前のように浮かれた心臓が騒ぎ出している。そういえば、と、先程夢中でエランに抱きついたことを思い出し、ぎゅうう、と目をつむった。

胸、厚くて広かった。脚で挟まれて、耳元で名を呼ばれて、抱きしめてくれて、あ、脚でお尻を引き寄せられたの、なんかドキドキして……。

慌ててお茶を飲む。思い出すとまた恥ずかしくなるから考えないようにしようと、目の前の甘い菓子を口に押し込んだ。うん、美味しい。

「ねえ、もう一度、君を抱きしめてもいい?」

ごくん!と大きめの欠片を飲み込んで、むせそうになった。

「だ、だき……め、あ、や、そのっ」

「いや?」

「嫌なわけないです!けど、……あぁっ」

そこで自分の惨状に気付いた。薄い着物の前ははだけ、下着が見えかかっており、髪はボサボサ、化粧なんてしているはずもなく。こんな状態で抱き合っていたと思うと、羞恥心と落胆で頭がぐちゃぐちゃになった。

けれど、エランから抱きしめられる好機を逃したくない。

「ちょ、ちょっとだけ、待ってください!」

後ろを向き、とりあえず着物を着直す。櫛を取ってきて、鏡の前で必死に梳いた。布団を被っていたせいか絡まりに絡まっている。化粧は断念し、もう一度全身を鏡で見たあと、エランのいるところに駆け寄った。

「おお、お願い、しますっ」

両手を広げ、目を固くつむると、肩と腰に腕がすぐに回された。叫び出したい気持ちを抑え、思い切り息を吸って、堪能する。

あったかい。いいにおい。もっとつよく……とすぐに頭が働かなくなっていると、耳元で名を呼ばれ、全身がカッと熱くなった。

「スレッタはかわいいね。かわいい」

「は……ひぇ、えら、さ……」

「さっき、慌てて準備していたの……すごく、かわいくて……」

がくん、と膝から力が抜ける。そのまま崩れ落ちそうになる私を、エランが支えてくれたが、余計に足に力は入らないままだった。

「大丈夫?」

「だ、だいじょぶ、です……」

嘘だ。大好きな彼の声が近い上に、かわいいなんて言われて、頭が茹だりそうなのだ。

前と同じように、抱きしめたまま彼が床に座る。

「ねえ」

まままま待って、このまま話すんですか!?さっきは必死だったからよかったけど、今は、いまは、このまま耳元で話されると、有り得ないくらい心臓がうるさくて、これ大丈夫かな死なないかな?ってもう一人の自分が心配しているくらいには、だめです……。

「僕は……君がそばに居てくれるだけで、嬉しいと思うよ」

「え……」

エランの言葉だけはしっかり聞こえて、またその言葉に頭が支配される。

「僕のことを知りたい、と言ったよね」

「はい……」

「僕は、記憶が無い。だから、この国も、自分のこともどうでもいいと思っていた。皇帝が君の用意した菓子を、護衛も付けずに食べるのは、本来は有り得ない。でも僕は、どうでもいいから食べていた。君に殺されても、多分、何とも思わなかった。最初は」

確かに、彼は躊躇無く食べていた。嬉しいと思う気持ちが先行して、不自然さに気付かなかった。

「僕はね、影武者なんだよ。皇帝ではない」

「かげむしゃ……?」

「そう。がっかりした?」

「がっかり、とかは無い、ですけど。びっくりしてます。あっ、いや、私にそんな事を言って大丈夫なんですか?」

記憶が無いことや影武者を雇っていることなど、機密中の機密であることはなんとなくだが、分かる。

私を信用して告白したのでは無いことがなんとなく伝わって、それだけは寂しかった。

「別に。もし君が他人に言ったとしても、裏で僕が処分されるだけだから。本物が前に出てくるだけ。……あぁ、でも、皇帝に関わる戯言を広めたとして君が罰されてしまうのは、本意では無い。やっぱり、このことは黙っていて」

本当に彼は、自分のことがどうでもよいのだ。心の底にしみついた諦念がある。

「黙って、ます。でもそれは、私が罰されるからじゃなくて、あなたに死んでほしくないからです。わ、私!エランさんのことが、好きです……お慕い申して、おります。だから……私があなたのそばにいるので、自分をそんな風に、扱わないでください……」

ぐっ、と彼の背を引き寄せて抱きしめる。エランの心臓に熱を伝えるように、胸を押し当てた。

「私……国の役に立ちたいとか、お后になりたいとかじゃなくて……エランさんとただ、む、結ばれたいです……。だから……また、ここに、誰にも内緒で、きき、来て、くれませんか……?」

言った。言ってしまった。けど、後悔はしていない。あなたのことを大切に思う人はいるのだと分かってほしい。でも、隣にいるのは私がいい。私が彼を大切にしたい。

「スレッタ」

「はい……」

少し、腕が震えていた。エランが腕をさすってくれて、それに気がついた。

「僕も、君が好きだよ」

「え……ほ、本当、ですか……?」

本当。そう言って彼は、私の唇に、自身のそれを押し当てた。柔らかい。ぬるいのが、余計に生々しく感じて、むしろ熱が一瞬で集まった。

反射で逃げそうになった腰をぐっと引き寄せられる。少しして離れると、もう一度口付けられた。今度は下唇を挟んだり、舐めたりと、深いものに変わる。息の仕方がわからず、口を開けようとすると、舌が入り込んできた。上顎をなぞられて、背中からぞくぞくとした感覚に襲われる。彼の手は、いつの間にか太腿にあった。するすると撫でられて、腹の下が疼く。

「んっ、ふ……、あ……」

ちゅ、と聞こえたあと、着物の中に彼が手を突っ込んでいるのが見えて、驚いて後ろに倒れた。

「ま、まま待って、くださいっ!」

「……っごめん。性急過ぎたよね」

「違います!う、嬉しいです!エランさんにされることはぜんぶ嬉しいです、けど……今、髪はボサボサだし、お化粧もしてないし、こんな格好、本当はエランさんに見られたくなかったから……」

「君はかわいいよ。そうやって悩んでいるところも。だから、じゅうぶんなのに」

もう。彼はいつもいつも嬉しいことばかり言ってくれるけれど、これは譲れない。

「こ、今度の、もっとちゃんとした時の私を……み、見てほしいです。エランさんのために、かわいく、するので……」

「じゃあ、僕は楽しみにしてる、というのが正解?」

「はいっ」

「わかった。今日は……我慢するよ」

「がま、……っ!?」

エランの顔を見ていられず、思い切り首を回して視線を逸らす。

けれど、顎を存外強い力で掴まれ、無理やり視線を合わせられた。情けない声が喉から出ている。

「でもこれは、いいでしょう?」

返事を聞かずにエランは唇を押し当て、舐めて、吸って。食べられているみたいだと思った。

「ぁ、ん……エランさ、だめ、ですよぉ……」

頼りない帯が解かれようとしたところを必死に押しとどめた。少し眉を寄せて、拗ねたような彼の表情にどきりとしながら互いに唇を擦り合わせる。

その夜は、ずっとずっと、口付けをかわしあっていた。


むくり、と寝台から起き上がる。そしてすぐに、脳が昨夜のエランの姿を作り上げるものだから、ぼふんっと前に倒れて顔を布団に押し付けた。叫びたい気持ちそのままに、布団に呻き声とか叫び声を飲み込ませる。

半分喰われかけた。

そんな表現が正しい程いやらしい口付けをされた。唾液で口の周りがべとべとになって、はあはあと息を荒げて、着物もはだけまくって、肌をまさぐられて、身体にも唇を落とされた。なんとか、最後の最後の理性と乙女心とを振り絞り、エランから離れたのだ。何度最後までしたい、すべて委ねたいと思ったか分からない。

エランが、まさかあんなに……。だって、初めて会った日は、本当に興味が無さそうだったのに。何か、彼の心の中の取ってはいけないものを取ってしまったというか、ほどいてしまったような、そんな気がしている。

「ん゙〜〜〜〜!!!」

「おはようございます。今日は元気なのですね。ちょっと本当に心配になってきました」

確かに、侍女からすれば情緒不安定もいいところだ。彼女すらエランが来ていることは知らない。ひとりで死ぬほど落ち込んで、今度はひとりでじたばたと悶えているように見えている。彼はこっそり動いたり、気配を隠したりするのが上手いのだなぁ、と他のことで気を紛らわせた。

「気にしないで、ください……今日はしっかり、三食いただきます……」

「ええ。毎日そうされてください」

侍女は、最初こそこちらを見下しているのだと思っていたが、口うるさい世話焼きという印象に今は落ち着いている。思い返せば、悪口などではなく、物言いはきついがこちらを心配しているものばかりだったのだ。

彼女の作るご飯は美味しいし、湯浴みの手伝いも、丁寧だ。

湯浴み。

今日は、念入りにせねばならない。だって彼が来る。お茶を飲むためではない。本来の、意味で。

せっかくの朝ごはんの味が分からなくなった。もう開き直って、侍女に声をかける。このままでは今日一日中、悶々と過ごすことになる。

「今日、特別丁寧にお風呂を手伝ってほしいです!」

「構いませんが……」

「エランさ……陛下が来る気がするので!今日は!」

「……はい、そうですね」

また可哀想な者を見る目で見られた。

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