とあるファミレスの一幕
「蓬ってさ、意外と子供舌だよね」
とある休日。
お昼時より微妙に早いことで席が空いているファミレスにて、南夢芽がそう言った。
対面に座る彼女からの唐突な指摘に、食べるために口を開けていた蓬は話すために口を開き直す。
「……なに? 急に」
「だって蓬、確か前にここに来たときもハンバーグセット食べてなかった?こないだ私がカレー作った時だって、『甘口がいい』って言ってたじゃん」
「……袋のまんま温めたのを、果たして『作った』と言っていいんですかね夢芽さん」
「あーあー。ハンバーグが美味しくて聞こえなーい」
揚げ足取りに似た蓬の言葉にハンバーグを頬張ってシレっと答える夢芽。
……味感じてないくせに、自分が子供舌なら夢芽は超偏食家じゃないか、という言葉は付け合わせの野菜と一緒に飲み込んだ。
机の上には、二人分のハンバーグセットがある。そのセットの目玉であるジューシーなハンバーグを不格好に切りながら、美味しいとも不味いとも言わず淡々と口に運んでいく夢芽を見ていると、少し申し訳なくなってきた。
「夢芽……ほんとによかったの?別に俺、我慢しようと思えばできるし……外食って夢芽は苦手でしょ?」
「やだ。せっかくの久しぶりのデートなのに。これから蓬に延々お腹鳴らしながら行動されたら、ムードも情動も台無しだし」
「……その節はっ、本当にすいません……」
このファミレスへ入るきっかけになった、空気の読めない腹の虫を殴りたくなる。朝にちゃんと食べ物をやったというのに。まだ足りないのか、お前は。
「それに私、この定食と一緒に蓬の情動も食べてるから平気だし」
「……え。今食べてるの?」
「うん。ある意味蓬の情動を肴にハンバーグを……いや、逆か。ハンバーグセットを肴に蓬の情動を食べてるって感じ」
「なんと贅沢な……」
ここのハンバーグ定食はそこそこなお値段をするというのに。出会う前の頃からやってた男子を呼び出す悪癖とい、相変わらずめんどくさがりなのに情動を美味しく食べるための努力は厭わないようだ。
ちなみに何故わざわざ蓬と同じハンバーグセットを頼んでいるのかというと、『同じのを食べてた方が蓬は嬉しいでしょ?』とのこと。……実際その通りなので何も言えない。
「……まぁ、夢芽が嫌な気持ちになってないならいいけどさぁ……」
「……正直、前までは嫌な気持ちになることもあったけどね。……私、怪獣だし。人間がモノを食べるための場所で、ただ食べさせるためだけの大量生産品を出すココなんて、私には一生合わない場所だと思ってた」
「…………」
「……でもね、最近は違うんだよ。……まだほんの少しだけど……ちょっと、感じられるようになってきたんだ」
「えっ!?」
思わずフォークを取り落としてしまった。金属と皿がぶつかる音が響くが、気にしてられない。
「感じるって……『味』を?」
「…………」
コクン、と頷く夢芽。
「蓬と一緒の時なら、ほんの少しだけだけどね」
「……それは、俺の情動があるから?」
「いや……蓬の情動とは、また別のもの。たぶんこれが『ハンバーグの味』かなっていうのが……たまに舌に来る」
「っ……すごいことじゃんそれっ。もっと早く言ってよっ!」
南夢芽は、人の感情を主食にする怪獣だ。だから、人間の食べ物は本来の主食ではない。
受け付けない、とまではいかないが味を感じないはずだったのだ。にもかかわらず、今は少しだが感じ始めているらしい。
これが意味するのは……。
「……まだ、私自身にもわからない。私の体に何が起きてるのか。……だけどきっと、悪い変化ではない、と、思う」
「……そりゃ、そうでしょ。うん」
ふと、数ヵ月ほど前の、シズムの話が思い出された。
『怪獣使いは怪獣が無くなると徐々に人間に戻っていく』みたいな話だ。
もしもあれと同じように、なにかしらの要因で夢芽も、徐々に怪獣から人間に戻りつつある(元々怪獣として生まれた存在なのでこの表現は適切ではないが)のだとしたら……と考えるのは、蓬の希望的観測が入りすぎているだろうか?
……まぁなんにせよ、夢芽が人間の食べ物から真っ当に味を感じ始めているのは良いことだ。どのみち人間に戻らなかったとしても、蓬は一生夢芽の傍にいるつもりだし。
そう思いながら、蓬が夢芽ほどではないが嬉しさの情動を追加した上でハンバーグを食べようとしたとき。
「ちょっとあなたどういうことよっ!?」
三つ後ろぐらいの席から女性の怒声が聞こえた。
肩がびくりと跳ねると同時に、夢芽が「うっ……!」と急に口許を押さえて頭を下げた。
「なんでそうなるのよ!?」
「あーもうめんどくせぇなお前!付き合ったときからずっとグチグチ細かいとこばっかよぉ!!」
女性の声の後に男性の怒声が続く。
どうやら男女のカップルが喧嘩をしているようだった。
野次馬根性で喧嘩の内容も気になったが、先に突然俯いた夢芽の方が心配だった。
「夢芽っ大丈夫?」
「あんまり、大丈夫じゃないっ……」
夢芽は酷く苦しそうだった。蓬は急いで自分が飲みかけていたオレンジジュースを彼女の前に持っていく。
「一応聞くけど……コレ、やっぱり、あのカップルの喧嘩のせい、だよね?」
「うん……。詳細はよくわかんないけどっ、結構修羅場ってるみたい……。うぇっ!げほっ、げほっ……!と、トウガラシとマーボードウフとっ、ナットウを同時に口に突っ込まれたみたい……っ!」
「ほ、本当に大丈夫!?」
基本的に恋愛関係やカップルの情動ならなんでも好む夢芽だが、いくつか例外はある。
喧嘩をしていたり、関係が冷めきった夫婦だったり、果ては泥沼状態になっているカップルなどの情動を感じてしまうと、今のように味どうこうよりも苦しみが勝ってしまうのだ。
元々タチの悪いことに、夢芽のこの情動を食べる能力はある程度は自動で発動してしまう。そのため、どんな人からの情動でも一欠片は食べてしまう。そしてその一欠片だけでも、モノによっては致命傷になり得るのだ。
「~~~~!!!」
周りに客が少ないというのもあってか、あの男女の喧嘩はどんどんヒートアップしているようだった。
そしてそれに呼応するように夢芽のむせはどんどん酷くなり、涙目になりつつある。このままでは本当に体調を崩してしまうかもしれない。
躊躇してる時間はなかった。
蓬は席を立つと急いで夢芽の隣に移動し、彼女を抱き締めた。そのまま子供をあやすように、背中をゆっくりと優しく叩く。
「うぶっ、うえっ、え、えぇ……?」
「よしよし……。大丈夫だよ夢芽、大丈夫……大丈夫……」
「げほっ、げほっ……よもぎ……よもぎぃ……」
恥ずかしさなどない。心からの、夢芽を案じての行動だった。
彼女もそれを感じ取ってくれたのか、体を蓬の方に預け、怒声から逃れるように蓬の胸に顔を埋める。
そのまま、三分ほど経っただろうか。
ようやくというか、後ろのカップルの喧嘩は終わったようだった。
男側が捨て台詞のようなものを吐き、机に一万円を叩きつけて帰るという格好で。
喧嘩が止んで男が去ると、まさに台風が去った後のように店内の雰囲気が元に戻るのがわかった。
腕の中で肩を震えさせていた夢芽も、少しずつ呼吸が元に戻っていっている。
「……大丈夫?落ち着いた?」
「……うっ、うん。まだ、苦味は口に残ってるけど。だ、大丈夫」
顔を上げた夢芽は、顔色こそ悪くなっていたが今すぐヤバい、というわけではなさそうだった。それを確認したことで蓬は一旦抱擁を解く。
普段なら『蓬もっと~』と駄々でもこねそうだが、さすがに今はそんな余裕はないようだった
「……ごめんね、蓬。迷惑かけて」
「いやー……あれは普通の人間でもまぁまぁブルーになるから……仕方ないよ」
「『別れ話』ぐらいなら、ほろ苦いコーヒーみたいな感じで済むんだけど……。ああもドロドロしてると、ちょっと、無理っ……」
縮こまりながら言う夢芽。
……それは、単に体に毒な情動を食べさせられたからというだけではなさそうだった。
「……あははっ。ちょっと人間に近づいたかも、なんて話をした直後にこれなんてね」
自嘲するように言う夢芽。
……やはり、そこのダメージが大きかったらしい。
こういうことは、今回が初めてではない。今までにも何度か似たようなことはあった。
それでも、最近はここまでのものは治まりつつあった。今にして思えば、それもまたあの先の人間に戻りつつあるという『兆候』だったのかもしれない。
それがまた久しぶりに来れば、落ち込んで当然だろう。
「……やっぱり、まだ早かったのかな。……本当にごめんね、よも───」
「夢芽」
瞳から別の種類の涙を流しかけた夢芽を見た時、蓬の心は決まった。
なに?とこちらの方を向く夢芽に対して、先程まで彼女が使っていたフォークを持ち、彼女が食べていたハンバーグの一切れに刺す。
そして─────
「……はい、あーん」
「えっ」
蓬の行動に珍しく夢芽が面食らったような顔をした。
「ちょ、蓬、なにしてるの?」
動揺したように言うが、しかし蓬は怯まない。
「あーん」ともう一度言いながら彼女の口許にハンバーグを持っていく。
「……あー、あむっ」
戸惑いながらも、おそるおそるといったように夢芽は食べる。
その瞬間、沈んでいた彼女の表情が一気に明るくなった。
「っ、おい、おいひっ……!」
「ん、よかった」
頬を綻ばせる夢芽に蓬は笑顔を見せた。
「これで口直しにはなった?ちゃんと乗せられてるかはわからないけど……可能な限りの俺の情動を乗せといたから」
「え……」
「……それとも、まだ足りない?」
純粋に首をかしげて言う蓬の姿に……夢芽は、静かにハンバーグを飲み込んだ。
「……うん。足りない。まだ、全然」
「そうなの?」
「だから……もっかい、して」
「ん。じゃ、はい、あーん」
「……あむっ」
「……美味しい?」
「……美味しくない。まだまだ、足んない。足りない。もっかい」
「はいはい。あーん」
「あむっ」
結局、二人分のハンバーグセットが無くなるまでこれは続いた。