とある聖職者との出逢い
大切な人がいた。いた、ということはもういない訳で、死んでいるのか生きているのか分からない。
とにかく、最後の別れはあっさりしたもので、今まで住んでいた家を売り払って、私は知らない女性の家に預けられた。
別れの言葉は、「じゃあね」の一言。
少なくとも、私にはその一言に八年間一緒に過ごした重みがあるとは思えなかった。
アラームが睡眠中の聴覚に起きろ起きろと訴えかける。布団の中から手を伸ばし、器用に音を切って再度眠りにつく。
…5分後。再度アラームが訴えかけてくる。何なら先程のモノより音が大きい気すらする。
仕方なく身体を引き起こして、煩わしいアラームを黙らせる。身体を伸ばして、半覚醒の肉体を覚醒させる。
「ぐ…ぬ……あぁ…!」
とても他人の前では出せないような欠伸ともうめき声ともつかない声をあげて、布団を蹴り飛ばす。こうでもしないと私は私を甘やかしてしまう。
寒くはない。寒くはないが…起きたくない。できることなら、根源的欲求には逆らわず素直に生きていたい。
まだ硬い体を動かして、1階へと降りていく。蛇口からの冷たい水が眠気を叩き潰し、やっと脳も起床する。
そのまま居間へ行き、机に置かれた置き手紙を発見し、読む。
『優愛ちゃんへ 私は朝早くからお出かけするので今朝は家にいません ご飯は冷蔵庫に入れてあるので温めて食べてください 今日も一日、気をつけて元気に頑張ってください 』
「ふふっ」
手紙の左端の可愛い動物から出た吹き出しが文字を囲っている。彼女のこういう所が好きなのだ。
「………行ってきまーす」
誰もいない家に出かけると伝え、ガチャリと鍵を閉め、いつもより軽い足取りで駅へと向かう。
本来なら学校なんて行きたくないのだが、今日は別。なんてったって今日一日頑張れば明日からはゴールデンウィークなのだ。
…最も私は、一緒に遊びに行く程親しい友人もいないし、部活動もしてないので、一日中家にいるのだが。
「……はぁ………」
理由もなく溜息が出る。いや、きっと理由はあるのだろうが、それが不安によるものか、それ以外の何かなのか分からない。
とにかく…最近の私は溜息が止まらない。地震の前に小動物が逃げ出したり、ナマズが動き出すように、身の危険が迫ってるのかも知れないが…それなら普通に未来予知の能力でも欲しいものだ。
「……あ、猫…」
黒い猫が目の前を横切る。…これもなんだか嫌な感じだ。確か海外だと不幸の象徴なんだったか。
「なんか朝から不幸な予感、がっ…!?」
後ろから何者かにぶつかられ、ひ弱な私の体は簡単に倒れかける…が、ガシッと腕を捕まれる。
「すみません…お怪我は?」
振り返ると、黒い衣服…聖職者がよく着ているキャソットと呼ばれる服装…を着た青年が申し訳そうな顔で支えていた。逆光で顔はよく見えない。
「あ…は、はい…ダイジョブ、です…」
顔が熱い。もしかしたら独り言を聞かれたのかと、羞恥心が顔を燃やす。
「そう、それは良かった」
青年はペコリと一礼して、早歩きで去っていった。まだ顔が燃えている。そればかりか、耳先まで熱くなってきた。
「名前、聞けば良かった………」
「それ、一条先輩じゃないの?」
「イチジョー、センパイ……先輩?ウチの生徒なの!?」
出逢いから20分。早速彼の名前を知れた。
「そ。一条終夜。先輩って言っても大学の方だけどね」
私の後ろに座る友人、坂根絵理香は信じられないという表情で私を見つめる。そんな顔されても知らないものは知らないのだ。
私立聖曠夜大学付属高等学校。
それが私の通う学校だ。聖、と頭についているように本来はキリスト系の学校だったらしいが、現代においては私が通う普通科や専門学科を筆頭に、数多くの学部を網羅した讃ヶ峰市の私立校として名高い。
「……そう言えば、キャソック着てたわ…神学部の人なのかな…」
「………本当に知らないのね、アンタ……あんな白髪で赤眼で、服装自由とはいえ毎日キャソック着てくる変人だからすごい噂になってたけど…」
「全然知らなかった。なんなら白髪で赤眼も今知ったわ」「そ、そう…」
友人の呆れ返った表情を見るに、相当噂になってたのだろう。まぁどんなに噂になろうとも、耳に入ってこなきゃ私には関係ない。
「でも……どんな人なんだろ……」
「え?一目惚れしたの?止めといた方が良いと思うけど」「……違うし」
顔を膨らましていると、にわかに教室が静かになっていく。小中高と先生が教室に入ってくると喧騒が静まるのは共通らしい。
「それじゃ、進展があったら教えてね」
そんなんじゃないって、と言おうと口を開いたが、担任のノンビリとした声に阻まれて、仕方なく前に座り直す。
「それじゃあね、今日は連休前最後の学校だからね、まぁ君たちの声も聞けるのも一週間くらい後だからね、じゃあ出席確認するからね、一番の安藤。…二番の稲垣さん。…三番の乾くん…」
…小中高とオジサンの先生は変な喋り方なのは共通らしい。彼らの声は総じて眠くなるので教師になるべきではないと思うのだが…
「ね、ね、そう言えばさ」ツンツンと背中を突かれ、バレないようにコッソリ後ろを向く。
「なにさ…話してると怒られるって」
「ほら、アンタさ、一条先輩と会う前に黒猫が横切ったって言ったじゃん?」
「…言いましたけど?不幸になったから告白するなと?違うって……」
「いや、そうじゃなくてね」
絵理香はニヤリと笑って言葉を続ける。
「黒猫が横切るのはね、逆に出逢いやらチャンスの前触れって意味もあるんだってさ!それだけだからバレない内に前向く!」
言いたいことだけ言って、絵理香は私のほっぺたを掴んでグイッと前に向ける。
…出逢いやらチャンス、ねぇ………
そんなフワフワしたモノを信じてる訳じゃない。ないのだが……………
少女の、七種優愛の運命が動き出すまで、あと僅か。