でも暗躍はやめない
娘ちゃんの名前は撫子ちゃん。
小さな体が転がるように走ってきたのを抱き止める。寒いからなのか走ったからなのか、耳と頬が林檎のように赤く色づいていた。
「おとん!あんね、これこうたの!」
「なにかな?見せてくれるかい?」
「うん!これね、きらきらのやつやねん!」
娘の小さな手の中に入っているのは小さなガラス玉で、お世辞にも質が良いとは言えない。
おそらく無くしてしまっても構わないような値段のものを買ったのか、数を買った中の一つなのだろう。
僕には頬を高揚させる程の価値のあるものには見えないが、子供の瞳で見たならば違う見え方もあるのかもしれない。
「コラァ撫子!走ったらアカン言うたやろ!」
「おとんいたんやもん!」
「惣右介は動かへんのやから歩きや!」
「ひら、真子さん、僕は木かなにかですか」
言葉を挟んだ僕を一瞥してふんと鼻をならした妻は、お前が駆け寄るくらい出来るものならしてみろとでも思っているのだろう。
しかし僕が娘を見つけて音もなく近づいたなら、きっとあの子は驚いて後ろにでも転げてしまうに違いない。
未だ雪の残る道でそんなことになれば、濡れただの汚れただので帰るまでずっと半べそをかくだろうことは目に見えている。
少しばかり病弱に産まれた娘は冬の間は体調を崩しがちだ。こうして外に出かけられるのは珍しい。
それに加えて僕たちは相変わらず五番隊で隊長と副隊長をしているので、二人揃っての休みというのは滅多にない。
なのでこうして三人で出かけるのは……諸々の処理で僕だけ少し遅れたとはいえ、かなり久しぶりのことだった。
「いっぱいあるから、おとんにもいっこきらきらのあげる!」
「撫子が選んでくれるのかな?」
「ん!しゃーないからえらんだげる!」
抱き上げるとふわふわとした髪が冷えているのが分かる。そろそろどこか店にでも入った方がいいかもしれない。
ガラス玉を買った店には長居しなかったのだろうか。それとも店がそれほど暖かくなかったのだろうか。
娘でこうなら妻はもっと冷えているだろう。元々体温の高い人ではないのだ。
「あんな、おかんがな、もっとすごいきらきらなんはすきなひとにこうてもらいって」
「もっとすごい……ああ、宝石のことかな」
「そんでな、なこちゃんはな、およめさんいくさきがなんこもあんねん、せやからいっぱいもらえんねん」
「…………は?」
妻の元に向かおうと歩きだした僕に娘が一生懸命話しかけてくるのはいい。最近話が達者になったのでお喋りなことも知っている。
だが嫁入り先がいくつもあるとはどういうことだ。パッと思い返してみても、娘はまだ近い年頃の子供との深い交流はなかったはずだ。
まさか隊長格の子供だからといって、幼い頃からそんな約束を知らぬ間に結ばれているのなら然るべき対処をしなければ。
「やめとき撫子、オトンが怖い顔になってしまうわ」
「……なっていませんよ」
「なんで?」
「撫子がモテモテなんはオトンは面白くないんやって、心の狭い男やなァ」
「オトンこんなにおっきいのにこころせまいん?なかみは?すかすかなん?」
「ふっ、く、ハハ、スカスカやって、お前の腹は黒いのに、中身入っとらんかったら笑えるな」
「そんなことより、僕は知りませんよ嫁入りなんて」
人体の構造というものをまったくもって理解していない娘は置いておくとして、妻がこれだけ軽い口調で話すということは詳細を理解しているということだろう。
もしも全く知らないで娘がこんな話をしだしたらさりげなく相手が誰だか聞きだすはずだ。
それが僕をからかうことに終始しているのだから、娘に聞くよりも妻に聞く方が早い。
「心配せんでもええって、可愛がってくれる人に『およめさんになってあげてもええよ!』って言っとるだけや」
「相手は断らないんですか?」
「子供に言われて結構ですなんて言うかい。大きくなったらねとか、そんなんや」
「はっちとろーずときすけと、あときょーらくさんも!」
「……そうか」
「あとね、りさちゃんとましろちゃんと、うきたけさんも!でもひよりおねえちゃんにはふられてしもてん」
指を折りながら名前を呼んでいく娘を眺めながら注意すべき相手を考える。
おそらく矢胴丸リサと共に訪ねてきた京楽春水は気にしなくとも良いだろう、浮竹十四郎もただ子供を可愛がりたいだけのはずだ。
元々妻と親交があった人たちは小さな娘に懐かれるのが嬉しいらしく、蝶よ花よとでも言うかの如くの扱いなのでそれも除外していい。
となると、やはり気にしなければならないのは。
「……浦原喜助か」
「らぶはね、もじゃもじゃやからいややの。ほんでけんせーはましろちゃんいじめたからおよめにいってあげんっていうたの!」
「言うとくけど今のとこお前除いて一番撫子が懐いとる男はハッチやぞ」
「なこちゃんはっちすき!おいしいおかしもってきてくれるんや!」
男親の心中を知ることのない娘は無邪気に笑っている。菓子くらいいくらでも買うのにという言葉は妻の視線を感じて飲み込んだ。
なのでこれはけして対抗心故の行動ではないが、とりあえず甘いものでも食べられる場所に移動しようと思う。
そんなことを考えながら取った妻の手は、想像していた通り冷えていた。
「冷えてますね」
「誰かさんが遅れてくるからや」
「お詫びに暖めなければ」
「……相変わらず無駄に体温高いなァ」
手を振り払われなくなってから久しい。それでも外で許してくれるようになったのは娘と出かけるようになってからだ。
母の真似をして娘が手を繋がないと言い出すことを気にしてだろうとは思うが、受け入れられると思うと達成感がある。
やはり秘密裏に進めていることが露見することだけは避けなければと気を引き締める思いがした。
数十年後、娘に相応しい能力をもった男が浦原喜助以外に見当たらず頭を抱えることになるのはまた別の話だ。