どーなつの輪・前
~どーなつの輪・1~
「ようこそ先生。……あの時以来ね。こうして先生と、二人っきりでの『お茶会』なんて」
“そうだね。なんだか、元気がないように見えるけれど”
「……そうね。あの後、『ホール』のことで葬長に怒られちゃって。あんなやり方は根本的な解決にならないって。
確かにそうかもしれない。だけど、他のやり方なんて、私には思いつかなかったから」
「先生は、あれからずっと、葬長と『ホール』に足を運んでいるのよね。あそこに収容されている子達の一人一人に、少しずつでも話しかけてるって」
“うん。ほんの少しでも、あの子達のことを知ってあげられたら……何かが変わる切っ掛けになるかもしれないから”
「……私は、無駄だと思うわ。言葉でどうにかなるような手合いなら、私だってあんな場所に閉じ込めたりしていない。
言っても聞かない悪い子には、真っ暗な押し入れに閉じ込めるくらいのお仕置きが必要なこともある。世の中には、話し合いだけじゃ解決しない問題だってあるのよ」
“それでも、あの子達だって私の生徒だから。
たとえ罪を犯したとしても、先生が生徒と分かり合うことを、放棄するわけにはいかないから”
「……そう。あくまで先生は、『全て』に手を差し伸べて、『全て』を救おうとするのね。
でも、それって虚しいことだと思わない?
このキヴォトスには何千もの学校があって、何十万という生徒がいる。どれだけ先生が超人でも、その一人一人に手を差し伸べるなんてできっこない。
だったら『全て』を望むより、自分の手が届く範囲の大切な人だけを守れたら十分。
楽園はただ、そこにだけあればいい。──そうは思わないの?」
“…………”
「ねえ、何とか言ってよ……先生。そんな目で、私を見ないでよ」
~どーなつの輪・2~
「……ッ、私だって!」
「私だって頑張った! みんなが笑顔になれる方法を、ずっと探してた!
私だって、おっとりしてて優しくて、ちょっと抜けてるところがあって、それでも肝心な時にはしっかり者で、みんなに頼られる優しい園長先生になりたかった!!
救えない子たちをどうにか助けたくって……でも、どうにもできなくって! こんな手段しか取れなくって……っ!」
「ねえ、教えてよ、先生……先生は大人なんだから、私なんかよりも、もっとたくさんのことを知ってるはずでしょう?
なのに先生はどうして、諦めないの。
どうしてそうまでして……『全て』を救うだなんて、虚しいことを……続けられるのよ」
“……たとえ、『全て』が虚しいことだったとしても”
“それは今日、最善を尽くさない理由にはならないから”
「……え」
“……私が生徒から教えてもらった言葉で、今では私の大好きな言葉だよ”
“先生が、いつだって生徒に教える側とは限らないよ。時には生徒から教わることだって、たくさんある”
“……いや。最近ではむしろ、生徒から教わることの方が多いかな”
“ここに来てからだって、たくさんの子達から、多くのことを教わってきた”
“生と死と……命との向き合い方を。部長や葬長、班長、隊長、墓守……MTR部のみんなから”
“もちろん、どーなつぐみのみんなや、園長にだって”
~どーなつの輪・3~
“ずっと、気になってたんだ。園長は……あの場所を『ドーナツホール』とは呼ばないんだね”
「……そうね。誰が最初に言い出したのかは知らないけど、悪趣味な名前よ。嫌になっちゃう」
「『みんなが手を取って、どーなつみたいに輪になって過ごせる、甘くて美味しくて幸せな場所』。
私は、あの子たちがこの場所につけてくれた『どーなつぐみ』って名前が大好き。だから、あんな奈落の底みたいな場所を、そんな名前で呼びたくなかった。
……笑っちゃうよね。どーなつぐみをこんな風にしたのは、私なのに」
「『MTR部の教義に反する違反者の対処はどーなつぐみに一任する』。会長からの言葉を言質に、私達は随分と無茶なことをやってきたわ。
異端者への粛清が暴力的な面を増していったのも、矯正不可能と判断した人達の『ホール』への収容も、みんな私の発案。
……そうしないと、この場所が壊れちゃうって思ったから」
「だから、先生。先生や葬長が何と言おうと、今のやり方全てをいきなり改めることはできないわ。
ああいうやり方でしか抑え込めない子だって、この部にはいるから」
“…………”
「でも、そうね……これからはもう、私の命令で誰かを『ホール』に送ることはない。
もしも先生や葬長が、今『ホール』にいる全ての子達を説得できたのなら、どーなつぐみも少しは……まともな組織に生まれ変われるだろうから。
その時は……私も、潔く身を引くつもり」
“園長、それは……”
「本当は、分かってたのよ。このMTR部で、本当にイカれてたのは私自身……誰よりも罰を受けるべきなのは自分なんだって。
……禁断の果実に手を出した罪人は、楽園を追われるのが定め。
全てが終わったら、私はどーなつぐみを……MTR部を辞めて、然るべき裁きを……」
ガシャーン!
「え……?」
“!”
「……どーなつ、ちゃん?」
~どーなつの輪・4~
「……園、長? ……今の話、本当? 園長が……どーなつぐみを、やめちゃうって……
ど、どうして? わ、私が……私達が、悪い子だから? 園長や、みんなに、いっぱい迷惑かけちゃったから?」
「どーなつちゃん。……違うの。どーなつちゃんも、みんなも、悪くなんてない。悪いのは全部、私で……」
「園長が、悪い? ど、どうしてそんなこと言うの……?
……あ! ひょっとして疲れてるの? き、きっと糖分が足りてないんだよ! ほら、いつもみたいにどーなつ食べよう?
そしたらきっと園長だって元気になるよ! 元気に、なる、から……っ!」ポロポロ…
「……ごめんね。どーなつちゃん。もう、決めたことなの。だって、これは私が負うべき、当然の報いで……」
「そんなのやだよ!」
「!」
「やだ……嫌だよ! 私……わたしっ、ずっと園長の役に立ちたくって、恩返しがしたくって……わたしにいっぱいいっぱい、たくさんのものをくれたのに……それなのに、どうして……!」
「……違う、よ。私は、どーなつちゃんが思ってるような、優しい人じゃない。自分の薄っぺらな自己満足のために、あなたたちを利用していただけ。
虚ろな楽園を守るために手を汚し続けて……後に引けなくなっただけの、ただの頭のイカれたエゴイスト。それが私。
だから、どーなつちゃんにそんな風に思ってもらえる資格なんて、私には……」
「わかってるよ!」
「どーなつ、ちゃん……?」
「私、園長のこと、ちゃんとわかってるよ! だって、ずっと見てきたんだもん!
園長が優しくて、強くて、いつもみんなのために頑張ってきてくれたこと、ちゃんと知ってる!
私達の前ではいつも笑顔で……私達に見えないところで、ずっと頑張って、一人で悩んで、苦しんでたことも……ちゃんと知ってるよ。
知ってたのに、私、ずっと何もしてあげられなくて……
私にできるのは、ずっと……みんなで甘いお菓子を食べて、どーなつぐみのみんなが、ちょっとでも明るく笑って過ごせるようにって。
ずっと、笑顔でいること、だけだったから……」
~どーなつの輪・5~
「私……園長のおかげで、おなかいっぱいになったよ。
園長があのときくれたどーなつ、すごくおいしかった。
どーなつぐみに入って、司祭ちゃんやアリウスちゃん、たくさんのみんなと友達になれた。
ミレニアムに入って、エンジニア部でいろんなことを学んで、自分のやりたいことも見つけられた。
葬長さんから、私の技術を、もっとたくさんの人の役に立てる方法も教えてもらって。
園長やみんなに、今まで私が貰ってきたものを、やっと返せるって思ったのに……
それなのに……わたし、まだ、何も返せてないのに!
……いなくなるなんて、やだよぉ……」
ギュウ…
「だから、やめるなんて、いわないで。園長がいなきゃ、わたし、なにもできないよ……
わたしたちのこと、みすてないで……もう、わたしを、ひとりぼっちにしないで……
えぐっ、うええ、えええええええぇっ!」
「……泣かないで、どーなつちゃん。ごめんね。……ごめんね」
~どーなつの輪・6~
「……ねえ、教えて先生。私は、どうすればいいの? どうすれば、この子たちに報いられるのかな……?」
“ごめん、園長。その質問には、私は答えられないよ”
「……どうして。あなたは大人で、先生でしょう? 先生なら、全ての答えを知っていて、私に教えてくれるって、そう思ってたのに」
“本当に、ごめんね。でも……”
“必ずしも、大人や先生の言うことが、正解なわけじゃないから”
“私は、独裁者じゃない。
自分の正しさを疑わず、絶対的な自信を持ち続けることはできない”
“私は、支配者じゃない。
生徒達の上に立って、望まないことを強制することはできない”
“私は、超人じゃない。
ありとあらゆる問題を、自分一人の力で解決することはできない”
“私は……君達より少しだけ長く生きて、少しだけ多くのことを経験してきただけの、ただの『大人』で”
“ただの、生徒達のための『先生』にしかなれないから”
“だから、先生として君達を導くことはできても、いつも正しい答えを示してあげることはできない”
“もしかしたら、私の出した答えの方が間違っていて、君達の出した答えの方が正しいのかもしれない”
“いつも大人には見えないものを見て、大人の知らない可能性を秘めている。子供はいつだって、そういう存在だから”
“一番大事なのは、君達が自分で考えて、選択した答えだから”
~どーなつの輪・7~
“だから私は、みんなと一緒に考えたい”
“園長が、みんなが、これからどうしたいのか。これからどうするべきなのか。
そして一緒に、より良い道を探していきたい”
“だから、私に教えてほしいんだ”
“……園長が、どうしたいって願っているのかを”
「せん、せい」
「……ねえ、先生。私……もう、ずっと長い間、自分がどうしたらいいか、分からくなってた……
それでもね、先生……」
「私……やっぱり、『みんな』を助けたいの」
「この世界で、悲しんでいる人を、苦しんでいる人を、放っておきたくないの」
「それが、できっこない夢だって。お菓子みたいに甘い幻想だって分かっていても、諦めたくない……」
「……だから」
「……わたしたちを、たすけて。先生」
“……任せて”