ときめきクライシス(仮)
校内に轟音が響く。
少年が校舎の壁をぶち破り、教室へと倒れこんでくる。崩れた向こう側に立っているのは食パンをくわえた少女だ。二人とも同じ様式の制服を着ており、恐らくはこの学校の生徒なのだろう。
しかし、二人以外には教室はおろか校舎の中に生徒は見当たらない。
「運命的ね、まさか同じクラスだったなんて。」
いかなる技か、食パンをくわえたまま少女が喋る。倒れたままの少年はその言葉に悔しそうに顔を歪めた。
「お前みたいな暴力女と同じクラスだなんて・・・。」
そこまで口に出して、しまった。と口元を押さえる。不慣れな新人故、定石中の定石に不用意に踏み込んでしまった。
この世界では計算をしつくしたものが勝つ。心を武器に心を攻める。
今の彼は世界チャンピオンの前で大振りのテレフォンパンチをしたに等しい。
「そんな風に言わないでよ、私だって・・・・。」
くわえていた食パンを後ろ手に隠し、もじもじと少女が視線を下に向ける。
まずい、と少年がようやく自分のしでかしたことへの恐怖から声をあげる。
「つぁ!つぁー!」
これは童貞語。女の子の姿をしたものに愛を囁けない童貞が苦心の末に生み出した独自言語である。とっさに口に出しやすいように進化した童貞語は速度という一点に置いては全てを上回る。「つぁ!」は「付き合ってください」の意味を持つオーソドックスな童貞語だ。数多の戦場で決め手となってきたそれは環境を選ぶことがない、初心者向けの武器だろう。しかし今、使い手が焦りからか必死に叫ぶその姿に愛はない。
心は一切、ときめかない。
そんな足掻きに止められる事なく、少女の台詞が続く。
「・・・女の子、なんだからね。」
食パンの少女が逸らしていた目をそっと少年へと向ける。少し涙で潤んだように見える瞳は罪悪感と共に少年の脳へある感情を刺激する。
甘い。
舌で感じるわけでもないのに甘いと表現されてきた感情がある。
人は、それを『ときめき』と呼ぶ。
ときめきが脳を満たす。
甘い、甘いときめきが、脳を満たし
電流が流れる。
「つぁああああああああ!」
電流に耐えきれず絶叫する少年。痛みから自分の体を抱きしめるようにうずくまった。
無様な姿を前に告げる。
「今どきスタート地点をいきなり街中にするなんて、ふざけた新人も居たもんだ。」
先ほどの女子力を全く感じさせないさばけた口調。倒れ伏した目が悔しさを隠さずに睨みつける。
食パンをもう一度くわえなおし、語りは続く。
「今は魚人フェイスからの水泳特化、海辺の田舎スタートから都会に出ていくギャップビルドが基本なんだよ。ウィキくらいしっかり読んでおくんだな、新人。」
「・・じゃな・・・」
「ん?何だ?」
電流が流れ続ける少年の姿は今やもうノイズが走るように輪郭が消えかかる描写に入っている。
「新人じゃなく、転校生と、呼ばれたかった・・・」
その言葉を最後についに姿が消える。
転校生にすらなれなかった男の悲しい最後だった。
「へへへ。朝飯前だったな。」
手段の悪辣さから新人食い(ブレイクファースト)の二つ名も持つ少女は楽しそうに笑う。そして、ふわりとスカートを翻し食パンをくわえたまま、少女は教室のドアを開き廊下へと出て行った。
後に残ったのは教室にぶち抜かれた穴だけ。
これはこの世界の残酷な真実だった。
フルダイブ式対人恋愛シミュレーションゲーム「ときめきクライシス」。
今なお歴史を残し続けるフルダイブゲームの金字塔。発売から数年経った今なお、フルダイブゲーム機本体と共におすすめされるゲームナンバーワンを維持し続けている。本来であれば一人用ゲームである恋愛シミュレーションゲームを、相手を恋に落とした方が勝者の対人ゲームへと昇華した斬新な進化。相手の弱みをつきあう巧みな心理戦は人々を虜にし、少女漫画や恋愛小説、映画などの創作を参考に次々と戦略が生まれていった。しかし、ときめきクライシスにはリリース時から愛される一方で、一つの問題点が指摘され続けていた。
恋心の再現である。
五感全てを再現するフルダイブ形式をもってしてもなお、人の心までは踏み込めない。
しかし、このゲームは対人恋愛シミュレーションゲーム。必ず恋心が発生“しなければいけない”。
この再現に開発スタッフは苦心し絶望し、ついに完成した。
味覚でも触覚でも視覚でも嗅覚でも聴覚でも感じ取れない。
体温、発汗、脈拍、脳波、網膜の動き、筋肉の弛緩。
複雑に絡み合うそれらを徹底的に解析し尽くす事で『恋をする人間』を機械で判定する事に成功した。
だがしかし、恋に落ちた衝撃の再現は・・・・人間に耐えられるものではなかった。
恋心、ゲーム内では「ときめき」と表現されるそれは人の脳にはこう感じ取れる。
「雷に打たれたような衝撃だった・・・」と。
フルダイブ式対人恋愛シミュレーションゲーム「ときめきクライシス」。
この世界では計算しつくしたものが勝つ。
心を武器に心を攻めろ。
相手の心に雷を落とせ。
それは人類史上最高レベルの、対人恋愛シミュレーションゲームである。
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9・1。
何の数字かお分かりだろうか。この偏った比率はときめきクライシスにおける男女の対戦ダイヤである。前者は女性。後者が男性だ。
相手をときめかせた方が勝つというこのゲームにおいて、女性の方が圧倒的に優位に立っている。男性はこの逆境を乗り越えるため、童貞語なる武器を開発するにあたった。
リリース開始から二年。
童貞語以外にも対女性における戦術が多く開発されたが、未だ対戦ダイヤに変動は起きない。
男性は女性にとって狩りの対象でしかなかった。
かつては、例外が存在した。
ときめきクライシス界最強と言われた男。
「魔王」とも呼ばれ恐れられたその男は、ときめきクライシスの歴史を十年早めたと言われる。彼という存在を倒すために女性は更に技を磨き、他の男性はその戦いについていけなくなったのだ、とさえ。
そんな魔王と呼ばれた男が突然歴史から去って一年が過ぎていた。
最強は、崩れ去ってしまったのだ。
女達は更に勢力圏を広げ、この世界を残酷に支配していた。
自分達が“攻略対象”だということも忘れて。
狩りを終えた新人喰い《ブレイクファースト》は意気揚々と廊下を歩いていた。
彼女は今、全てが順調だ。
通学路という常勝の環境。磨き抜かれたパンと短期決戦に特化した戦術。
新人喰いという二つ名は決して弱者しか相手に出来ないと言うわけではない。
テリトリーの学区において彼女達の強さが知れ渡った結果、新人以外男は踏み入れなくなってしまっただけの事。強さという鎖に縛られてしまっているのだ。
この第三きらめき高校の学区を支配するのは彼女含めて三名。
軽いときめきではダメージすら受けない持久戦を得意とする『蘇る黄金《フレンチトースト》』。
毒のようにじわじわと外堀とCG欄を埋める逃れることの敵わない追跡者『迫り来る甘き蛇《シュガーロール》』
そして、力業により自分の得意な領域に持ち込む速攻戦を得意とする『新人喰い《ブレイクファースト》』。
かの最強集団“ときクラ四天王”にあやかって第三きらめき三天王とも呼ばれるその名轟く豪傑達だ。
だが、新人喰いはこんな所で満足する気はなかった。
目指すならば、最強。それが当然だと思っているし、こんな狭い箱庭で終わろうとも思わない。
(今の私なら、四天王だって夢じゃない・・・!)
この自信は決して、増長ではない。
彼女は確かに屈指とも言える力を身に着けつつあった。
他の二人には伏しているが、実は既にそれらしき声もかけられている。
「それにしても今日は静かだな。」
パンをくわえたまま、呟く。
この第三きらめき高校は彼女達の狩場として男の出入りが少ないが、決してないわけではない。何より、彼女達のおこぼれにあずかろう、もしくは男が居ない場所で落ち着こう、という女達が普段なら居るはずなのだが。今日は女性徒の姿も見当たらなかった。
どこかのエリアでイベントでもやっていただろうか、と公式のお知らせと、ユーザー主導かもしれないので掲示板も同時にチェックする。
が、それらしきものは見当たらない。
首をひねる新人喰いにボイスチャットが届いた。ボイスチャットとは、遠くの相手と通話が出来る電話のような機能だ。応答してみると食い気味に声が響く。
『ファースト!無事!?』
いきなり安否を確かめるこの声は『迫り来る甘き蛇』、仲間内ではシュガーと呼ばれる女だ。
「急に怒鳴るなよシュガー。」
『よかった無事ね!?今どこにいるの!』
「校内だよ。ちょっと朝飯を見かけてさ・・」
『っ!?今すぐ逃げて!』
シュガーの様子は尋常ではない。そもそも、普段はこんなに声を荒げるような女ではないのだ。声は小さめを心掛けることで、相手がよく聞きとれないから、と近づいてくる。そんな無防備な姿を一気に刈り取る、というのが彼女の基本戦術。
普段からその声量を徹底しているので、仲間内にも時々何を喋っているか分からなかったのだが・・。
「今日は随分声が聞こえやすいわシュガー。どうした?」
『あれは・・あれは違う!獲物じゃない!朝食じゃない!』
軽い狂乱状態なのだろう。ボイスチャットを繋いだまま独り言のようにわめく。
『私、もう、もう我慢が・・・っ!』
「やばいんだな?今すぐ向かってやる。どこだ。」
『だから逃げてよぉっ!フレンチが数秒で片づけられたわ!かないっこない!』
「フレンチが!?」
二人の共通の友人であり同士、『蘇る黄金』。
対処が難しいとされるアイドルクラスのウィンクにすら真っ向から受け、ときめきを起こしてなお攻めに回れる持久戦のプロ。フレンチを数秒で片づけられるような相手なんて汚染された湖を一瞬で浄化出来るイケメンではないのか。そんなイケメンが・・・存在するのか。
ときクラにおけるイケメンとは、アバターの完成度の事だけではない。
魅力値と呼ばれるステータスを上げる事でときめき力に補正が乗るのだ。
そのうちの一つ『外見』を上げたものをイケメンと呼ぶ。外見力が高いものは往々にしてアイドル、読モ、向井理などに例えられる。
『今校門前なの。やつはきっとこのまま・・・。』
そこで声が途切れる。ボイスチャットに通話相手以外の声は乗らない。
シュガーの吐息だけが伝わってくる。そして
『つぁああああああああああ!』
悲鳴が響いた。
シュガーが、狩られたのだ。
「シュガアアアアアアアアア!」
くわえていたパンを落とすほどの絶叫にも、返事はない。
「くっ・・・!」
落としてしまったパンを置き去りにして、ファーストは走る。懐から次のパンを取り出しくわえる。先ほどの無地のキャンバスのような食パンとは一転、赤々といちごジャムがふんだんに塗りたくられたもの。彼女の決戦武装だった。
シュガーには悪いが、逃げないし、恐らくもう逃げられない。
三人の中では最も鋭敏な感覚を備えていた新人喰いは、シュガーをときめかせた侵入者の位置を既に感じ取っていた。
巨大な魅力値が近づいてきている。相手はこちらに新人喰いが居ることを理解して、近づいている。こうしてこちらから向かっていくのは油断や復讐心ではない。
この世界では、計算し尽くしたものが勝つ。
彼女は攻めを得意とするプレイスタイルだ。逃げながらの戦闘は得意ではない。逃げるにしてもまず接触で相手に何かしら手傷を負わせた方がいい。
(相手はフレンチとシュガーを数秒でときめかせた強豪。初っ端から全力で潰す気でかかる!)
階段を一段や三段ではなく全段かっとばし、速度を落とさずに駆け続ける。校内の構造把握については一日の長がある。正門から入ってくる相手の背後をつけるように動く。これでシチュエーションは整った。相手もこちらの移動を感知したのだろう。くるりと方向転換してこちらに向かってくる。
(衝突は一階廊下の曲がり角・・・絶好のタイミング!)
くわえていたパンを力強く噛みしめ、スパートをかける。
この衝撃的な出会い、ファーストインプレッションこそが新人喰いの最強にして必勝の戦略。
「あーん、遅刻遅刻―!」
童貞語において「あんこ」と称される台詞を詠唱破棄せずに言い切る。後の派生によって「白あん」「苺あん」「縞あん」とも呼ばれるコンボの始動技だ。
一階廊下曲がり角。その衝突の瞬間。
相手の体の体勢から場合によっては様々な技へと派生させるつもりだった新人喰いは、類稀なる集中力でついに敵の姿を捉えた。
遠くから感じ取っていた魅力値を信じられないような外見。長く伸ばしすぎた髪の毛は目までかかっており、相手と目を合わせることを拒んでいる。
肉体も普通。中肉中背で、少しやせ気味にも感じる。あまりスポーツが得意なようには見えない。
(ふざけやがって・・・っ!)
それはときめきクライシスのキャラクリ初期画面で出てくるアバター。
この男は、アクセサリーはおろか、アバターのカスタマイズさえ手を加えていないのだ。
衝突までの一瞬で怒りを更に燃やした新人喰いは禁忌ともされる奥義「神速六十九」を使おうと衝突の勢いを強める。
今から起こるのはただの勝利ではなく、凌辱《オーバーキル》。
が、しかし、彼女の揺らぐことないイメージは現実に裏切られた。
そっと豪速の新人喰いの肩に手が添えられる。
感触があった時にはもう遅かった。
目の前から男の姿が消えている。
馬鹿な。と思う間もない音速で、その武器は抜かれた。
「つぁ。」
まさに音速。
既に新人喰いの横を通り過ぎようとしている男の声が耳を打つ。
『付き合ってください』の意味を持つ童貞語。だが、僅かな音に込められた語感から感じさせるのは独自のアレンジ。
『俺と付き合えよ』
うるさい。
うるさい。
うるさいと感じた。
本来聴覚など刺激しないはずのそれを新人喰いの脳はそう判断した。
この架空の遊戯の中には存在しないはずの架空の心臓が、こんなにも。
その音を、人は、「ときめき」と呼んだ。
騒音が体内で響き渡り、脳にまで届く。
たった一つの音以外何も聞こえなくなり、そして
電流が流れる。
「んああああああああああああ!」
パンが地に落ちる。マーフィーの法則にしたがいジャムを塗った面が下になる。
音もなく新人喰いが膝をつく。
膝をつく間を、与えられた。
新人喰いは悟った。手加減されたのだ。自分程度、一撃で消滅させることも背後に立つ男には出来た。
「四天王との窓口を持っているな。奴らを呼べ。」
知られていたのか。
次期四天王として自分が声をかけられていたことを。あと少し実績さえつけばと打診されていたことを。仲間の二人にさえ、話していなかったというのに。
「か、代わりに教えて。」
懐から連絡先が書かれた食パンを取り出しながら、無自覚に媚びたような声が出た。
たった一瞬で強者と弱者としてくっきりと分かれた。残酷な世界の残酷なルールだ。
「あなたの、名前・・・・。」
知りたい。教えて欲しい。
あっさりと脅迫に応じ、連絡先を取り出したのもそのためだ。
どうしても、知りたかった。
コツ、コツと男の足音が響く。
自分に近づいている。背後から伸ばされた手がパンを受け取る。
近い。彼の吐息をすぐそばに感じる程に。
そして、先ほどと同じように脳に刻み付けるように耳元で囁かれた。
「俺の名は、トゥルー。」
かつて、魔王と呼ばれた男が居た。
四天王を従え、ときめきクライシスの歴史を十年進めた男。
ゲームを、世界を終わらせてしまうと称されたその男はこう呼ばれた。
『真の終焉《トゥルーエンド》』。
姿を消したはずのその男が、歴史へと舞い戻った。
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私立ときめき学園。
最上級のプレイヤーが多数在籍し、イベントなども基本この学園を中心に行われる。生徒の母数もサーバー内で最も多く、転校していったものも含めればプレイヤーの80%以上が一度はここに属したことがあるだろう。
今なお在学しているのはふるい落とされなかった猛者ばかり。
特に、ときクラ学園高等部の生徒会は人気投票によって選出される。この人気投票は期限内に他の候補者にときめいてしまった場合、即時失格となる過酷な戦いだ。
ゆえに、この学園の生徒会に属する事がこのゲームで最も分かりやすい“最強”ということになるだろう。
そんな生徒会の活動拠点、生徒会室。
暗闇の中に三つの影があった。
時刻は夕刻。三つの影のうちの一つはせっせと紙に何かを書き込み続けている。一つの影は机につっぷしており、一人は姿勢よく座ったまま微動だにしない。
この暗闇の中ではそれぞれの顔すら確認できない。が、誰も電気をつけようだなんて言わなかった。決して三人全員が誰かつけてくれないかな、と思ったまま日が沈み暗闇になったわけではない。断じてない。
彼女達はときめき学園高等部生徒会。
またの名を、ときクラ四天王。
「ああ、ウィズ。」
つっぷしたままだった影が顔をあげる。見るからに気だるげな動作から発せられた声は粘っこい。それでいて声のみで甘い香りを感じさせる。“艶めかしい”と言われるそれだった。
艶めかしい影が声をかけても誰も答えない。
ペンを走らせる音のみだ。
「ちょっとウィズ。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
やはり、返事はない。
「ウィーズー。」
艶めかしい影が隣でずっと何かを書いていた影を手で押してようやく反応があった。
「えってあい!何ですか!愛してます!」
作業に集中していたらしい。全く唐突な告白に「ありがと。」と難なく返し、ようやく要件を述べる。
「そういえば、陛下から連絡があったわ。明日は初っ端から決めていいって。」
「・・・・すみません。何の話でしたっけ?」
本当に、一切話を聞いていなかったらしい。
会議途中でめんどくさくなって全員が黙ってしまったせいで話題が飛び飛びなせいもあるのだが、艶めかしい影はこれには謝らなかった。もう一つの影は相変わらず黙して動かない。
「真の終焉《トゥルーエンド》を落としてしまえ、ですって。」
「とぅるーえんどって言うと確か先代の・・」
先代魔王。ときめきクライシス最強と恐れられた男のことは有名だ。
“終わった伝説”として。
“かつての最強”として。
「珍しいですね。私にこういう命令って。メーさんやフォーさんの方が得意なのに。」
「ほら、私達は先代の頃から四天王だから。本気で潰しにいけるか、疑われてるんでしょ。」
「なるほどー。」
カチリ、と先ほどまで使っていた万年筆にキャップを被せる。
「私が一番、陛下に信頼されているんですね。」
にっこりと、笑うのが暗闇の中でも伝わる。
ぼんやりと浮かんだその影は、眼鏡をかけている。髪型は綺麗にまとめられた三つ編み。
人の好さを感じさせるような笑みでありながら、生徒会室の空気が一段重くなった。
艶めかしい影はゆったりと体を背もたれの方に預け、三つ編みの影を見下すような姿勢を取る。
「信頼されてないのは悲しいけれど、仕方ないわ。出来れば、私達の手で落としたかったのだけど。」
先ほどの三つ編みの影とは違い、凄みを感じさせる笑みが暗闇に浮かぶ。女の執念という世で最もおぞましいものが含まれた笑み。
「随分嫌われたんですね、先代さんは。」
「彼の代に居た人はみんなだと思うわ。」
唐突にその姿を消すまで、最強と言われ続けた男。
当然、誰もが最強の座を奪い取るため挑みかかった。
そして、誰も敵わなかった。誰、一人として。
「ああ、あなたは、あなただけは違うのかしら。ねぇ?フォー。」
声をかけられた最初から一言も発していない影は
「・・・・・・・。」
返事をしなかった。
「・・・・・・・・・。」
反応すらなかった。
最初から一切動いていなかった。
「・・・これフォーさん寝落ちしてませんか?ちょっと暗くてよく分かんないんですけど。」
「・・・もういいわ。私は今日もう落ちるわ。明日頑張ってね。」
「私もそうしますー。おやすみなさい。」
「おやすー。」
ひらひらと手を振って艶めかしい影が暗闇の中から消える。
三つ編みの影は机に広げていた紙を全て丁寧に回収した後、同じように暗闇の中から消えていく。
会議の始まりよりも更に深まった暗闇の中に動かない影だけが残った。
「あなた達では、勝てない。」
最後の影が、口を開いた。
「絶対に、ときめかない。」
その声は一切の疑心がない。
「あぁ、トゥルー。」
愛しい人に囁くような静かで、しかし感情を乗せた声。
「私の、運命の人。」
その言葉を残し、最後の影も暗闇の中に消えた。
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