とある誕生日前日譚
笛とかスワロー島とか演奏が終わり、数秒。音貝(トーンダイアル)の殻頂を押して録音を終了する。
本当に素晴らしい演奏だった。録音の為の演奏なのに、殻頂を押し忘れそうになるくらいに。ルカは音貝を置き、ノートを取り出して紙面にペンを走らせた。その文字列を演奏主──ブルックへと見せる。
【ありがとう、ソウルキング。やっぱりあなたの演奏は凄い】
「ヨホホホ、お安い御用です。……ネコ男さん、喋れるのでは?」
「そうだった」
十六年もの間失声症を患っていたルカに声が戻ったのは比較的最近の出来事だ。すっかり慣れ親しんだ筆談の癖は未だ抜けず、声を出せるのにノートを持ち歩き、言葉を口に出さず文字に書き出してしまうことがままある。
尊敬するソウルキングの前で癖を出してしまったルカは、頬が少し熱くなるのを感じた。
「……ほ、本当にありがとう、ソウルキング」
「いえいえ。……いやぁ、いいですねぇ。誕生日に歌のプレゼントなんて」
ルカがブルックに曲の録音を頼んだ理由。それは兄であるローの誕生日に、歌を歌ってプレゼントにしたいと考えたからだった。
長い間声を失くしていたルカが声を取り戻して、初めて迎える兄の誕生日。自分の声で"おめでとう"を伝えたいのは勿論だが、これまでにないものを用意したかった。
だから、"歌声"。少し前までのルカなら決してできなかったプレゼント。
たまたまサニー号を訪れた際にブルックに相談したところ、快く曲の演奏を引き受けてくれた。持参した音貝には、美しいヴァイオリンの旋律が奏でる"ビンクスの酒"の伴奏が録音されている。
「……上手く歌えるかわからないけど……でも、頑張るよ。ソウルキングが協力してくれたんだから」
「ネコ男さん、もしかして……」
「……歌はあんまり上手じゃないんだ」
ずっと自分の声で歌う機会がなかったルカの歌は、お世辞にも上手いとは言えない。気に入った曲を真似て歌ってみても何故か妙に調子外れになってしまって、たまたま聞いたシャチが噴き出したこともあった。
俯くルカに、ブルックは「でしたら!」と声を上げた。
「ここで少し練習していきませんか?」
「えっ……! い、いいの?」
「ええ。トラ男さんにはお世話になっていますし、ネコ男さんは私のファン。困っているなら放ってはおけません」
「……!」
ルカは目を大きく見開き、潤ませた。感無量だとばかりに大きく息を吐く。
「夢みたいだ……。ソウルキングに歌を教えてもらえるなんて……」
じわりと熱くなる胸を抑え、ルカはブルックを見上げた。
「ぼく……元々は歌ってあんまり好きじゃなくて……。あ、昔から嫌いだったわけじゃないんだ。声を出せなくなってから、どんなに良い曲でも自分じゃ歌えないって思ったら、なんか……嫌になってきちゃって……。段々音楽を聴くのも敬遠するようになってた……」
ドンキホーテファミリーにいた頃も。スワロー島にいた頃も。ハートの海賊団を立ち上げた頃も。
皆が面白おかしく歌う中に自身は入っていけなくて、疎外感を感じることが多々あった。寂しさはやがて歌えない自身への嫌悪へ変わり、音楽そのものを遠ざけていった。
だが。
「でも、たまたまソウルキングのライブを聴く機会があって……本当に……凄かった! ええっと、上手く言えないんだけど、こう……風が吹いたみたいで!」
偶然にも一度だけ訪れた彼のライブは、今も尚鮮明にルカの記憶に残っている。
ソウルキングの奏でる曲は、歌は、魂をも揺るがす。ルカに立ち込めていた暗雲すらも、綺麗に吹き飛ばしてしまった。
心の中に青空が広がっていくかのようなあの感覚は、思い出す度に胸が高鳴る。
「うん……その時、思い出したんだ。音楽って楽しいんだって。あなたのお陰だよ。……ありがとう」
「……!!」
「え……」
ルカは目を見開いた。
ブルックの目──と言っても生ける骸骨である彼に眼球はないのだが、目に相当するであろう暗い眼窩から涙がぼろぼろと溢れ出したからだ。
「そ、ソウルキング!? ごめんなさい、ぼく何か失礼なことを……!」
「いえ……大丈夫。ただ……うう……嬉し涙とでも言いましょうか。涙腺にきてしまって……私、涙腺、ないんですけども……!!」
「じゃあその涙はどこから……?」
ブルックは鼻を啜り、服の裾で涙を拭う。そして、そこはかとなく困惑の表情を浮かべるルカに微笑んだ。
「そこまで言っていただけるなんて、音楽家冥利に尽きるというもの。はりきって指南させていただきます。いいお誕生日にしましょう、ネコ男さん」
「うん……!」
♪ビンクスの酒を 届けにゆくよ 海風 気まかせ 波まかせ……
サウザンド・サニー号の一室から、愉快な音楽と二人分の楽しげな歌声が響く。眩い日差しを受ける船首を、爽やかな風が駆け抜けていった。
来たる誕生日当日がどうなったかは……語るまでもないだろう。