とある一家のありふれた日常

とある一家のありふれた日常


 

 大きな屋敷に見合う広大な庭園。その隅々まで余すとこなく計算され美しく整えられた庭は、この家に腕の良い庭師が居ると一目でわかる。

 誰もが目を奪われる庭園の中、綺麗に切り揃えられた生垣の一角が前触れもなくごそごそと踊りだした。風も吹いていないのに騒めく葉擦れの音に庭師のウルージが顔を上げると同時、草木をかき分けて屋敷のメイドのルフィとご令息のゾロが姿を見せた。

 二人揃って高級な素材が惜しげもなく使われた上等な造りの衣服を泥で汚して、頭には葉っぱの飾りを乗せている。着ている服に気付かなければ、これが街で一番有名な名門一家のメイドとご令息などとは思いもしないだろう。

 

「これはこれは、坊ちゃんにルフィ殿。この時間はロー殿の授業ではありませんでしたかな」

「おう! でもおれ勉強嫌いだし、ルフィが面白いとこ連れてってくれるって!」

「べんきょーとかつまんねェしよ、部屋より外の方が楽しいもんな!」

「なー!」

「おーおー、好き勝手言いなさる」

 

 にかりと満面の笑みを浮かべた二人の笑顔はまるで太陽のように眩しいものだったから。ウルージもそれ以上は何も言わずに、揃って音程の外れた歌を歌いながら庭園の生垣を軽々抜けて森の中へと入っていく二人を見送った。

 今頃家庭教師のローが屋敷中探し回っているのだろう。ここに来たらどこに向かったのか教えてやるとして、ウルージはそのまま折角整えたばかりの生垣にぽっかりと空いた等身大の穴の修復に取り掛かった。

 

 

 自らの知識を生かし人に教える家庭教師という職は、医者を目指すローには天職に思えた。何より相手は街一番の名門一家のご令息。当然給料はその辺のバイトとは比べ物にならないし、主人と奥方の人当たりも良く、ローのために書斎や屋敷にある本を自由に貸し出してくれる気前の良さ。これ以上ない好条件に初めのうちはローも随分心を浮つかせたものだった。

 ……まさかこの好条件の裏にこんな問題があっただなんて。知っていればもっと慎重にバイトを選んでいたというのに。

 

「あンのクソガキ……!! どこ行きやがった!?」

 

 仕事の時間より少し早めに屋敷に訪れ、従僕のボニーに案内されたご令息の部屋は見事なまでにもぬけの殻。全開にされた窓から吹き込む風がカーテンを揺らしていく長閑な昼下がりの空気すら忌々しい。

 

「あっはっはっはっはっはっ! ケッサク!! おいおい、これで脱走何回目だよあのチビ助!!」

「笑ってねぇでテメェも探すんだよ、ジュエリー屋!! ドレーク屋にも知らせに行け!! 今日こそ勉強させてやらあ!!」

 

 ローに急かされ笑いながらボニーが退散すると、ローも即座に部屋を出る。本来ならば今すぐ窓から飛び降りてでも後を追いたいのだが、近ごろ余計な知恵をつけてきたばかりかあのファンタジスタだ。まともに追っていたら日が暮れる。

 

 まず探すべきは奴らが向かいそうな場所。既に遊びつくしているこの屋敷の中で、今でも彼らの遊び場になる部屋は限られている。

 ということで最初に向かったのはご令息の部屋から近い場所にあるご令嬢の私室。広い部屋にところ狭しと置かれた珍しい楽器の数々に加え、常に音楽が絶えないこの部屋はメイドのお気に入りの場所でもある。

 丁度部屋の主も在室のようで、ここで見つかってくれればどれだけ楽かと一縷の望みをかけて部屋をのぞき込んだ瞬間呆気にとられた。

 

「んー? 何かあったのか? お前がオラっちの部屋にくるなんて珍しいな」

「あー、お前の弟とメイドはここに来てねぇか?」

 

 暫く呆けてしまっていたが、視線に気づいたアプーに声をかけられて正気に戻る。部屋の中央に置かれたそれから視線は動かせないまま、この部屋に来た用件を伝えればアプーは独特な笑い声をあげた。

 

「アッパッパッパッ! なんだよロー、また逃げられたのかぁ? 悪いがオラっちは見てねェな。今はちょっと忙しいんだ、後で探してやるよ」

「……ああ、ありがとう。それはありがたいんだが、お前そのピアノ……」

「コイツか? 今ちょっと調律中なんだ。終わったらお前にも見せてやるから楽しみにしとけよ!」

「…………そうか」

 

 この屋敷の長女であるアプーが弄くりまわしているのは、確かこの屋敷と共に代々受け継がれてきた由緒あるグランドピアノだと思ったのだが。調律と称して分解されたピアノは見る影も無くなっているが、奥に見えるクラシックカーと合体させるつもりなのだろうか。

 土台となるのであろうクラシックカーには既にラッパやハープにシロフォンと大量の楽器が一体化されていて、こちらもこちらで車の原型は保っていない。完成系がどうなるかはわからないが、フロート車に近いものになるのだろう。こいつは一人でパレードでもするつもりなのだろうか。

 とにかく今は馬鹿の捜索が先決だ。アプーの奇行は今に始まったことじゃないのだし管轄外。放っておいて問題ない。

 そう結論付けてローが次に向かったのは、一番可能性が高い厨房だった。

 

「おいコック! ここに問題児来てねぇか!?」

「お、ロー。坊ちゃんとバカは見つかったのか? 見ての通り、ここにはいないぜ」

「悪いな先生。今日は朝に弁当強請られて作ってやったきりだ。ボニー! そりゃ今夜の前菜だ、食いすぎるな!」

「……とりあえずジュエリー屋がここに居る理由は無視するとして、だ。弁当だと? それは本当か」

「嘘なんかついてどうする。こりゃあの二人遠出するつもりだぞ」

 

 ベッジの返事を聞くが否や、ローは厨房を後にすると足早に屋敷のとある一室を目指しだす。外に出られては普通に探して見つけることは不可能だと身に染みている。こんな時に頼れるのはただ一人。

 奥方の私室の前に立ち、ノックを数回。出迎えたのは屋敷の筆頭執事であるドレークだった。

 

「騒がしいな。何があった?」

 

 息を切らせている様子のローを見て、扉を開けたドレークは首を傾げる。ドレークの様子を見るとボニーは知らせもせずに厨房に行ったのだろうが、彼女に初めから期待はしていなかったのでため息を吐くだけに留めた。

 ドレークの方もこの時間にローが訪ねてくる時点で大方の予想はついているのだろう。邪険にされることもなく素直に部屋に通された。

 

「失礼します、奥様。ご令息がメイドと一緒に逃げ出しました。コックの言い分によると二人は弁当持参で外に向かったらしい。不敬を承知でお力添えを頂けないかと」

「またか……。仕方ない。ドレーク、占いの準備を」

「畏まりました」

 

 傍らの執事が一礼すると慣れた手つきでティーセットを片付けテーブルにシルクの布が被せられる。流れるような動きでタロットカードが並べられ、奥方の趣味だという占いが始まった。

 屋敷に出入りするようになるまで信じられなかったのだが、この奥方の占いは正真正銘百発百中。まさか本当に未来が見えているのか、それとも千里眼でも持っているのか。兎にも角にも、この屋敷で困ったことがあれば奥方に頼るのが最後の手段だというのは屋敷に居る者全ての共通認識となっていた。

 

「……ふむ。どうやら夜には帰ってくるらしい。ここは大人しく待つのが吉だそうだ。夕食はウチで食べていくといい」

「……ありがとうございます」

 

 必ず当たると評判の占いは、当然願った結果になるわけでもなく。今日も今日とて敗北が確定したローにドレークはそっと紅茶を差し出した。

 

 

 日が暮れる頃に屋敷の主人が帰ってくる。時間通りに玄関に整列した使用人たちは扉が開かれるのに合わせて一斉に頭を下げた。

 

「お帰りなさいませ、ご主人様」

「お帰り、キラー」

 

 使用人と妻の出迎えにキラーも頷いて、いつもいるはずの姿が二つ見えないことに首を傾げた。大方の予想はついているのだが。

 

「ああ、ただいま。……ルフィとゾロが見えないが」

「心配はいらない。夕食までに戻ってくる確率は95%だ」

「そうか。なら大丈夫そうだな」

 

 まだ幼いゾロ一人で外に出ているのならまだしも、ルフィもいるのなら心配ないだろう。別の意味で心配事が増えるが、そこは街の住人達も既に慣れたものだ。街中から破壊音が聞こえてこないだけ今日は随分平和らしい。

 夕食までまだ時間もある。ローから今日の脱走劇のあらましとドレークから屋敷の様子を聞きながら、キラーは知れず頭を抱えてしまった。ゾロとルフィに、それからボニーは後で説教として、アプーの方はどうしてくれようか。ちょくちょく脱走しては騒ぎを拡大するゾロとルフィに隠れているが、アプーも放っておけば問題しか起こさないお転婆だ。


「キッド、少し外に出る。車を出してくれ」

「かしこまりました、ご主人サマ」

 

 屋敷に帰ってきて早々、ドレークから報告を聞き終えたキラーはそのままキッドを連れて再び外に出る。使用人に見送られながら車に乗り込み門をくぐると、屋敷が見えなくなったところでキッドがニヤニヤとバックミラー越しにキラーに視線を寄越した。

 

「で、どうしたよ、キラー。お疲れか?」

「ああ。全くあいつら、手が焼ける……」

 

 こうして車内に二人だけになった時は立場を忘れて昔の関係に戻るのが暗黙の了解。キラーが屋敷の主となった今でも彼らの友情は昔と何一つ変わっていない。

 

「ははっ! いいじゃねェか、元気なこった。昔はおれらも似たようなもんだったぜ? テメェもようやくオヤジさんの苦労が分かったってことか」

「ファッファッ! 違いない。とはいえキッド、おれ達はまだ可愛いもんだっただろう。少なくとも屋敷の楽器で悪戯はしなかったし、屋敷で迷子になったことなんか一度もないぞ」

「そりゃアイツらが規格外の馬鹿なだけだろ。思えばおれ達は随分お上品に遊んでいたからな」

 

 当然二人は屋敷を抜け出して拾った楽器を使ってバンドを組んだり、大改造した高級車で街中を爆走していたことなど棚に上げている。第三者から見ればどちらも手に負えない物だったが、少なくとも当人の認識ではまだ可愛い悪戯に比べて彼らの悪ふざけは目に余るらしい。

 そうして二人で昔話に興じながら、気分転換だと夕陽に染まった街中を笑いながら走る時間は、まるで昔に戻ったような気にさせた。


「キッド! もっと飛ばせるか?」

「お易い御用だ、ご主人サマ!」



 夕食の時間になると占い通りにルフィとゾロが帰ってきた。どうやら山の裏手でキッドとキラーに見つかって回収されたらしい。

 ただの気分転換でどうして郊外の山まで向かっているのか、そもそも普通に走っていては山から屋敷までどう考えてもまだ帰ってこれる時間でもない。などとキッドとキラーの二人にも言いたいことは多々あるのだが、それよりも問題なのはこの二人だろう。

 今回は随分冒険をしてきたようで、いつになく汚れているどころか、ところどころ破けてボロボロになった服でなお笑っている姿にローがぶち切れたのは言うまでもない。

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