とある幻霊との出逢い

とある幻霊との出逢い


降り注ぐ雨水の一切を避けず、数人の足音を背に受けて、走る。

「ハッ…………だっ、たす…助け、て…!」

現実からの逃避か、ああ、野球部に入っていて良かった、とズレた想いが込み上げる。

そんなおかしな事を考えるほどに、乾凪は追い詰められていた。


数分前。市立図書館からの帰宅途中。北讃ヶ峰駅から電車に乗り(外国人らしき少年とすれ違いながら)、自宅近くの東讃ヶ峰駅で降りようとした瞬間。

「おい、あのガキの手ェ見ろ」「王の兄貴の紋々と似てやがる」

その言葉が自分を指して放たれているとは露知らず、呑気にホームから出ていった所、明らかに太陽の下で働いてなさそうな男達に話しかけられ…気づけば、無我夢中で逃げ出していた。

理由は不明ながら、捕まればただでは済まないという明瞭な答えだけを頼りに、必死に両の手足を動かす。

「おい………行った………ガキ………」

「シン……姐さん………雨で…」

雨が降ったのは幸か不幸か、あちら側は洒落たスーツのせいで大雨の中を上手く走れないらしい。対してこちらは大雨だろうと休まず練習していたのでこの程度なら慣れている。

この公園さえ突っ切れば、すぐに自宅に着く。奴らはまだ周囲にいないハズだからすぐに警察に電話を…

思考に耽り、視界の端に映る鉄塊を構える男に気づかなかった。

「………あ…」


耳が痛い。だけじゃない。足が動かない。痛い。血が溢れる。立てない。

「姐さん!見っけました!公園の前です!」

逃げろと警告音を発する脳に従い両腕を必死に動かす。ずるずると公園の中まで這いずる。

スタ、スタ、スタ、スタと一定のリズムが近づいてくる。リズムが止んで、凛とした声が響く。

「………御苦労様。これよりは私が討ち取りますので、貴方がたはお戻りください」

今度はドスドスと多くの足音が遠ざかる。一方で、スタスタと先程のリズムがまた近づいてくる。

無理矢理身体をひっくり返して、リズムの正体を睨みつける。

 

綺麗な女性がいた。色白な着物姿で刀を片手に近づいてくる、今に自分を殺そうとする女が。

蛇に見えた。なら自分は蛙か。いずれにせよ、飲まれ、喰われ、死ぬのだろう。


「くる、な、来るな、来るなっ!」

手提げ鞄を振り回すも、威嚇にすらならず切り捨てられる。財布や図書館から借りた本がぶち撒けられる。まるで、己の運命を示唆するが如く。

「運が悪かった、と切り捨てていただきましょう。────────悪う、思いなっせ」


刀が振り上げられる。己が命の灯火は数瞬で掻き消されるだろう。それは確定された事象であり、奇跡が起きぬ限り覆る事はあり得ない。

(嫌だ)

大層な夢も、理想も持ち合わせていない。

(嫌だッ!)

仮に凪が死んだ所で、悲しむ人間は肉親程度で、明日も世界は変わらず運行する。

(嫌だ、嫌だ、嫌だッ!俺は、俺はまだ───)

それでも、自分は。

「生きていたいッ…!」


光が放たれる。ガキンと、金属が交じり合う音響が夜の公園に鳴り響く。

「………は…?」

女の刀は、凪の肉を切り、骨を断つでもなく。異形の刀身にて防がれた。


火の花は散らぬ。代わりに舞うは、水の華。

血も、涙も、絶望すらも。全てを流し尽くすかの如く美しい、水流にて構成された刀身。

そんな御伽噺に出てくるような武器を、御伽噺に出てくるような格好で振るう者がいた。

それがとても綺麗で、絵になるというのはこんな情景なのだろう、と…数瞬前までは死を想っていた事も、足の痛みも忘れて惚けていた。


「……サー、ヴァント…!」女は口惜しげに聞き慣れない台詞を吐く。

「…………キミはアサシンか。白兵戦での一騎討ちは苦手だろう?」

突如現れた剣士は、挑発するような声で女に問いかける。

「…見逃してくれるのならば、私としては有り難いですが」

「さて…どうしようか」

剣士はチラリと凪を見て、少しだけ納得いかぬ表情を浮かべ、女の方へ向き直る。

「良いよ。ボクとしても、そちらのほうが都合が良い。まぁ…………今戦っても、間違いなくボクが勝つけどね」

「…そうですか。なれば、お言葉に甘えて…………また、近い内に切り捨てますので、お覚悟の程を」

女はそれだけ言って、幽霊のように消え去った。元から女はいなかったかのように、静かに針が時を刻む。



「……………な…は?……え?」

「あ、ごめんねマスター。勝手に話を進めちゃって」

剣士は小さな珠を取り出し凪に持たせる。

「それ持ってれば怪我が治るのが早くなるからさ。………それにしても、召喚サークルも詠唱もなしに喚び出すなんて、よっぽど運が良いのか、はたまた…」

剣士は興味深げに凪を見つめる。凪もまた剣士を見つめ返す。

中性的で綺麗な顔だ。ただし美男だが美女ではない。どちらかと言えば美少女にあたる。とても戦に出るような顔ではないが、それでもあの水の刀を振るう姿は素人の凪にも達人芸であると理解できた。

「………あ、触媒はあったんだね!…て言っても、これ、触媒って言えるのかな」

剣士が拾いあげたのは、先ほど飛び散った図書館から借りた本であった。

表紙には、『南総里見八犬伝』と書かれている。

「う〜ん…本来ならもっと繋がりの深いモノじゃないと呼べないだろうに…そんなにこの聖杯戦争はサーヴァントを召喚したがってるのかな?」

「…………いや……えっと……」

困惑と恍惚と恐怖で固まっていた口がやっと動く。

「その………だ、誰?それに…さっきから何言って…」

「………ああ、なるほどね。キミは聖杯戦争に巻き込まれて、偶然ボクを召喚した訳だ。なら────────まずは自己紹介からだね!」

くるりと華麗に翻り、剣士は凪に向き直る。

左手を胸にあて、一つ咳払いの後、高らかにその真名を口にする。

「ライダー、犬塚信乃!キミの名前は!?」

「……………乾、凪…」


月下に牡丹が一輪。ここに一つ、新たな契約が成された。


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